疑う私と、そっと寄り添う夜

 

今日ね。

またザワっと、ガリってしたよ。

 


夫の仕事は呼び出しがあるんだけど、最近はなかったんだ。



そして今日、呼び出しがあってね。

「深夜に仕事に行かないといけない」って。

 


その瞬間、胸の奥がザワっと波立って、モヤっとして、ガリっとした。



「え?ほんとに?仕事?」って。


まだ、疑ってるんだなぁって。



いつまで疑うんだろうって、ちょっと自分を責めた。

 


でもね、疑ってもいいよ。


そうだ、疑うさぁ。


だってさ、夜にいなくなるって、やっぱり寂しいもん。

 

私は優先されないんじゃないかって、不安になっちゃうもん。


だって、だって、あの時、ずっと苦しかったもん。

 

もっと愛してよ。


いっぱい、いっぱい愛してよ。


私だけを見てよ。


私だけを。

私だけを。

もっと大事にしてよって



思いつくまま、言葉にして出してた。

 

ワンコと散歩しながら。


ワンコも、私の方をしょっちゅう振り返ってた。


まるで「ちゃんと聞いてるよ」って言ってくれてるみたいに。

 

怖さや不安の鎖を解くように、


歩きながら、吐く呼吸を丁寧にしたの。

 


そしたらね。

気持ちが少し、楽になった。

 


その後、夫の職場から電話があって、

「深夜じゃなくて、早朝に出勤になった」って連絡があった。

 


正直、ホッとした。

やっぱり、夜は一緒にいたかったんだ。

一緒に過ごしたかったんだよね。

 


まー、

まだまだ、疑う私がいる。


でも、そんな私に、とことん付き合っていこう。


そんなふうに感じた、夜だった。


 

そう思って、眠る前に

そっと、夫に気持ちを伝えてみた。

 


「夜、一緒にいれなかったら不安になるから、

今夜いてくれて、ほっとした」



「深夜じゃなくて早朝に変わって、嬉しかった」って。

 

ハグしながら言葉にしたら、

夫は笑って、ぎゅっと抱きしめてくれた。

 


言葉にするって、やっぱり怖い。

でもね、伝えてみてよかった。

 


あぁ、きっとこういうことの積み重ねなんだなって思った。



一人で抱えず、素直に伝えること。

こわくても、言葉にしてみること。

 

その先に、

こんなふうにぬくもりが返ってくることもあるんだなって


そんなふうに感じた、静かな夜でした。

 

今日ねー


オレンジ色の長財布、買っちゃったラブ


 

13年前に、夫がバーバリーの財布を買ってくれて、

それをずーっと使ってたんだよね。

 


買ってもらった理由が「パチンコで勝ったから」っていうのも、今思えば笑えるけど、



ほんとはね、勝ってなくても、買って欲しかったんだよ。



そんなこと、昔の私は口に出せなかったなぁ。

 


それでも、大切に大切に使ってきた。



でも、さすがに最近はハゲてきてて、そろそろ新しいお財布が欲しくなってた。


 

そして今日。



出会ってしまったのが、オレンジ色の長財布。


メイド イン ジャパンで、


手触りもすごく柔らかくて、


手にした瞬間、「あ、これだ!」って、心が決まった。

 


オレンジ色には、


「ぬくもり」「喜び」「つながり」「創造性」


そんな意味があるらしい。


それを聞いて、ますます気に入っちゃったおねがい

 


ほんとはね、7月24日が【一粒万倍日・天赦日・大安】のトリプル開運日らしくて、


“その日から使った方がいい”っていう声もあるけど……



いやいや、待てません!爆笑



もう今日から使うって決めたチュー

 


だって、



今日は休みだった夫が、勤務先まで迎えに来てくれて、


なんだかその空気が嬉しくて、



「一緒に財布見たかったな〜」って、素直に思えた。



そんな気持ちが湧いたのも、私にはとっても大事な変化。

 


そういえば、最近、選ぶ洋服も明るくなってきたの。


以前は黒とか紺、グレーばかりだったけど、


最近は、黄色や緑色、白色、手が伸びるようになってる。



それもまた、小さなうれしい変化。

 


変わらなきゃ”って思うと苦しいけど、



“なんか最近、変わってきてるかも”


って気づくのって、



ふんわりあたたかい、自分へのギフトみたい照れ

 

私は、ずっと評価されるように生きてきた。


「ちゃんとしてる人」


「しっかりしてる母親」


そう見られるように、強くあろうとしてきた。



でも本当は、


その奥にずっと、揺らいでる私がいた。


泣きたくても泣けない、


助けてって言いたくても言えない私。


 

娘を産んだあと、


不妊治療をすぐに再開したのも、


今思えば


「2人目が欲しい」より、



「一人前に見られたい」


「負けたくない」って気持ちが



強かったのかもしれない。



 本当に私の世界は、勝ち負けの世界だった。


でも、もう


そこから降りたい。

 


娘・みおを人工死産したときも、


不妊治療の末にようやく授かった命だったのに、


私は母に相談もできなかった。



事後報告にしようと入院した。


「責められる」「怒られる」



そんな怖さの方が先に立って、



母にさえ、弱音が吐けなかった。

 


でも、ラミナリアで子宮口を広げて、お腹が痛かったとき、


母が突然、片道2時間かけて船に乗って来てくれた。


顔を見た瞬間、

「どうしよう、怒られる」って思った。



でもその瞬間、

心のどこかが、ホッとしていた。



母は、背中をさすってくれて、

こう言ってくれた。


「たとえ小さな赤ちゃんでも、あんたはちゃんと産んだとよ」



その言葉が、私を救ってくれた。


私は、怒られると思っていたのに。


非難されると思っていたのに。


ほんとは、


ずっと寄り添ってほしかっただけだったんだ。

 


そして今もなお、


「強がる私」は、どこかにいる。



でも、その奥にある


揺らぐ私も、涙を流す私も、


弱くて、時には“醜い”と思ってしまう私も、


ぜんぶぜんぶ、私。



そんな私に、


「それでもいいよ」って、


今日、初めてそっと手を差し伸べてみた。


撫でるように、呼吸してみた。


ふわっと、少し、力が抜けた。


これからは、



「どう思われるか」じゃなくて、



「私はどうしたいの?」って自分に寄り添って生きていきたい。



そしてなにより



娘には、


“ちゃんとしてなきゃいけない世界”を背負わせたくない。



私のところでは、


「泣いてもいい」


「弱くてもいい」


「怒ってもいい」って、


安心してもらえるような母でありたい。



今日のこの気づきは、



きっとその第一歩。



私が私に寄り添い始めたら、


きっと娘も“自分でいていいんだ”って


感じてくれる気がする。

 

7月1日

今日は、私の中に宿った命、みおの誕生日。


そして、みおがこの世を旅立った日でもあります。


不妊治療を続けて、ようやく授かった初めての命。


それが、みおでした。


妊娠がわかったときは、本当に嬉しかった。


悪阻も辛かったけど、


それすらも「命を授かっている証」のようで、


嬉しくて仕方なかった。


胎動を感じたときには、もう感動でいっぱいで、



お腹の中に、たしかに命がいることが、何よりも幸せだった。



でも、ある健診の日。


エコーを見ていた先生の表情が固くなって、



「首の後ろに浮腫がある。大学病院に行ってください」と言われました。

 


急には行けなくて、翌日に大学病院へ。


夫はどうしても仕事が抜けられず、ひとりで向かいました。

 

紹介された先生は教授で、淡々とした口調で、


4Dエコーでいろんな説明をしてくれたけれど、


私の耳に入ってきたのは、


「心臓に重い障害がある」


「生まれても1年生きられない可能性が高い」


その言葉だけでした。

 



絶望でした。



そして、夫と話し合った末、私たちは妊娠の継続を断念しました。



人工死産  あの静かな出産は、いのちの始まりであり、旅立ちでもありました。

 


陣痛を人工的に起こし、子宮口を開き、


私たちは、みおを産みました。


小さな、小さなみおを、私も夫も抱っこしました。


冷たくて、静かで、それでもたしかに“わが子”でした。


それから私は、


「早く元気な子を産まなきゃ」


「みおに申し訳ない」


そんな気持ちに突き動かされて、前に進もうとしました。


でも、心の中ではずっと、


私は母親として最低なんじゃないかって、


自分を責め続けていました。


障害のある子じゃなくて、健常の子がいい


そんな気持ちも、たしかに私の中にありました。



それが、私にとっては大きなエゴのように思えて、


今でもその気持ちはどこかに残っています。



母体保護法の期限の中で、決断までに時間がなかったこと。



何も考えられないまま流されるように進んでいったこと。


命のことなのに、


もっと悩みたかった、


もっと寄り添いたかったのに、


まるで“事務的”だったことが、今でも私の心に痛みを残しています。



でも、今日はようやく、


ずっと言えなかった言葉を口にすることができました。


「私の中に来てくれてありがとう」


って。


涙が止まらないけれど、


その涙は、悲しみだけじゃなくて、


16年前からずっと私の中で生き続けてくれたみおへの、


感謝と、愛しさの涙です。



だから今は、


あのときの私を、責めるのではなくて


ふわっと、やさしく包み込んであげたい。


完璧じゃなかった。


揺れてばかりだった。


でも、それでも一生懸命だった私を。

 

みお、

私の中に来てくれて、ありがとう。

そして、

愛してる



そう言っていいのか、今でも迷う私がいるけど、


でも、やっぱり愛してる。

 


このブログをここまで読んでくれた方へ。 


これを公開することも、ずっと迷ってきました。


でも今なら、少しだけ言える気がします。

 

誰かに届くためではなく、私自身のために、


ようやく出せた、私の言葉です。

 


この想いが、同じように苦しみを抱えている誰かに、


そっと寄り添う言葉になれたら、嬉しいです。

夫が単身赴任から戻ってきて、同居が再スタートして2ヶ月半。

 


いやぁ、最初の頃はね、ほんとに毎日ドキドキしてたの。


まるで新婚生活のはじまり、みたいな感じで。


 

朝、隣に夫がいることが新鮮で、


「おはよう」って言えるのが嬉しくて、


顔を見れるだけで幸せで。


スキンシップもいっぱいで、


ウキウキ気分が止まらなかった。

 


でもね、今思えば、



愛しさと一緒に、「また離れちゃうかも」って不安もあったんだよね。



ちょっとでも距離ができると、なんだか心がざわざわしてた。

 


それが今は、ちょっと変わってきたの。


ウキウキは落ち着いたけど、


その代わりに、じんわりとした安堵感がある。

 

「この人、ちゃんと隣にいてくれる」


そんな感じがしてて、


前よりも、どっしり落ち着いてる私がいる。

 


もちろん、



時々ふと不安が顔を出すこともある。


でも、それでもね、


「信じなきゃ」じゃなくて、


「信じられてきてる」って思えてる。

 


やっぱりね、隣にいてくれるって、それだけで嬉しいもんだよおねがい

 

金曜の夜。

明日は娘のオープンスクールに、三者面談。

 


予定を確認しながら

「また母の出番かぁ」と思ってた。

 


そのときふと、

少し前にもらったボーナスのことを思い出した。

 

「明日、一緒に出かけて

 プレゼントを選びたいな」って

こっそり楽しみにしてたんだ。

 

ちょっとしたデート気分。


夫が喜んでくれたらいいなぁって。

だけど…

 

「何が欲しい?」って聞いたら、

返ってきたのはまさかの一言。

 


「うーん、欲しいものないなぁ。

 強いて言うなら……自由な時間?」

 

えっ!?

ちょ、待ってよ。

 

私の方が自由な時間ないだろうがい

 

心の中で全力ツッコミ。

 

でもね、不思議と

その言葉がじわじわ効いてきた。

 


もしかして、私も同じように

自由が欲しかったんじゃない?って。

 


「あーもう、私だって自由が欲しいんだよ!」


そう思った瞬間、


なんだか心の奥がパーンと弾けた。

 

 

そしたらね、

 


その奥からポツポツと、


“本当にやりたいこと”が浮かんできた。

 


モデルさんみたいに、


プロにメイクしてもらっておねがい

 

お気に入りの服を着て、写真を撮ってもらいたいおねがい

 

いつもの私よりちょっとだけ美しくて照れ

 

ポーズとか決めながら口笛

 

ワクワクしてる自分を感じたいラブ

 

夢を言えば…

 

素足で砂浜を歩きながら爆笑

 

風になびく髪ごと、写真に残したいチュー

 


結婚式の前撮りのときは

恥ずかしくてうまく楽しめなかったけど、

今ならちょっと違う気がする。

 


「私が主役の時間」


味わってみたいんだよね。

 


ネットで調べてみたら、

ロケ撮影はちょっと予算オーバーで

 

正直、「スタジオでいいかぁ…」って

がっかりしかけたけど、

 

いや、待って。

 

「これだけは絶対に削りたくない」

 

そう思ったのが、


メイクはプロにお願いしたいってこと。

 


ぜったいに叶えたい部分は

ちゃんと守ってあげようって思った。

 


それに気づいたら、

なんだかスッと肩の力が抜けて

 


心が晴れた。

 


自由な時間って、

 

誰かからもらうものじゃなくて

 

自分の本音に気づいて、選ぶことなのかも。

 

「自由がほしい」

 

っていう心の叫びの奥に、

 

 

私の願いがちゃんとあった。 

 


私たち夫婦は、たぶん


まったく違うようで、


実は同じことを感じてたんだね。

 


まずは、

 

メイクしてもらって、

 

自分のためにリップをひく。

 


そんな小さな「自由時間」から


はじめてみようと思う。

「義母の家に行きたくない」



そう思う自分に、どこか後ろめたさを感じてた。

 


大好きな夫を育ててくれた人。



だからこそ、冷たくすることが、



なんだか自分の「人としての優しさ」を疑うような気がして。



でも実は、私はちゃんと気にかけてる。


結婚してから毎月、3万円の仕送りもしてるし、


それも心からの行動だ。

 


けれど、そのことを“当然”のように扱われると、


感謝されないまま、私だけが頑張っているようで、


小さな悲しみがじわりと残る。

 


そして、義妹の存在。


義母のそばで、日々献身的にお世話してくれている。


それは本当にありがたいことなのに、



どこかで私は、こんなふうに思ってしまっていた。

 


「あそこまで手を入れるから、義母がああなったんじゃないの?」

 


でもそれって、


相手を責めたいわけじゃなかった。

 


私は、義妹のように支えきれない自分に、


どこかで負い目役不足感を抱えていたんだと思う。

 


私が楽をしているように見えるのではないか、


義妹の負担を思うと、


自分が贅沢をしたり自由に過ごすことすら、


どこかで「悪いこと」のように感じてしまう。

 


 あぁ、ここでもまた、罪悪感が私を縛っていたんだなって思った。

 


でもね、今日、ようやく腑に落ちたんだ。


 

「役割が違う」っていうこと。

 


義妹には義妹の関わり方があって、


 私には私の関わり方がある。



 同じ土俵に立たなくていい。


 比べなくていい。



 

ずっと私は、


「私はここにいるよ」


って、認めてほしくて、


同じように頑張らなきゃって、


土俵に上がろうとしていたんだ。

 


でも、それってまさに、双子として育った私が、


妹と比べられながら生きてきたそのままの延長だったんだよね。



負けないように、


価値を証明するために、


いつもどこかで緊張して、肩に力が入っていた。

 


でも今は、心の奥にこう響いてる。

 



私は私でいい。

勝たなくても、土俵に立たなくても



以前、ポジティブ系のセッションで言われた


「土俵から降りていい」って言葉、


そのときはピンとこなかったけど、



今日、やっと、体と心の深いところでわかった気がした。

 

ああ、こういうことだったんだって。

 

勝ち負けじゃない。


比べる必要もない。


私は、私のやり方で、大切にしていけばいい。

 


そんなふうに思えた今日の自分を、

ほんの少し、誇らしく思う。


そして、やさしく抱きしめたい。

 

今日ね、なんか心がちょっと軽くなったと。

 

 

ずっとモヤモヤしてたんよね。

 

家事のこととか、言いたいこと言えなくて、

 

私ばっかり頑張ってる気がして、なんかしんどかった。

 

 

でも、ふっと気づいたと。

 

「家事を手伝ってほしい」って思ってたけど、

 

本当は、ただ“繋がりたかった”だけだったんやなって。

 

 

頑張ってるよって伝えたかったし、

 

「大丈夫?」って、そばにいてほしかっただけやった。

 

 

気づいたらちょっと楽になって、

 

夕方には、優しい気持ちでごはん作れてたんよ。

 

 

唐揚げは買ったけど(笑)

 

味噌汁は作って、カット野菜もちょこんと添えて、

 

それなりにええ夕飯になったニコニコ

 

 

「ほんとは疲れとっとよね」

 

「作ったあとに片付けまでって、正直きつかとよ」

 

って、

 

ぽろっと言えたと。

 

 

そしたら夫が、

 

「作らんでも弁当でいいんよ。〇〇(娘)も喜ぶかもやし」って。

 

なんかその言葉に、ふわっと優しさを感じたと。

 

 

それよりも、もっと嬉しかったこと。

 


ずーっと言えなかった本音を、今日ついに伝えられたと飛び出すハート

 


「お盆、うちの実家に一緒に帰ってほしかったとよ」って。

 

 

今までは私と娘だけで帰ってたけど、

 

夫にも気を使わせたくなくて、言い出せんやった。

 

でも今日は、「ずっと言えんやったけど、勇気出して言ってみたと」って、笑って言えた。

 

 

そしたら夫、「一泊ならいいよ」って。

 

……泣きそうやった。うれしくておねがい

 

 

「ほんとはもっと一緒におってほしいって思っとるよ」ってことも伝えた。

 

 

夫も「気は使うけんね〜」って、素直に返してくれて。

 

それがまた、ありがたかったと。

 

 

心にずーっと詰まっとったもんが、

 

ふわ〜ってほどけていく感じがしとる。

 

 

やっぱりね、本音で繋がれるって、最高やね飛び出すハート

 

 

今日の“ウフウフ”な気持ち、大切にしたかとおねがい

 

最近、ちょっとずつだけど、体の感覚に意識が向くようになってきた。

 

 

たとえば、眉間のあたり。

そこがずっと緊張してるのに気づく。

 

 

呼吸を深くしてみたり、意識を丹田におろしてみたり、

 

 

緩もうとしてるんだけど、どうも眉間だけはうまくいかない。

 

 

それに気づいたとき、「ああ、ここでも“感じなきゃ”って思ってたんだな」って。

 

 

そして、感じたら何か“気づかなきゃいけない”って、どこかで思ってる私もいる。

 

 

そうやって、ちゃんと前に進まなきゃって、自分をせかしてしまう。

 

 

本当は、「ただ感じるだけでいい」って、頭ではわかってるのに。

 

 

そう簡単にはいかないなぁ、と思う。

 

 

私はたぶん、「特別でありたい」「人と違う何かを持っていたい」って、

 

 

ずっと思ってきたんだと思う。

 

 

普通じゃ、自分の存在が危うく感じることがある。

 

 

「存在を確定したい」

 

 

その気持ちが強いからこそ、人の目が気になるし、

 

 

自分のことを人に話すのが、こわくなる。

 

 

この気持ちをブログに書いてみよう、と思っても、

 

「どう思われるかな」「重いって思われないかな」って

 

ついブレーキをかけてしまう。

 

 

 

だけど、そんなふうに感じてる自分を、

 

今はちょっとずつ、許してあげようって

思うようになった。

 

 

特別であろうとする私も、

 

 

焦ってる私も、

 

 

全部、ここに“ちゃんと在ろう”としてるサインなんだと思う。

 

 

ほんの少しだけでも、

 

「今のままの私で、大丈夫だよ」って、

 

言ってあげられる日が増えたらいいな。

 

 

特別じゃなくても。

 

気づかなくても。

 

何者でもなくても。

 

 

それでも、私はここにいる。

 

週のはじめ、私は

うんちまみれになりましたびっくり

 

えぇ、もうそのまんまです。

 

自分でもビックリするくらいの惨事で、

 

パニックと情けなさで、

 

心の中はもう「ごめんなさい」だらけ。

 

 

 

でもね、夫に助けを求めたら、

 

変わらずの優しさで、そっと寄り添ってくれた。

 

 

引くでもなく、笑うでもなく。

ただ、そっと、あったかく。

 

 

それからの日々、なんだかね、

 

夫がいつもより早く帰ってきてくれたり、

 

スキンシップも増えたり、

 

夫婦生活もちゃんとあるんですドキドキドキドキドキドキ

テヘッ笑

 

 

その中で、私が一番じーんとしたのは、

 

「私、素直に甘えられるようになってるんだ」って気づけたこと。

 

かつての私だったら、

 

しっかりしなきゃって思って、誰にも見せずに1人で抱え込んでたと思う。

 

でも今は違う。

 

 

情けない姿も、そのまま差し出せて、

笑ってもらえる今がある。

 

 

なんかそれが、

とてつもなく嬉しくて、

ちょっと……ルンルンなんです飛び出すハート

 

 

情けない自分こそ、愛されるきっかけになるのかもしれない。

 

素直に甘えるって、ほんと、最高だね。

 

 

優しい夫に感謝。

 

そして、ちゃんと甘えられるようになった私にも、ありがとうアップ