K's SHOPのブログ -6ページ目

夜間飛行 − サン・テグジュペリ

・「あいつは何も考えない人間だが、それだけにかえってまちがった考えを持つ心配のない男だ。」


・「規則というものは、宗教でいうなら儀式のようなもので、ばかげたことのようだが人間を鍛えてくれる。」


・配下の人員が休息に対する招待みたいに、悪天候を喜ぶのを禁ずることで、彼は彼らに天候回復の熱望を与えた。


・「苦悩をも引きずっていく強い生活に向って彼らを押しやらなければいけないのだ。これだけが意義ある生活だ。」


・「部下の者を愛したまえ。ただそれを彼らに知らさず愛したまえ。」


・「経験が法を作ってくれるはずです。法の知識が経験に先立つ必要はありません。」


・愛されようとするには、同情さえしたらいいのだ。ところが僕は決して同情しない。いや、しないわけではないが、外面には現さない。


・失敗は強者にとっては滋養になる。


・人生には解決法なんかないのだよ。人生にあるのは、前進中の力だけなんだ。その力を造り出さなければいけない。それさえあれば解決法なんか、ひとりでに見つかるのだ。

ルバイヤート − オマル・ハイヤーム

・よい人と一生安らかにいたとて、一生この世の栄耀をつくしたとて、所詮は旅出する身の上だもの、すべて一場の夢さ、一生に何を見たとて。


・酒を飲め、それこそ永遠の生命だ、また青春の唯一の効果だ。花と酒、君も浮かれる春の季節に、たのしめ一瞬を、それこそ真の人生だ!

女について − ショーペンハウアー

・女の姿態を一瞥すれば、すぐさま、わかることだが、女は精神的にも肉体的にも、大きな仕事をするのには、生まれつき、ふさわしくないのである。女は、人生の責任、いわば、負債を、行為によって償うのではなく、受苦によって、つまり、分娩の苦しみとか、子供の世話とか、夫に対する服従---夫に対して、妻は、常に、辛抱づよい快活な伴侶でなければならない---などによって、償うのである。極度に激しい苦悩とか歓喜とか力わざなどは、女性には向いていない。むしろ、その生活は、男性のそれよりも、静かで目立たず、平穏に過ごさなければならない。とはいえ、本質的に、より幸福とか、またより不幸だとか、いうわけではないのである。


・わたしたちが、ごく幼い自分、わたしたちを育て、ものを教えこむのに、女が全く適役であるのは、女というものが、自らも、子供っぽく愚かしくて、そのうえ、身辺の物ごとだけを見ている、いわば、一生、大きな子供であり、要するに、子供と、真の人間である成年男子とのちょうど中間に位する段階に属するからである。まあ、一日じゅう、子供と一緒になって遊んだり踊ったり歌ったりしている少女の様子をよく観てごらんなさい。そして考えも見たまえ、一人前のれっきとした男が、その少女の代役をつとめることになったとしたら、どんな好意をもって努力してみたところで、果たして、何が出来ることかを。


・音楽に対しても、詩作に対しても、さらに、造形美術に対しても、女たちは、事実上またほんとうに、感受性や理解を有ってない。もしも、そのようなもので女たちが感激したようなふりをするなら、それは、女たちが他人に迎合するための単なる模倣に過ぎないのだ。それで、ルソーも、すでに、言っている。「婦人は、一般に、いかなる芸術をも愛してはおらず、また、理解してもいないし、そのうえ、何らの天才も有っていない」と(『ダランベールへの書簡』第二十項) こんなことは、ものの概観にとらわれない人ならだれしも、すでに気がついているであろう。演奏会、オペラ、劇場などで、女たちの注意を払う向きと具合とを観察するだけでも、わかる。たとえば、偉大な傑作の最も立派な場面の最中にも、女たちはおしゃべりをやめようとはしない、その子供らしい、無邪気さを見たら、よくわかるだろう。


・女たちは、いわゆる「セクス・セクイオール」〔価値の劣る性、アプレイウス『メタモルフォーセス』第七巻第八章〕で、どの点から見ても、男性の後に立つ第二級の性である。それゆえ、女性に対して尊敬を払うのは、度はずれに滑稽なことであるし、そんなことをすると、女性自らが男性を見くだすようになってしまう。


・ヨーロッパにおける真の「淑女」は、全く存在すべからざるものであるが、主婦および主婦になることを望む少女は存在せねばならぬ。従って、少女は横柄にならぬよう、そして、家事と服従とに向くように教育されなければならない。


・ところで法律が女性に対して承認する権利と名誉とが、女性の自然的な関係を、より多く超えて高められれば、高められるほど、実際に、この特典にあずかるようになる女性の数は、それだけますます減っていく。そして、この法律は、これら少数者にその度を超えて与えたのと同量の自然的な権利を、それ以外のすべての女性たちから奪いとるのだ。なぜなら、一夫一婦制の機構と、それに付随する婚姻法とかが、何ら斟酌するところなく、一般的に、女性と男性をを全く同等の価値あるものと認めてしまい、これにもとづいて、女性に付与された-反自然的な、しかも女だけに利益のある-地位は、聡明にして注意深い男性をして、かように大きな犠牲を払って、しかも、かように不平等な契約を結ぶことを、はなはだしばしば躊躇逡巡せしめるからである。それゆえ、一夫多妻制の諸民族にあっては、すべての婦人が扶養されているのに、一夫一婦制の民族においては、結婚している婦人の数は、ほんのわずかばかりに限られ、扶養者を有たぬ婦人が無数に、とり残されていて、その上流社会に属するものは無用の老女として座食しているが、下流社会にあるものは、不適当な重労働を課せられるか、さもなければ、売春婦となるのだ。これらの売春婦たちは、全く喜びもなく名誉もない生活を送っているとはいえ、このような状況のもとでは、男性を満足させるために必要として欠くことのできないものであるし、それゆえこそ、すでに夫をもっている、或いは夫を持つ希望を抱くことの許されている-幸福に恵まれた-女性を、男性の誘惑に対して保護するという特殊な目的を有つ、一つの公認された階級として、現れてきたのである。


・ヨーロッパに、いわゆる「淑女」がいるからこそ、身分の低い女たち-すなわち女性の大多数を占めるもの-が、東洋におけるよりも、はるかに不幸な目にあっているのだ、バイロン卿ですら言っているではないか
(トーマス・ムーア編『書簡および日記』第二巻三九九ページ)。「古代ギリシア人の間における婦人たちの状態を考えてみると-全く当を得たものであった。騎士および封建時代の野蛮の遺風たる現今の状態は-人工的であり不自然でもある。女たちは家事に心を配らなければならない-そして、よい食物をとり、よい衣服をまとう必要はある-しかし、社交のうちにまじらわなくともよかろう。なお、宗教については、十分に教育されなければならない-けれども、詩や政治の書を読む必要はなく-ただ、信心のことや料理に関する本を読んでおればよいのだ。音楽をしたり、絵を描いたり、ダンスをしたり-時には、少しばかり庭いじりや畑仕事などをやるのも、よかろう。わたしは、エピルス〔ギリシアの西部、アルバニアとの国境にまたがる地方〕において、女たちが道路の修繕をやり立派な成功を収めているのを見たことがある。それゆえ、枯れ草を作ったり乳を搾ったりするのと同様に、このような仕事を女たちにやらせてはならぬという理由が、果たしてあるのであろうか?」と。


・一夫一婦制の布かれている、わたしたちのヨーロッパ地区において、「結婚する」ということは、男性が自己の権利を半減し、かつ、自己の義務を倍加するという意味になる。考えてみると、法律が女性に男性と同等の権利を与えたときに、当然、法律は、また、女性に対して、男性の有っているような理性をも与えなければならなかったのであろう。


・小説によって、彼らの心のうちには、まるっきり間違った人生観が引っぱりこまれ、また、けっして実現され得ないもろもろの期望が起こってくる。このようなことは、おおかた、全生涯を通じて、有害な影響を及ぼすのである。


ショーペンハウエルが挙げる四大小説

ルソー 「新エロイーズ」
スターン「トリストラム・シャンディ」
ゲーテ「ウィルヘルム・マイステル」
セルバンテス「ドン・キホーテ」