







赤い男爵からの帰路もう少しで自宅に着くと言うところでいきなりパワーダウンを起こした。パワーダウンと同時にタコメーターが0rpmを指す。断続的に3回同じ症状が発生。そのまま店にトンボ帰りして工場長に状況説明、即緊急入院となった。点火系の失火の原因はイグナイター、イグニッションコイル、プラグ、スロットルポジションセンサーのユニット類の不具合が考えられる。ZZR400Nはエンジンの回転数を1・4番のイグニッションコイルから信号を拾い出しているのでパワーダウンでタコメーターの表示が0rpmとなったところから、イグニッションコイル周辺に問題があると予想された。コイルの不調時は発熱を伴うらしいが温度変化はない。実はZZR400N系の弱点でコイルに接続される点火線のギボシ端子の接触不良から起きる失火トラブルが結構あるらしい。
工場長が時間を掛けて点滅する赤いランプが点いている発炎筒の様な検査器具を使って点火信号を追いかけた結果、どうやら20年前のギボシ端子が臭いと言う事になり端子を付け替えてもらった。パワーダウンとエンジンの掛かりが悪い原因が同一か否かは確定出来ないがそれ以降はエンジン起動にもたつく事はなくなった。丁度気温が上がり、これからツーリングシーズンになるのでFZ1GTはバッテリーの追加充電をしてやり、ZZR400Nにはタンクバック装着位置とタンクパッドの上に擦り傷対策でカーボンシートを貼り付けて御化粧をしてやった。
果たしてZZR400Nが長距離ツーリングに耐え得るか否か試すべく、福岡県の基山PA側でR3沿いの商業施設ベレーザ筑紫野に向かう事にした。ここの2FにはTamTamと言う模型屋があり、品揃えが豊富で丁度塗料が欲しかったので買い物ついでに試走となった。
朝9時に自宅からスタート。R34からR3に乗り換えて何の問題も無く、ベレーザに到着。ラッカー4色と雑品を買って引き返す。鳥栖市に入り気になっていたK17線沿いにある南海部品久留米店小森野店を偵察した。結構規模の大きい店舗で品揃えも良い。探検が終わり、昼食がまだだったので佐賀市まで戻りコメダで味噌カツサンドとミニ白ノワールでカロリー補給。同時に二品注文したせいか、デザートのつもりの白ノワールが先に出てきてしまった。最近お気に入りの名古屋メシポイントである。退店時、既に午後四時前だったので休憩無しで給油後に帰宅した。
今年で二十歳になるZZR400N4はいつ何が起きても不思議では無いお年頃だけと今日の試走では全く不具合無しで完璧な走りだった。ロングツーリングに耐えられると判定する。
本日の走行距離282km 所要時間9.5H 平均燃費26.1km/L
今年で二十歳になるZZR400Nが点火系のトラブルで入院した翌日の事。夜の国道のBPを走っていたらほぼ全ての車が追い越し車線に入らず走行車線側を走っていた。何台か処理しながら走っていくと前方に赤いランプが点滅しているのが見えたので赤いランプから4台後方で走り続けた。しばらく行かないうちに後方から路肩をすり抜けながら勇者様が乗ったスクーターが追い抜いて行く。勇者様は何も恐れず赤い回転灯の前に出て制限速度プラスαで走る。我々の様な分別のある者は赤い物には警戒するものだが、勇者様は違う世界に住んでいるので行動原理が違う。
勇者様の英雄的行為に恐れをなしたかどうかは解らないが赤いランプは点滅したままの状態で数分が過ぎ、BPの峠を越して長い下り坂に差し掛かった時に前方から男性の声が聞こえた。赤いランプの前を塞ぐ勇者様の走る速度が若干落ち、大きな交差点の手前で勇者様がスクーターを停めたのが見えた。我々は慎重にその横を抜けながらミラーで様子を窺うと赤いランプから人影が出てきて憮然としている勇者様に近づいて行く。
我々が見た最後の勇者様の姿はここまでであった。勇者様は国家財政に喘ぐこの国の為にその身を挺して国庫に貴重な寄付をしてくれたに違いない。勇者様は決して死なないしリセットで何度でも蘇る。凡庸なる我々には真似の出来る事ではない。君子危うきに近寄らず。死んだ御祖母ちゃんの言う通り。
勇者様の英雄的行為に恐れをなしたかどうかは解らないが赤いランプは点滅したままの状態で数分が過ぎ、BPの峠を越して長い下り坂に差し掛かった時に前方から男性の声が聞こえた。赤いランプの前を塞ぐ勇者様の走る速度が若干落ち、大きな交差点の手前で勇者様がスクーターを停めたのが見えた。我々は慎重にその横を抜けながらミラーで様子を窺うと赤いランプから人影が出てきて憮然としている勇者様に近づいて行く。
我々が見た最後の勇者様の姿はここまでであった。勇者様は国家財政に喘ぐこの国の為にその身を挺して国庫に貴重な寄付をしてくれたに違いない。勇者様は決して死なないしリセットで何度でも蘇る。凡庸なる我々には真似の出来る事ではない。君子危うきに近寄らず。死んだ御祖母ちゃんの言う通り。



金立SAでトイレ休憩して鳥栖JCTを通過するまではお天気はそれなりに良かったが基山PAを過ぎた辺りから進行方向の雲行きが怪しい事に気がついた。福岡ICを通過する頃には右手の山の頂上に雨雲らしい黒い雲が見える。古賀SAで休憩中に小雨が降り出し、このまま進むか戻るかの判断を余儀なくされる。
どのみち引き返すとしても次のICまでは進まなくてはならないので取りあえず空を見ながら走りだす。
心配するまでもなく、青空が見え始めて八幡JCTは路面まで乾いていたので都市高速で山路ICを目指す。途中事故渋滞に遭ったが北九州市のお天気は晴れていたので問題は無かった。
市内で買い物を済ませ復路のお天気が気になったので早々に引き上げた。矢張り古賀辺りのお天気は微妙だったが雨具無しでも大丈夫な程度だった。大宰府ICに着く頃に昼時になったので都市高速に乗り換えて毎回福岡詣で恒例の大和家で唐揚げ丼の大盛りを食べる。相変わらず盛況な客入りで賑っている。丼を平らげている間に小雨が降り出していたので急いで退店。いつもの三瀬峠方向も黒い雨雲が立ち込めていたので再び都市高速に乗って大宰府ICに向かうと数分の間で雨のエリアから脱出した。本当なら福岡市内にて先日バルブ切れを起こしたZZR400Nの新品バルブとバイクグッズを物色する予定だったがお天気がどうなるか保障がないので素直に来た道を帰る事にした。
全行程がほぼ高速道路だったのでそれなりに防寒対策をした。多少問題を残したので翌日近所の南海部品にて首と顔の下半分をカバーするマスクを購入した。赤札物の掘り出しものだ。これで公安から何とかジョンに間違えられなくて済む。ホカロン貼りまくり作戦は成功でこれはコスパを考えれば癖になるな。問題は指の冷えでグローブを二枚重ねていたが朝方は冷えてきた。グリップヒーターよりはハンドルカバーがコスパは良さそう。今は亡きZZR400乗りの友人の”カブのハンドルカバーって言うな!”の言葉が懐かしいな。







何か確信があったわけではないがこの冊子を取り寄せではなく、直接買い付けに行こうと思っていた。意外にチャンスは早くきた。鹿児島市の鴨池港からフェリーで垂水に渡りバスで航空隊前に到着した。資料館2Fは原則的に撮影禁止エリアだった。窓口にて魂のさけびを購入して旧帝国海軍の展示エリアを進むと特攻隊員の遺影のエリアに入る。窓口でここの資料館は鹿屋基地だけでなく特攻隊員として戦死認定された英霊の遺影を展示していると確認していたので叔父を探した。叔父の遺影はやはりここにあったが壁面の遺影の下のショウケースに更に遺影と白い布が展示されているのが見えた。帝国海軍の航空兵が首に巻く白いマフラーに叔父の自筆の辞世の句が細筆で書かれていた。”魂のさけび”に記載されている叔父の遺言とされる句であった。解説に出撃直前に叔父はこのマフラーと遺書を整備兵に託して飛んでいったとあった。
私が東京恵比寿の防衛省防衛研究所の戦史資料館で見つけた叔父の遺書とマフラーの辞世の句。何故遺言とされる物が二つ存在したのかこれで理由が解った。70年の歳月を経て遥か故郷から離れた地で叔父の遺した字を見るにあたり多少なりとも気が動顚してしまった。落ち着くのをまって窓口に行き遺族関係者である事を説明して白いマフラーの辞世の句を海上自衛官立会いの下で撮影させてもらった。担当の自衛官は英霊のエリアを出入りする度に遺影に一礼している。遺影、遺品は遺骨と同様に扱われるようだ。撮影後に当資料館の叔父に関する展示資料をプリントして持たせてくれた。担当自衛官が退館するまで付き添ってくれ、遺族関係者に敬意を表しているのが解り恐縮してしまった。
亡父が言っていた”知覧から零戦に乗って沖縄で死んだ。”と言う間違いをやっと正す事が出来たと思う。叔父は昭和20年3月19日に第一国分基地から彗星33型に乗って九州沖航空戦で散華したのである。少し肩の荷が下りたような気がすると同時に少し疲れた気持ちで帰路のフェリーから見た桜島を叔父も見たのだろうと思うと様々な思いが駆け巡るのである。