おまじないコブラはじめました。 -163ページ目

おまじないコブラはじめました。

河内美雪さんの『借金王キャッシュ』好きが昂じてこのようなタイトルをつけましたが、中身は数学オタク中年乙女のボヤキです。悪しからず御了承くださいませm(_ _)m

科学的考証とかできてないため、ウンチクは話半分で読んでください。

年始の初売りで『ワイン富くじ』なるものを買いました。

丈夫そうな紙箱に1本ずつワインが入ったものがずらりと60本並ぶなかから一本選ぶスタイルで、1等はなんとシャトームートン・ロートシルト1995年(そのお店での平素の販売価格は10万円以上)!

2~5等も、程度の差はあれ全て販売価格以上のハズレなし。

というわけで、意気込んで箱を『わしっ!』と掴んだところ、案の定5等でした。

ま、そんなものだよな。

お値打ちなのに、5等だと損したような気になる、この不思議よ。

あからさまに落胆した客(ワタクシ)を励ますように、お店のお嬢さんがワインの説明をしてくださいました。

「ローヌ地方のワインで、スパイシーな中にもまろやかさがあって、とてもおいしいですよ(^^)」

にも関わらず、それを聞いて(あ、シラーなのね)などとテンション低めに知ったかぶる、若干感じの悪い客に成り下がってしまいました。

いけませんな。ワインにもショップスタッフさんにもなんの非もないのに。



と思い直し、先週末、このワインを開封しました。



あらやだ、床に髪の毛が…




さておき、こちらのワインは『ルネ・ロスタン コート・ロティ・アンポジウム 2011』です。


フランスの高級ワインは、ラベルはシンプルなのに、名前がやたらと長い。どうしたもんかな…

気を取り直し、この名前について簡単に説明しますと

『ルネ・ロスタン』は生産者の名前。
『コート・ロティ』は生産地。
『アンポジウム』は、ググっても勝手に“シンポジウム”の検索結果にすり替えられてしまい、よくわかりませんでした。

簡単にまとめれば

『フランス北ローヌのコート・ロティという場所でルネ・ロスタンさんが2011年につくったワインですよ』

ということらしいです。

使用されているブドウ品種は、シラー100%です。コショウのようなスパイシーさが特徴のブドウで「肉を喰らえ!」と言わんばかりのワインによく使用されています(ちょっと偏見入ってます)。

コート・ロティには『焼ける丘』という意味があるそうで、ジリジリと照りつける強い日差しと水はけの良すぎる急斜面という過酷な環境が、上質で力強いシラーを育てるようです。

このワインは、そんなコート・ロティにロスタンさんが所有する13の畑で栽培されたシラーからつくられているそうで、この生産者のものとしては、比較的リーズナブルです(それでも庶民には高価だよなぁ)。

で、肝心の味わいなんですが、正直、ちとムズカシ目です。

ふだん飲んでいるようなリーズナブルなワインは、スパイシーなものはハッキリとコショウ風の味がしたり、果実味豊かなものは分かりやすくフルーティーだったり、樽熟成ならハッキリとウッディだったりバニラ香が漂ってきたりしますが、全てが複雑に絡み合っているような感じでよくわかりませんでした。

シラー、グルナッシュ、カリニャンまぜまぜ的なワインは好きでよく飲むのに

「あれ、お馴染みさんどこにいらっしゃるの?」

と、キョロキョロしてしまいましたよ。

そんなあんばいで、いろいろ見失いながら飲んでみたものの…

むむう。

ワタクシには、まだ大人ワインは早かったのか…

と思いつつ一杯だけおかわりしたら、なんとまあ、別物のように旨いのです。

まるで、会ったばかりのときはムッツリしていた人が、急に打ち解けて饒舌に話しはじめるような変化です。

どうやら、一杯目とおかわりの間に二時間サスペンスを一本見たのが効を奏したようです。

なるほど、これが『開く』って言うことなのか。なんだ、上等なワインって人見知りなのね~




日々の生活では、なにかと作業効率やスピードを求めたり求められたりしがちなのですが、こういうお酒は、じっくり時間をかけることの大切さを教えてくれるような気がします。

我が家に来てからもですが、来るまでも時間をかけて熟成されてますし(本当はもう少し寝かせた方がもっとよくなるのですが、いかんせん我が家にはワイン様の理想の寝床がない)ね。




本当は、どんなものでもそうなんだろうな~と思いつつ、本日はこれにて失礼。



















イライラしたとき、焦ったとき『息を吸う』のは危険です。過呼吸に陥る恐れがありますから。

『深呼吸』という文字をよく観察すると『深く吐い(呼気を出し)てから吸う』って書いてるでしょ。

息をゆっくり吐くと、無駄に上がった心拍数も下がるし、既に空気が入った肺に無理やり空気を詰め込んでも苦しいだけ。

まずはリリース。

空き容量ができてから取り込みしましょう。



なんて余裕は、焦っているときにはないよな~



既にお気付きの方もおられるかもしれませんが、昨年秋からちょっとお酒に関する記事が増えております。

胃腸の調子が上向いたというわけでもないのに、やんわりと酒量が上がったり、暇を見つけてはワインのブドウ品種についてネットで検索していたりするため

「やはり自分はアルコール依存症なのでは?」

と、ちいとばかし怯えておったのですが、そのような話を珈琲工房香幸さんでしたところ

「本物のアル中なら『なんでもいいからとにかく飲む』筈ですからまだ大丈夫だと思いますよ」

てな、優しい気休めの言葉をかけていただきました。

あいかわらずいい人だな~



ともかく、今後も

「お酒はスピリタス(度数96%)やで!」と言い出したり、量販店でとにかく安いお酒を大量に買い込んだりする日が来ないよう、心して飲んだくれたいと思います。




かように

「どんなお酒でも私はお酒が好き」

という域はもう少し遠そうだと胸を撫で下ろしつつ

「どんな○○でも私は○○が好き」というのは、深いようでいて危険だなぁ、と、最近、改めて思っています。

「モノに貴賎はない」と、モノの背景に想いを馳せ、僅かかもしれない美味しさや良さの気配を味わう人をほんのり尊敬の念で見る一方で、同じようなフレーズを口にする人には、明らかな思考停止を感じることも少なからずあります。

「どんな人でも私はあなたが好き」とかね。

いや、無理です。

極端な話ですが、ギャンブル依存症の夫のために身を粉にして働いて自分の存在意義を確認し続けるなんて、不毛にもほどがあります。

あの人の幸せは、パチンコで高揚感を得ること。

私の幸せは、あの人に必要とされること。

一見利害は合致しているようですが、あの人が必要としているのは、私ではなく私のもたらすパチンコ代。

それでも、あの人が好き。

って、なんだそりゃ。

弱い人を支えようという心意気は立派ですが、相手に対しても自分に対しても、ある程度の冷徹さを持ったほうがいいと、個人的には思います。

嗚呼、でも余計なお世話だなこりゃ。





てなわけで、今年も

「どんな愛でも私は愛が好き」

的、フランス人気質(偏見にもほどがあるわ…)の情には縁の薄いワタクシですが、人もお酒も珈琲も、ほどほど冷静に個性を楽しみつつ、長~くお付き合いしたいと思うこの頃です。