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地球温暖化推進委員会

全てのエコNPO・NGO団体に神の裁きを!

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 二年前に職場で消化器系の炎症を起こして緊急入院を余儀なくされた。11日間の絶食と点滴生活で筋肉と胃腸は退化してしまった。経過観察も必須となり1年に一回CTと大腸の内視鏡検査が定例行事となった。秋の職場の検診と内視鏡検査で異常は認められなかった。

 二年前の緊急入院から3ヶ月後に以前に小豚Wをクリアしていたラーメン二郎品川店で腕試しで大豚Wに挑みあえなく敗れてしまった。これまでコツコツと修行を重ねてやっと”大豚”までクリア出来るところまで来ていた。そろそろ決着をつける時期に来ている気がしてならなかった。つまり大豚Wがクリア出来れば緊急入院前のコンディションに戻ったと判断して良いだろう。

 先日仕事で上京する機会があったので背水の陣を構えるつもりでラーメン二郎品川店を訪れた。午後7時前ですんなり入店できた。勿論今回の目的は大豚Wである。券売機でプレートを確保して待つ。いつのも職人さん二人が二年前のままでラーメンを作る。何も変わらない。今回は”カラメ、ニンニク”のみのオプションである。全て二年前と同じ。

 カウンター越しに白い丼を受け取る。前回大敗した大豚Wがそのままである。しかし今回は勝てる気が最初からしてた。前回よりも早いペースで食べ進み、最後の1/3辺りから修行の領域に入る。2年前はここでギブアップしたのである。目の前で”これで終わりにする!シンジ君がもうエヴァに乗らなくていいようにする!”とプラグスーツを着た少女が呟くのが見えたような気がした。

 我に返ると数席離れた女連れの若い男性が白い大きな丼を受け取るの見えた。トッピングの野菜がMAXになっている。職人が丼を渡しながら”野菜は残さないで。”と警告を発したのをはっきり聞いた。二郎系のお店では大盛りトッピングを残すの厳禁なのである。隣の女性に苦しい笑顔を見せながら彼は己との戦いに入った。そう、大人は子供に手本を示さなくてはならんのである。今回は負けるわけにはいかんのである。前日から食べる量を制限していた事もあり、この戦いに2年がかりで勝利を得る事ができた。己の限界を作るのは己自身である。壁を乗り越えられる者には壁外の世界を立体機動装置で飛びまわれる自由があるがそれに気づかぬ者は家畜となりて駆逐されるのみである。これで私も壁外調査兵団の仲間いりだな。

 その翌々日、ラーメン二郎三田本店に行く事が出来たが午後からの仕事の都合で事実上の朝食にラーメン二郎の”小”を食べた。会議があったので追加はなし。カウンターの中で優しそうな年配の職人がラーメンを作る。ひょっとしてこの方がラーメン二郎の宗家なのだろうか。朝食の二郎は少し辛かったが美味しかった。特に豚が立派であった。出張の最終日の昼に立ち寄ろうとしたが、店舗を取り巻く客の行列を見て諦めて品川店で”小カラメ・ニンニク・ヤサイ”を食べて羽田に向かった。これで二郎物語の第1章が終わった気がする。

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 ZZR400N4を車検に出した。最初赤い男爵の担当者から代車はヤマハの250ccのビックスクーターだと言われた。まあ通勤用だから仕方ないと諦めていた。私はあの漁船の焼玉エンジンのような音を出す和式便所の便器だかスリッパみたいな乗り物には眉をひそめていた。”下品極まりない”これが私の評価である。不本意ではあるが車検の代車なのでないよりはマシと言う事で覚悟していた。

 いざ代車手配の順番が決まり、連絡を受けたら電話口の担当者が”バンデッドで大丈夫でしょうか?1200ccですけど。”と言う。一瞬躊躇ったが了承した。400ccバイクの代車がリッターオーバーの大型車か・・・。通勤用なので取り回しと足つきが心配だったが、初めてのバイクなので興味津々でもあった。

 私はバイク、自動車ともスズキの製品には縁がない。スズキのバイクと言えば歴史的な名車か伝説的な珍妙奇天烈な物で、スズキ愛好者はスズ菌に感染した病人の扱いである。私が大学生時代、原付を購入した時にコスパの問題でスズキのHi!と言う明石家さんまがCMに出ていたバイクを買おうとした。当時は2stエンジン全盛でHi!は他社のスクーターより小柄で1psほどエンジン出力が高かった。しかも価格は安い。しかしお店の整備士に止めろと言われた。
”みんな納車の翌日にカウルをベキベキにして店に持ち込んでくる。軽くてパワーがあるので簡単にウイリーしてしまう。悪いこと言わないからホンダのDJ1-Rにしたら?”と言う。なるほど納得してDJ1-Rを購入した。

 カワサキのZZR400Nを購入したときもスズキのRF400が候補に挙がったが赤い男爵の営業担当者が”スズキは下取りが安いので最初のバイクにはお勧めできません。パワーがありますが吸気系で無理をさせているので結構トラブルも多いです。私はスズキが好きなのでスズキのバイクに乗ってますが、そうでないならカワサキ車をお勧めします。下取りもカワサキ車の方がいいです。”と言ったのとZZR400Nにひと目惚れであったのでZZR400Nを購入して現在に至っている。

 ZZR400Nの老朽化問題でFZ1GTを次期主力として確保したがこの時もスズキのバンデッド1250Fが候補に挙がったが出物のタイミングでまたしてもスズキの製品は退けられた形になった。

 いつも影を見ながら実体に触れた事がない唯一の国産メーカーがスズキであった。今回借りるバンデッド1200Sは2000年~2005年に掛けて生産されたモデルでスズキが得意とする油冷エンジンのバイクである。水冷エンジンの様なラジエターと循環システムを持たず、エンジンオイルを冷却する小型のオイルクーラーがあるのみ。システム全体を軽く小型に出来るのがメリットらしい。勿論、扱うのは初めてである。結構荒々しいとの噂もあり神経質な性格かもと予想していた。

 実際にバンデッドに跨ってみるとバイクのエンジン周りの横幅が750cc並みでエンジンの幅が水冷の1000ccクラスより小さい。このお陰で足つきはかなり良好であった。操作系は全般的にかなり万人むきで紳士的であった。アイドリング状態で充分発進でき、特有のメカノイズ意外は教習所でのったホンダのCB750と変わりはなかった。車体の取り回しもZZRと差はないと感じる。非常に良く出来たツーリングバイクである事が解ったので休日に佐賀県の三瀬峠の旧道経由で福岡市内のバイク用品店まで日帰りのツーリングをしてみた。走行距離は290kmほどで燃費も20km/Lとこのクラスとしては平均的であった。この代車のバンデッドは残念な事にフレームやフロントフォークのあちこちに錆がでていた。もし状態の良い同型車が手に入るなら買っても良いと思う。乗り手に対して結構懐が深いバイクである。魚雷の様に太いサイレンサーがセクシーでもあった。

 スズキ車の印象はかなり変わった。かなり冒険的野心的英雄的な製品も存在するが一流の技術力を持つ、国産バイクメーカーである。後は縁が私達を導いてくれるだろう・・・。

 しかしビッグスクーターと言う走る和式便器を世に送りだしたのはスズキだと言う事はしっかり胸に刻み込んでおかねばなるまいな。

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 先日、京都市からお世話になっている知人が当地に遊びに来た際、我が家に一泊していただいた。実はこの方はハーレーのオーナーで縁あって所有することになった中古のハーレーにコツコツと手を入れて楽しんでおられる。やはり京都と言うお土地柄だろうか、外装の新品パーツを中古車に取り付ける事に違和感をお持ちのようだった。全体の雰囲気と言うか調和を重んじる和の精神だろうか。

 ネットオークション等で意外に中古部品が出品されている事をHPを見せて説明していたら偶然気に入った部品があり、代理で入札を行い目出度く落札した。部品自体は直接京都の自宅に送付してもらったので私自身は落札品を見たわけではない。後日連絡があり、思いの外程度の良好な美品であったと聞いたのでホッとしていた。ネットオークションは写真のみで商品の程度を判断しなければならずノークレーム・ノーリターンが原則である。

 この方が帰宅された数日後にバイクツーリングで滋賀県まで走る予定が出来た。それを聞いたらしく、自身のハーレーを直に見せたいのと落札した部品の取り付けを手伝って欲しいとの依頼を受けて京都市に向かう事となった。ハーレーは歴史も長くモデルも多数存在するので落札した部品が実際に取り付け可能かどうかが気がかりであった。予想通り一部寸法の合わないところがあった。落札品は純正のウインドスクリーンである。フロントフォークのクランプの径は合致していたがバイク側のフォークの間隔が1インチ程狭い。

 結局、某自動車整備工場の工具を借用して私とハーレーのオーナーさんとで現物合わせで装着を行った。多少、残件が発生したが軽微な作業で作業完了出来る目途がたったのでオーナーさんは上機嫌だった。私としても最後まで落札したスクリーンの顛末を見届ける事が出来て満足だった。

 オーナーさんと別れた後、嵐山方向に走り、西大路から河原町三条を経由して丸太町通りに出て琵琶湖疎水を抜けて滋賀方向に戻った。インクライン横をFZ1GTで走れるとは思いもしなかった。

 また今度機会を作ってバイクで京都を回ってみたいものだな。

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 ZZRオーナーズ倶楽部の九州支部長から召集がかかった。秋のツーリングイベントの第一弾である。目的地は大分県国東市にある伊美別宮社と言う神社らしい。
これはまた渋い選択だと思いつつ、この神社の由来を調べてみた。今回はこの日本と言う国が直面している少子高齢化問題を憂いた支部長が救国の志を持って祈念する為に企画したに違いない。流石は日本男児である。
 
 当日の集合場所は大分県日田ICを出て直ぐのコンビニの駐車場である。朝7時過ぎに出発。高速道路をひた走り現地に着くと支部長、前支部長の他に新人メンバーの方が到着していた。お天気はツーリング日和の秋晴れで去年の中津唐揚げツーリングの曇天とは大違いである。他のツーリングバイクやスズキのジムニの同好会らしきグループで駐車場は賑やかだった。熊本からのメンバーさん2名の到着を待ち、軽い挨拶をした後にスタートする。ランチは中津の唐揚げで走行コースは去年と同じだった。秋晴れの耶馬溪は心地よく、昨年は工事中で走行不可だった”青の洞門”の通過も出来た。道の駅で休憩を取りながら中津市に入る。ランチ前の軽いオヤツにガイドマップにあったテイクアウト専門店の唐揚げをみんなでいただく。胸肉ともも肉のミックスで200gを一気食いしてしまった。揚げたてハフハフの醤油風味で美味しかった。
その後ランチに入った店で唐揚げ定食を食べる。砂ズリの唐揚げがなかなかオツな味だった。

 昼食後、国東半島を目指して国道を走る。まだ日差しが強く暑いがメッシュジャケットの効果で走行風を受けていれば快適である。宇佐市に入る時に目の前の山腹に銀色で巨大な”USA”の文字看板があった。ハリウッドに対する挑戦なのか単なる洒落か、なかなか気の利いた事になっている。アップダウンがある海岸線を流して行くと目的地につく。正面の鳥居から境内に入ろうとしたが通行止めになって迂回を強いられる。どうも神事の時専用の参道らしい。境内に入り、支部長と前支部長が代表で子孫繁栄の作法を行い、各々が神石に願をかけた。これで多少なりとも子孫繁栄に貢献する事が出来るだろう。

 その後帰路についたが充てにしていた有料道路がまだ貫通しておらず、支部長としては不本意ながら来た道を戻る事となった。私は耶馬溪を昼間と夕方に二度走れたので満足している。風景は時間と季節によって別の顔を持っている。得した気分であった。今回は去年の残念に思った部分を全部クリアしている。

 日田IC手前のコンビニで熊本からのメンバーさんとお別れの挨拶をして高速に乗る。思ったより体感温度が下がらず快適であった。鳥栖JCT手前のPAにて福岡からのメンバーさんとお休みなさいの挨拶をしてJCTで別れた。前回と言い今回も好天に恵まれて気持ちのよい遠乗りだった。N4翁もまだまだ老いてはおらぬか。

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 全体ミーティング後西方向に向かうグループと同行する事になり、高松空港に隣接する公園施設内に保存されている国産旅客機YS-11を見に行った。この機体は機内の客室と操縦室に実際に入る事が可能でコックピットにてパイロットごっこが可能だ。他の倶楽部メンバーさん達は大喜びであったが私には特別の感慨がある。

 まだ国鉄の新幹線が東京大阪間しか開通していなかった頃、幼少の私はYS-11に乗客として乗った事がある。母親に連れられて乗った筈だが、幼い私には飛行機の機内と言う状況が理解できず、離陸時に床が傾く事に恐怖を覚えた。窓から外を見ると雲海が見えたが何故下の方向に雲があるのかが不思議だった。YS-11は客室とスチュワーデスの待機スペースの境目がカーテンで仕切られていてコックピットには扉もなく、開放状態だった。子供の私にはカーテンの向こうに出入りする女の人が何をしているのか不思議でミステリアスだった。大阪の伊丹空港から離陸したと思うが何処に着陸したのかは記憶はない。

 はるか昔に見た機内の風景と目の前の風景には違和感がある。異常に天井が低く、狭い。つまり自分が大きくなったと言う事だ。常に世界を見上げて見ていた頃の記憶である。しゃがんで見れば同じ風景かもしれない。周りは小さい子供をつれた家族連ればかりで見学順路で奇行をするわけにはいかない。大人の分別でコックピットには座らず、写真撮影だけにとどめたが倶楽部メンバーさん達は機長ごっこを楽しんだらしい。このエリアには大正時代に製造された電車の車体も保存され、運転手ごっこが出来る状態で開放されている。香川県民は古い物を大切にする県民性があるのだろうか。管理もしっかりしているようだった。

 見学が終わり、地元のメンバーさんの先導で昼食に向かう。向かった先は田舎道に面する民家だった。多分地元の人しか来ない感じの店舗で裏庭のテーブルで食べるシチュエーション。あいにく時間が遅く、うどんは残り1玉、蕎麦が少々。私は蕎麦を食べた。もっちりした食感で濃い醤油ベースのタレの様なお汁が少しかけてある。うどんも同じだった。朝のうどんとは全く違う。店によってかなり差があるのだと思った。讃岐うどんの定義がよく解らなくなったがあいにくここでタイムアウトである。結局、食べた讃岐うどんは1食のみであった。

 帰らねばならない。昼食を終え倶楽部メンバーさん達は次のうどん屋を目指し、私は府中湖SAのETCゲートをくぐった。帰路は往路と同じコースを戻る。再び瀬戸大橋を渡るのが目的である。瀬戸大橋に乗り、四国の海岸付近に来ると右方向の工場群に”川崎重工”の文字が見えた。隣は石油会社のプラントである。カワサキが何をここで作っているのだろうか?色々考えながら土産を買うのと写真撮影目的で予島PAに入る。バイクの駐輪エリアに見覚えのあるninja1000とZZR400とZZR250を発見。どうやら別行動していたメンバーさん達らしい。土産物を物色してウロウロしていたらこちらを見つけてくれた。ここから一緒に本州に戻り、ZZR400は関西に。残る3台は広島方向に向かった。

 私を含めた3台の内1台は福山東、もう1台は広島の手前で分かれた。宮島SAで給油して美東SAで遅い夕食を取る。関門海峡を渡り休憩と給油で古賀SAに入った。熱いコーヒーで身体をしゃきっとさせて出発しようとしたら宮島SAで見かけた赤いスズキのVストーム650の若い男性に話かけられた。福岡に帰るらしいがソロキャンプツーリングの帰りらしい。彼はカワサキのバイクに結構詳しくて私がオーナーズ倶楽部のイベント帰りだと知ると凄く羨ましがった。スズキの同好系グループが周囲にないらしく単独行動が多いらしい。20分程止め処も無い話をして別れた。類は友と呼ぶ。昔の人は良いこと言う。彼の表情をみていてオーナーズ倶楽部に入っていて良かったと思った。

 前回の全体ミーティングと異なり、今回、道中は完全に単独行ではなく賑やかであった。旅は道連れ世は情けか・・。たった48時間の旅であったが良い時間を過ごしたな。