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地球温暖化推進委員会

全てのエコNPO・NGO団体に神の裁きを!

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 大東亜戦争時に海軍航空隊の艦上爆撃機の搭乗員だった叔父の足跡を調べる為、三度目の資料調査に防衛省の防衛研究所に出向いた。今回の調査は菊水特別攻撃隊戦闘経過概要が主である。

 叔父たちにとっての最後の出撃記録であり、戦死した時の状況が解る筈であった。この中の書類の文面に作戦に参加した隊員の氏名・階級・兵籍番号(正式には入籍番号)が記載されていた。帝国海軍が兵士に与える個別の識別番号であって記号番号にはルールがある。一般的には所属する鎮守府、志願兵か否か、兵種を表す漢字がありその後に数字が並ぶ。

 例えば”呉志飛XXXX”と記載されていれば呉鎮守府所属、志願兵、飛行兵、NoXXXX と言う意味である。しかし叔父を含む数人の番号表記はこれとは全く異なり、”ホXXXXX”となっており、”ヨXXXXX”と記載されている隊員もいた。私は叔父の出身部隊か何かを表しているのでないかと考えたが何の判断材料もないのが事実で行き詰ってしまった。

 偶然ではあったが知人の中にこの方面に明るい人がいたので教えてもらったネット上の某掲示板にて情報を募ったところカタカナで始まる記号は”電報符”と呼ばれる下士官以上に割り振られる個人識別番号である事が解った。叔父は最終階級が飛行兵曹長で戦死で二階級特進で中尉になっていた。最初の”ホ”は現役の士官を表しているらしい。ネットの掲示板とは有難いものである。自分だけで調査していたら迷路に入ったままミイラになっていただろう。情報提供していただいた皆様には心より感謝しております。

 今回の調査で叔父の遺書の写しを発見する事ができた。直筆ではなく、第三者が手書きで書き取ったもので達筆である事と文章が文語的表現であるので読み取るのに少し苦労はしたが叔父の人となりは何となくわかる気がした。

 叔父は流行の映画や戦後のお涙頂戴の平和教育かぶれ漫画等に出てくるような人格ではない。潔い武人の志をもった帝国軍人であった事が解る。叔父の遺書の中に”小我を惜しまず死を恐れず””武人として空に行くになんら憂いなし”と言うくだりに心を打たれる。予科練航空隊”乙飛8期”。218名いた同期の桜が次々に散っていくのを目にしてきた青年の最後の言葉である。

 叔父の遺書を読み自分の中で少し一区切りつける意味で調査の翌日に靖国神社に参拝に出向いた。拝殿にて参拝後、境内にある就遊館と言う資料館に入った。ここには国防の歴史資料や盾となって散っていった英霊の遺影が展示してある。この国に生きる者なら一度はここに訪れるべきであろう。

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 昨年の夏に所属しているZZRオーナーズ倶楽部の皆さんが北海道ツーリングで盛り上がったいた時に一人寂しくいじけて仕事をしていた私は偶然東京の新橋にある豚丼の店を見つけた。その名は豚大学。”豚丼”は北海道名物である。この時は仕事の会議出張であったので用心してサイズを”大”にした。

 今回再び上京する機会に恵まれたので重量1キロの”特大”に挑んだ。11時台であったので行列も待ちもなくカウンターに着けた。数分で特大が着丼!では”逝かせていただきます”。半分までは食事として楽しめる。芳ばしい焦げ目のついた豚バラ肉とニンニクが効いた醤油ダレが美味い。少し苦しい感じではあったがまだ限界までは余裕があった。ちなみに私より後から入店したサラリーマン二人も特大を注文していた。意外に皆さんに愛されているようだな。このサイズなら会議前の昼食で逝けますな。

 

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 2年前虚血性大腸炎で入院してからデカ盛りバトルで鍛えてきた胃が縮小してしまい、リハビリ対戦相手として選んだ東京品川にあるラーメン二郎の大豚Wに敗れた。先日仕事で上京した折にリベンジの前哨戦としてトッピングの豚がノーマル盛りの”ラーメン大”に挑んでみた。

 11時過ぎの入店であったが店の前に列が出来つつあり、私は5人目の位置にいた。相変わらずの繁盛振りで結構な事である。自分の番が回ってきて自販機でラーメン大の緑色のプレートを選び、カウンターにて待つ。周囲の客は昼食だからかラーメン小(並盛り)に野菜増しが多い。お約束通りトッピングの選択を聞かれたのでスープの辛めのみお願いする。

 2年前に出てきた鉢のような丼との再開である。隣に座る若者と私と同年代の紳士の視線が笑っているのが解る。まずは一口いただく。変わっていない味。半分までは食事として楽しめたがこの辺りからジワジワと修行の領域に入ったくる。もう食べきったと思っていた豚肉の塊が麺の下から出てきた時に一瞬心が折れそうになったがそこは平常心で食べ続けた。ほぼ同時に入店した両隣の客はすでに入れ替わっていたが完食する事ができ、本当の限界まではまだ余裕がある事が解った。

 ラーメン小に野菜マシマシも楽しそうであるが、トラウマ解消の為にも大豚Wのリベンジに挑まねばならないだろう。退店するときはあと半年はラーメンは食べなくていいと思うが少し時間が経つとまた行きたくなるのがラーメン二郎の不思議なところなのだな。

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 大東亜戦争の末期に海軍航空隊で沖縄に侵攻してくる米国機動艦隊に攻撃をすべく特攻で散華した叔父の戦闘記録をネット上のHPで見つけた時、その資料の出所が書かれていた。

 防衛省防衛研究所の戦史資料閲覧用の施設にその資料は存在し、資料検索の為のリストの存在までHPにアップされていた。

 先日仕事で上京した時にまる1日時間がとれたのでJR山手線の恵比寿駅から徒歩で数分の位置にある防衛省防衛研究所の戦史資料閲覧室に出向いた。正門にある受付で入館申請書に署名をしてIDを受け取り専用の用紙を受け取る。用地内の資料室にて用紙を提出してさらに別の用紙に署名。これは資料を貸し出す為の用紙であった。用紙提出と引き換えにプラスチック製の番号札を渡される。この番号が資料室内でのIDである。私は”4番さん”だった。

 閲覧室に鞄類の持ち込みは厳禁で筆記具とノートPCのみ持ち込める。どうやら資料原本を持って帰ろうとする非国民がいるらしい。嘆かわしい事である。資料閲覧室には資料は置かれておらず、貸し出し申請書をいちいちしたためて係官に渡すとカウンター越しに手渡される。手数料等は一切掛からない替わりに使用者をはっきりさせる事が強いられる。慣れないとなかなか辛い。PCに頼り切りの生活で長い文字列を書くのはもどかしく感じる。字の書き順もかなり怪しい。・・・(汗)

 やっとの事で帝国海軍軽空母”飛鷹”飛行隊の行動調書を閲覧した。

昭和17年10月から翌年4月までの調書に叔父の出撃記録があった。哨戒飛行から攻撃作戦までこと細かに情報が記載されている。叔父はガダルカナル奪還作戦”い号作戦”に参加していた。
大規模攻撃作戦に二度出撃している。一度目の攻撃で被弾不時着、機体は沈没。脱出に成功し、4日後の作戦に戦線復帰してる。主脚がスパッツでむき出しの99式艦爆で上手く海面に不時着したらしい。着水時にスパッツの抵抗で機体がでんぐり返りしなくてよかったね・・。

5時間程粘って体力と気力の限界を感じて資料調査を終了した。まだ未調査期間がかなりある。下準備不足を思い知らされたので自分なりに戦史を勉強して調査を継続する事にした。当分、恵比寿に通う事になるだろう。


 

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 本州のZZRオーナーズ倶楽部のメンバーの方が年末から年始にかけて九州縦断の旅に来られていた。最終目的は長崎の軍艦島ツアーだと言う。年始の直接の御挨拶とお見送りを兼ねて一部同行させていただき、走り初めをさせてもらった。

 超長距離専門ライダーと言ってもいいくらい、驚異的な行程で走るスタイルはとても真似出来る物ではない。当然バイクはZZR400Nで私のN4より若干新しい98年製のN6と呼ばれるタイプである。
軍艦島ツアーは好天に恵まれ上陸観光が出来たらしい。いつぞやの阿鼻叫喚の地獄絵図にはならず新年早々縁起の良い事であった。しかし彼のN6のHIDのバーナーがトラブルを起しており、長距離夜間走行に影響が出る事が危惧されていた。

 ツアー終了後に彼と合流し、簡単な挨拶を済ませた後ターミナル港のそばで自称”元祖長崎ちゃんぽん”を謳う中華レストラン裏手にあるトルコライスを売り物にしている小さな店でランチする事にした。ここには”メガトルコ”なる巨大なトルコライスがある。しかし今回はスケジュール的な制約があったのでバトルは後回しにしてただの”ラージ”と”XL”と言う大盛りに抑えた。早々と食事を済ませ、彼のバイクのスペアパーツが在庫されていると思われる佐賀市の自動車部品販売店へと急がねばならなかったのである。

 出島バイパスから高速に乗り、佐賀大和ICで降りる。市街地の中に店舗があり、運よく適合品を手に入れる事が出来た。店舗の駐車場で店開きしてHIDのバーナー交換を行った。行程を急いだ甲斐があり、明るいうちに作業が完了した。これで陸路を愛知まで自走して帰れるのである。見送る方の気持ちも明るくなると言うものだ。共に走った距離は100km程と大した事はないが修理作業のせいで話はそれなりにできたかな?

 17:00頃に先を急ぐ彼と別れてこちらも帰路についた。今期防寒用品を幾つか調達したのでその評価試験も兼ねた走り初めとなった。

              友、遠方より来る。又楽しからざらんや。

昔の人は上手い事を言うな。