「義母の家に行きたくない」
そう思う自分に、どこか後ろめたさを感じてた。
大好きな夫を育ててくれた人。
だからこそ、冷たくすることが、
なんだか自分の「人としての優しさ」を疑うような気がして。
でも実は、私はちゃんと気にかけてる。
結婚してから毎月、3万円の仕送りもしてるし、
それも心からの行動だ。
けれど、そのことを“当然”のように扱われると、
感謝されないまま、私だけが頑張っているようで、
小さな悲しみがじわりと残る。
そして、義妹の存在。
義母のそばで、日々献身的にお世話してくれている。
それは本当にありがたいことなのに、
どこかで私は、こんなふうに思ってしまっていた。
「あそこまで手を入れるから、義母がああなったんじゃないの?」
でもそれって、
相手を責めたいわけじゃなかった。
私は、義妹のように支えきれない自分に、
どこかで負い目や役不足感を抱えていたんだと思う。
私が楽をしているように見えるのではないか、
義妹の負担を思うと、
自分が贅沢をしたり自由に過ごすことすら、
どこかで「悪いこと」のように感じてしまう。
あぁ、ここでもまた、罪悪感が私を縛っていたんだなって思った。
でもね、今日、ようやく腑に落ちたんだ。
「役割が違う」っていうこと。
義妹には義妹の関わり方があって、
私には私の関わり方がある。
同じ土俵に立たなくていい。
比べなくていい。
ずっと私は、
「私はここにいるよ」
って、認めてほしくて、
同じように頑張らなきゃって、
土俵に上がろうとしていたんだ。
でも、それってまさに、双子として育った私が、
妹と比べられながら生きてきたそのままの延長だったんだよね。
負けないように、
価値を証明するために、
いつもどこかで緊張して、肩に力が入っていた。
でも今は、心の奥にこう響いてる。
私は私でいい。
勝たなくても、土俵に立たなくても
以前、ポジティブ系のセッションで言われた
「土俵から降りていい」って言葉、
そのときはピンとこなかったけど、
今日、やっと、体と心の深いところでわかった気がした。
ああ、こういうことだったんだって。
勝ち負けじゃない。
比べる必要もない。
私は、私のやり方で、大切にしていけばいい。
そんなふうに思えた今日の自分を、
ほんの少し、誇らしく思う。
そして、やさしく抱きしめたい。