今日6月2日は4年前に亡くなった

父の命日です。

 

 

 

ずっと介護型病院に入院していたので

コロナで家族も面会はずっと禁止でした。

それがようやく家族だけは面会が

可能になったのが6月2日。

 

 

 

近くに住んでいた姉と弟は面会できた

その日の夜に急変して亡くなりました。

 

 

 

数年前から認知症が進行していたけど

認知症って馬鹿になる訳じゃないので

やはり最後まで父は父で時々、

びっくりするような鋭い事を言って

驚かされたり励まされたりしていました。

 

 

 

わたし、父の愛情に気づけなくって

ずっと父の事が嫌いでした。

 

 

 

 

 

でも思い返すと、自分の思うような時に

思うような愛情をくれるのが父親だろう!

と思ってたんですよ。

そしてそれが子供の当然の権利だくらいに。

 

 

 

なんという傲慢!!

(もう、あほすぎて笑ってしまう)

 

 

 

 

わたしの結婚式の前夜、晩酌の父が

夜遅く珍しく荒れていました。

 

 

 

「あれは結婚なんか一生せんと

言っとたじゃないか!」

「あれ」とはわたしの事だけどね。

そんな声を壁越しに聞きながら、なんかやだなぁ

と思っていたんだけど、

 

 

 

あれはわたしのかすかな罪悪感だったんだな。

 

 

 

四人も居た娘がついに全員嫁いでしまうんだから

そりゃあ寂しかったよねショボーン

 

 

 

 

 

 

寡黙で厳格な父は無駄話をほとんど

しない人だったけど、晩年認知症になって

いっぱいしゃべるようになって冗談とか

言うようになって、

いたずらを孫にするようにもなってね、

 

 

 

もしかしたら、こっちが本来の父

だったのかもなと思いました。

 

 

 

おかげでいっぱい父と話す事が出来て、

いっぱい父に触れる事が出来て、

「育ててくれてありがとう。」も

ちゃんと言えてのさよならになりました。

 

 

 

思ってる事は思ってるだけじゃ

伝わらない。言葉にしなきゃ。

これも知識としてじゃなく体感として

教えてもらった気がします。

 

 

 

親の大きな愛が理解できないのは

子供である自分はそんな大きな愛を

持っていないから。

 

 

 

自分にかけらもないものは認識できない

ようになっていて、自分が持ってる

小さな愛が愛のすべてなんだと思ってる。

 

 

 

こんな勘違いを持ったまま生きていて

人生辛くしてる人がまだいるんだよね。

 

 

 

年々鏡を見るたびに父にそっくりに

なっていってるなと思いながら、

父を、生きてた時よりもより身近に感じて

生きておりますのです。

 

 

 

 

 

 

あんなに父を動揺させたのに、

結局離婚しちゃってごめんねショボーン

あの時もなんにも言わなかったよね。

きっと心配してくれてたんだろうな。

 

 

 

広島から思い切って横浜に越したのも

父がいなくなったからというのも

大きな要因で、父の2年前に母も

亡くなっていたので、ここに居なくても

いいんだなと思えたんですよね。

 

 

 

父が背中を押してくれてたのかな。

 

 

 

6月は父の日がありますよね。

母の日と比べるとなんとなくマイナーな

感じだけど、思いは思ってるだけじゃなく

言葉にしてみてくださいな。

 

 

 

それって結局

言った側の為なんだなと

気付く時が来ますからハート

 

 

 

 

 

 

今日も最高の一日に音譜

 

 

 

 

 

星5月によく読まれた記事星

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログには書けない裏話をLINEで配信中

無料相談やお話会のご案内は

LINE公式でご案内しております

 友だち追加

 

 

提供中のメニュー

現実が変わらなければ意味が無い!
これがわたしのコンサルティングです
これまで何十年も変わらなかったのだとしたら
別の方法を選択するべきだと思いませんか?



心の奥深くから根こそぎ変えてしまう
🔸単発コンサルの詳細お申し込みはこちら


4か月間徹底的に伴走して人生を変える
🔸徹底サポートコンサルの詳細お申し込みはこちら
     

更に現実を変えて行きたい方のために
🔸徹底サポート継続コースの詳細お申し込みは
こちら
 

 

 

マツウラレイコの人生ストーリーはこちら

 
image