地球温暖化推進委員会 -19ページ目

地球温暖化推進委員会

全てのエコNPO・NGO団体に神の裁きを!

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 鹿児島県指宿市に開聞岳という山がある。別名”薩摩富士”とも呼ばれその姿は地元でも有名である。この山が別の意味でも有名なのはご存知だろう。すぐ傍に知覧と言う街があり、日本帝国陸軍航空隊の基地があった。大戦末期、ここから離陸した特攻機はこの開聞岳の傍を飛び戦地に赴いた。鹿児島湾の周りには陸軍だけではなく、日本帝国海軍航空隊の基地が何箇所もある。陸軍、海軍を問わず鹿児島から離陸した特攻作戦機の搭乗員達はこの薩摩富士である開聞岳をその目に焼き付けて水平線の彼方に飛び立って行ったと言われている。

 菊水作戦で散華した私の叔父は霧島市の第一国分基地から彗星33型で出撃したので例に漏れず桜島と開門岳の傍を飛んだ筈である。最後に見る故国の山は最南端の開聞岳だと言う事になる。九州は入梅したものの本格的な雨がまだ降り出しておらず、6月半ばと言うのに晴れ間が多い。ぎりぎりで仕事休みとお天気がなんとかなったのでZZR400Nで開聞岳を見に行くことを思いたった。天候は九州全域曇りの予報だった。

 朝8時15分に自宅を出発。長崎自動車道から九州自動車道に鳥栖で乗り換え南下する。鹿児島ICから県道17号線、有料道路の”指宿スカイライン”で頴娃(えい)に至る。指宿スカイラインに乗った途端、空模様が怪しくなった。午前中に雨が降ったらしく、雲が低くおまけに濃い霧まで出ている。標高が高いせいで結構なワインディングでもある。頴娃に付く頃には小雨が降り始め、県道28号で池田湖の湖畔を走る頃には合羽を着たくなった。池田湖を通過すれば程なくして正面に開聞岳が見える筈だがそれらしいものが全く見えない。道は簡単なので迷う筈はない。国道に出る前に気がついた。分厚い雲が開聞岳に掛かっていて下側の2割程しか見えていない・・。事前に地図上で開聞岳の絶景ポイントを調べてあったので取り合えず小雨の中、暗い気持ちでR226を撮影ポイントに向かった。

 海岸線の予定した場所に着くと小雨がジワジワと強くなってきた。開聞岳は雲に覆われてほとんど見えない。往復870kmの道のりを来て残念な事になったと諦めながら合羽を着た。晴れていればさぞ美しい風景だったに違いない。2枚ほど写真を撮って立ち去ろうとしたが何となくその場に留まってしまった。開聞岳をよく見ていると雲がゆっくり陸地側に移動しているのが解った。もしやと思い、デジカメを用意して待つ。いきなり雲間から開聞岳の山頂が顔を出した。完全ではないが山の稜線も見える。ほんの数秒間の事であったが、数分間隔の3連続で山頂を見る事ができた。堂々とした開聞岳の姿が短い時間ではあったが見ることが出来、デジカメにもその姿を収める事ができた。

 せっかく遠路遥々やってきた私に叔父が”ここだよ!”と言わんばかりに艦爆のエンジンを吹かして雲を吹き飛ばしてくれたような気がした。小雨の中1時間弱も現場にいたがいつのまにか雨は止み、路面も乾いている。天候回復でもう少し見えるかと期待したが雲は厚くなって開聞岳は再び見えなくなった。

 叔父がもう充分だからゆっくり帰れと言っているような気がしてきたのでもと来た道を帰る事にした。R226から県道に入る交差点で開聞岳の登山口に入ってみた。登山する気は無いが少し間近で山を見てみたかった。帰路は往路の時と天候が違い、太陽が見える程だったので池田湖の湖畔で記念写真を取った。天然記念物のオオウナギの看板があったがオオウナギは食べられるのだろうか?登山口から池田湖に向かう途中、開聞岳の雲が晴れないかミラーで見ていたが無理だった。ミラーを見ながら叔父が私の背中を見送ってくれているような気がしてならなかった。

走行距離877km 所要時間13.5時間 あの世とこの世は白い雲で隔てられているのだな。

 

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 尾道三部作で有名な大林宣彦監督作品の”廃市”と言う映画をご存知だろうか?かなり昔の事ではあるが、VHSのビデオデッキが我が家に来た頃の記憶である。主人公の男子学生が水路と言うか運河が入り組んだ独特の雰囲気の地方都市で夏休みを過ごす話だったと記憶してる。心理描写なのか何なのかよく理解できなかったがシーンごとに”キコーン”と言う効果音が随所に挿入されていたのが印象的だった。正直まだ幼かった私には薄暗くて暑苦しいイメージしかなった。何故なら劇中にエアコンがなく、蚊帳で生活している感じがした。不鮮明な記憶で恐縮だが作品の最初と最後に国鉄の駅だか路線だかの映像があった。”この街は今はもうない・・。”のコメントで締めくくられていた様な気がする。

 映画の”廃市”のモデルが福岡県柳川市であった事はもっと後になってから知った。特段の思い入れはないが、そろそろ入梅も近づいているし、ETC半額割引の終了も近い事から高速道路を使ってバイクで柳川観光に行こうと閃いた。既に九州の日差しは夏のそれであり、高速道ならまだしも市街地走行も考慮すればここは必然的にZZR400N4の翁の出番である。もはや琵琶湖一周をした我が身にとっては今やこの程度ならお庭のお散歩程度の感覚である。

 朝九時に出発、佐賀大和ICから佐賀市街地を抜け、R208を一時間程度の走行であっけなく柳川市に到着する。時計は見ていないが11時半には北原白秋記念館のそばにいた。柳川といえば鰌(どじょう)を使った柳川鍋をイメージするが柳川市とは本来関係は無く、鰻料理の方が有名らしい。
廃市のイメージで川舟が往来する運河を探す。目的地に着くと笠を被った観光客を乗せた川舟が船頭の歌声と共にゆっくりと水面を滑っていく。船頭の歌がなかなか達者で上手い。多分古い地元の歌だと思う。ゆったりまったり素朴な歌であった。勿論、伴奏無しのアカペラである。

 川舟の船頭の歌声に聞き惚れていると対岸に見覚えがある男が店舗の前をウロウロしているのが見えた。今年の3月末まで一緒に仕事をしていたO君だった。4月から移動で福岡勤務になっていた。川越しに呼びかけるとこちらに気づき、走ってやってきた。お互い”ここで何やってるんですか?”と問う。
彼は外回りの打ち合わせで柳川に来ていた。奇遇である。近況を話し合った後、彼は仕事に戻っていった。彼に柳川市ではここだけでしか手に入らない米せんべいの店”坂田屋”を教えてもらったので土産に5枚入りの袋を買った。和菓子と団子も美味しいが常温で持ち帰る事は難しい。帰宅後トースターで焼いてみた。サクサクパリパリで仄かに甘い。素朴な味でなかなか美味しい。もともとはこの地方の昔からの保存食で家庭で当たり前に作られていたらしいが今ではこの店でしか作られていない。

 昼に鰻が食べたいと思ったが観光客のバスが多くて無理だと判断して諦めた。自分なりの廃市を確認出来た気がしたので目的は達したと判断して柳川市を後にした。柳川市街地から柳川みやまICを目指し、途中からR209に乗る。久留米市を通過して鳥栖ICから高速に乗った。

 5月の紫外線をなめていたらしく、散髪したての襟足のあたりが日焼けでヒリヒリする。前回の琵琶湖一周のときより気温と日差しが厳しい。夕方5時過ぎの帰宅。次にまともにはしれるのは秋かなあ。程よく疲れた。

 

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 往路の高速道路の古賀SAで給油に入った。GSの店員さんが”良い天気ですね。気持ちいいでしょ!どこまで行かれるんですか?”と言うので”琵琶湖。”と答えたら絶句した後、戸惑いながら”気楽に行ける距離ではありませんね・・。”と呟いた。

 琵琶湖の北部の奥琵琶湖パークウエイに入る前に給油に入ったGSで”琵琶湖はいつもこんなに風が強くて寒いのですか?”と店員に問うたら”昨日は暖かかったけど今日はこんなもんかなあ・・。何処から来たの?”と言う。私が答えるより先にナンバープレートを見て”長崎ですかあ!そりゃ寒いわけだ!”と呆れられた。どうやら結構破天荒な事になっているらしい。ちなみに湖北の山中ではまだ桜が咲いていた。

 湖西の湖岸のさざなみ街道沿いの道の駅で暖まろうとレストランでココアを注文したらコーラが出てきた。ウエイトレスに”コーラではなく、ココアを注文したんですけど。”と言うと凄く恐縮してココアを出してくれた。非常に丁寧な接客で感じは良かったがほとんど空耳アワー並みの聞き違いだったので爆笑してしまった。レジでも非常に丁寧に詫びてもらったが笑いが止まらなかった。寒さのあまりに私の舌が上手く回らなかったのだろうか?

 急な思いつきで出発した為、防寒着等の準備がいまひとつ不十分だった。より積載量の多いシートバック類を考えなくてはならない。現行のシートバックは1泊なら十分かもしれないが、日本の半分を縦断する場合は昼夜の温度差を考えると倍くらいの容量がないと衣類が積載出来ない。まあ次回のお楽しみかな。これも旅の味の内と言う事だろう。

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 サービス業の自分にはカレンダー通りのGW休みは無縁だと思っていたが、上司の気まぐれか人手不足が逆に幸だったのか5/2~5/5までが休める事になった。4/27の段階での話である。

 ZZRのオーナーズ倶楽部の人達が九州に遊びに来るとは聞いていたものの、こちらはギリギリまで予定が立てられないでいたので合流は保留していた。いきなりの4連休・・。よく考えると4月からの増税でETCの休日半額割引が5月末で終わってしまう事に気がついた。

 昨年の秋に二輪用ETCを実装したが、計算すると微妙にまだ元が取れていない。

                 神の声が聞こえた。

               ”琵琶湖タワーに行こう!”

 この春から身内が琵琶湖の畔に引っ越したので無理やり泊めてもらう事にして琵琶湖外周ツーリングに行く事に決定!この時点でお天気も安定している様だし。ネット通販でプロテクターメッシュジャケットのインナーライナーとFZ1GTのETC固定金具を手配した。近所の南海部品で超長距離ツーリングに使えそうな小物を漁ってきた。アプローチだけで片道817kmの行程なのと気温を考慮し今回は戦艦”蒼羽”で出撃する。準備作業がぎりぎりでインナーライナーが出発前日になっても届かず、諦めていたが、当日の出発直前に宅配便にて受け取った。いきなりのシェイクダウンでどれほど使えるかは解らなかったが結果的には大活躍だった。

 結局午前10時頃に出発。関門海峡のめかりPAで記念撮影後中国道を快走。鳥栖辺りから陸自の155mm榴弾砲と一緒に走っていたらしく美東SAで昼食を共にした。
ETC休日割引を使う為高速のゲートを24時過ぎに出る必要があった。時間を逆算して走る。関西のZZRオーナーズ倶楽部のメンバーの方と桂川PAにて半年ぶりの再会。とめどもない御喋りが楽しい。深夜の高速道路のPAに呼び出す形になった上、お土産までいただいて恐縮の極みでありました。有難うございました。

 桂川PAから再会を約束して目的地向かう。大津に入った辺りから気温が落ちた。寒い!琵琶湖周辺は京都とは気候が違う事をこのあと身をもって実感する事となる。

 5/3午前10時に近江八幡市にある長命寺前のヨットハーバーから半時計周りで湖畔を外周する。薄曇で暑い!湖畔の外周道路”さざなみ街道”を快走するも彦根市に入った辺りで原因不明の頭痛に吐き気と激しい便意に襲われコンビニに緊急ピットイン。どうも寒さとヘルメットの風圧に長時間晒されたせいで首の付け根にかなりのストレスが溜まっていたようだ。発作(?)が30分ほどで収まり再スタート。
コンビニの駐車場に風化が激しい超年代物ハーレーが2台仲良く会話していた。ガソリンがキャブから漏れて火が出たとか何とか。凄い世界だな。ついていけない・・。

 長浜大仏を右手に見ながら湖畔を走るが横風が酷い。結構冷える。休憩に入った道の駅の幟がバタバタと激しい音を立てる。子鮎の天ぷら、白魚のかき揚げ、焼き鯖そうめん。鮒や鯉の煮付け。食べてみたいがお腹が微妙な感じだったので次の機会にする事にした。

 湖北に入り奥琵琶湖パークウエイの展望台まで上がった。バイクだけでなく、四輪も楽しみに上がってくる。ヨタハチや改造車多数。楽しそうである。この後、湖西に入り、R161に乗り再びさざなみ街道で湖畔を走る。あまりの寒さに昼食代わりに道の駅でココアを注文したらコーラが出てきた。空耳アワー並のギャグだった。店内で爆笑してしまった。

 この後R161バイパスにのって山の斜面から琵琶湖を眺める。良い眺めだ。大津市内に入りあえて市街地に入って行く。街の雰囲気が特有の感じがするな。近江大橋を渡り、草津に向かう途中で遅い昼を取る為一時的に湖畔から離れる。GWで商業施設はどこも行列。諦めて少し離れた黄色の”M”でチープな昼食。人間にも燃料を入れて湖岸に戻った。湖岸には数え切れないほどのキャンプ・レジャー施設ある。この寒い中、キャンプやBBQをしている皆さんは体力あるなあ。しかも強風の中サイクリングのグループが沢山走っていた。琵琶湖湖畔はサイクリングのメッカなのかな。元気だなあ。脚の萎えたヲヂさんには無理だよ。残件は幾つか発生したけど本日はこれで宿舎に引き上げ。外周一周は完遂できた。

 この時点で天気予報を再確認すると5日は西日本が全体的に雨。取り合えず残件は有るものの最初から丸1日は予備日のつもりもあったのでここは戦術的撤退を決定。GWの中、疲労の蓄積した中年ヲヂさんが13時間以上雨天走行をするのは無意味に危険と判断した。

 帰路は京都東IC前で軽い渋滞。その後は快走するも中国豊中辺りから宝塚ICまで大渋滞!天気が良いからエンジンの排熱も絶好調に乗り手をいぢめる。貧血しそうになりながら何とか耐えた。路肩を走るアメリカンバイクのカップルが見えた。ヲイヲイそいつはマヂーヨと思っていたら案の定、ゼブラから正義の大阪府警の高機登場!哀れな子羊はメットのバイザーを跳ね上げ、抗議していたが国家権力には逆らいきれず玉砕したようだった。同様の風景を4年前に2度目撃してた私はやって良い事と悪い事の分別ある者になっていた。”他人の振り見て我が振り直せ。”おばあちゃんの言う通りである。

 1時間走行して30分の休憩を繰り返し深夜の0時30分過ぎに到着。直後に雨が降り始めた。途中関門海峡のPAで大橋の夜景を楽しむ。なかなかロマンチックな場所だった。

 FZ1GTは高速クルーズでは文句なしの性能を発揮してくれた。子鮎の天ぷらを食べにまた琵琶湖に行こう。しかし思いつきのバタバタ旅行だったワイ。

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 消費税が8%に上がったエイプリルフールの当日のことである。我が家の玄関先からガソリンの臭いがしてくるような気がした。ふとZZR400N4を見ると燃料タンクの給油キャップの周囲に液体が滲み出ているのが確認できた。まさかと思い、もしやと疑いながら液体を確認するとガソリンがたれている。とにかく放置できないのでウエスで拭き取ろうと鍵穴の保護キャップを開放すると鍵穴からガソリンが逆流して噴水状態になった。タンク内の内圧が異常に上昇してしまっているらしい。おまけに自家塗装したキャップの表面がガソリンに溶かされて悲惨な事になっている。

 眼前で何が起きているのか正しく認識するのに3秒程度かかったがこの3秒が非常に長く感じたのは言うまでもない。くわえタバコの老人が散歩でもしていようものなら季節外れBBQになってしまう・・。通常ならタンク内の減圧のからくりが動いてる筈だが如何せんこの翁の年齢を考えるとそうは問屋が卸さない。ガソリンの潮吹き芸でN4翁はガソリン税の二重増税に抗議しているのか不当な南極捕鯨禁止判決に抗議しているのか不明だが、兎に角翁は怒り心頭の様に見えた。

 それはさておき、カワサキのHPで検索するとタンクキャップを一式丸ごと交換する事になる事が判明した。工賃こみで6000円程度の出費を覚悟した。走行中に1BOXやエコカーに乗る非国民が投げ捨てるタバコの火で火達磨になるくらいなら安いものだ。

 ZZRオーナーズ倶楽部のメンバーにこの話をしたら、最近廃車にした車両から取り外した給油キャップを譲ってもらえる事になった。ガレージ保管されていた車両で廃車の数ヶ月前に交換されていた物なのでかなり状態がよい美品だった。直ぐに給油キャップは手元に届いたがガレージが無い軒下整備では晴れのお天気と休日が重なるのを待たねばならない。

 休みが確保できたので早速交換作業を行う。分解した給油キャップの内部は18年間のガソリンのカスでまるで赤錆の様だった。これでは鼻づまりや便秘にもなるわな・・。
キャップのキーシリンダーの真下にある逆流防止のゴムパッキンが劣化すると鯨の潮吹きの芸を始める事になるらしい。全く有りがたく無い芸である。まだ自分で自分を火葬するほど老いてはおらぬわい。本来ならこの小さな部品の為にアッセンブリー交換になる事をボヤクところだが漏れたガソリンに溶かされた自家塗装のやり直しを考えると逆に幸運だったと言へるかも知れない。               

 このタンクキャップを譲っていただいた倶楽部メンバーの方にはこの場で御礼を申し上げたい。

                 ”これでまだ10年は戦える!”