私たちは、二本マストのネリー号でテムズ河を下るため、潮が変わるのを待っていた。すると、ふいに現役船乗りであるチャーリー・マーロウが、自らの体験談を語りだした。それは、かつて蒸気船の雇われ船長として、[コンゴ河]を遡りアフリカの奥地へと向かったときの話だった。象牙交易で一番の業績を誇る出張所の責任者:クルツ氏が病気との噂があり、その真偽を確かめ救出するためだった。
マーロウの口を通して、謎の人物:クルツ氏救出の顛末が語られるのですが、河を遡るにつれ、マーロウと共に、クルツ氏への興味がかきたてられます。
舞台は未開の地。
厳しい気候に、森に潜む怪しげな黒人たちの影。
そして、如何に効率よく収穫物(=象牙)を搾取するかを競う白人たちが、隙あらばと次期支配人の座を狙っています。
訳のわからないままストーリィの勢いに乗って、よう解らんうちに完。
えっ???
頭がついていってなかった。
なので、もう一回読みました。
ミステリィ要素のある冒険小説として、ストーリィだけ追っても十分刺激的ですが、マーロウの心の変遷をたどっていくのが、作者の意図するところだと思います。
二度読むと、伏線がばんばん張ってあるのもわかり、あぁ、こんなところから既に仕掛けてたのネと、惚れ惚れしてしまいます。
例えば、叔母のコネで、契約書に署名するために出頭した会社の門が、そもそもの闇への入口を予言していたりしてね。
そういえば、出発にあたって健康診断を受けた老医師の餞の言葉「穏やかに、穏やかに。」も、クルツ氏の最後の言葉「怖ろしい! 怖ろしい!」と対をなしているように思えてきます。
いや、それよりも、頭蓋骨の寸法を測らせてくれという老医師の<個々人の精神に起きる変化を現地で観察できたら>という言葉のほうが、適切かもしれません。
そして、裕福な叔母を代表とする女の生きる美しい世界と<浅ましい事実と何とか折り合いをつけて生きて>いかねばならない男の世界の対比。
こちらも、ラストに向けての伏線だったのですね。
嘘が嫌いで、働くのも好きじゃないというマーロウ。
その彼が、若き日の経験から、嘘をつくはめになりながらも、仕事を通して自分自身を見つめる機会に出会ったことで、仕事にも、いいところがあるなんて話すのだから、いったい何があったのかと興味津々になるのも解るでしょう。
そう、それが、クルツ氏との出会いのせいなのです。
<各出張所はより良きものへと向かう途上の標識となるべきであり、通商の拠点となることは当然として、同時に文明化と向上と教化の拠点にもならなければならない>と、熱く理想を語っていたクルツ氏が、現地人たちに神とも崇められ君臨し、象牙を思うがままに集め、そして、狂う。
そんな彼の姿を間近にしたのも、蒸気船の船長としてアフリカの地へ赴任したからこそです。
『黒檀』の中でも、象は神聖な動物で、その死体がどこにあるのか現地の人は、白人たちに長い間内緒にしていたという記述があり、クルツが確保した莫大な量の象牙を見て、支配人がそれを<ほとんど化石>と言うのに、思わずニヤついてしまいました。
これは、クルツ氏と原住民との関係を考える材料にもなります。
作者のコンラッドは、てっきりイギリス人だと思っていました。
イギリス国籍は持っているのですが、巻末の年譜でポーランド出身であることを知りました。
カプシチンスキもポーランド出身。
一緒やん。
こんなとこにも、にやにや。
その上、船乗りだった作者は、実際にコンゴ河を遡行し、クラインという名の重病の社員を連れ帰ろうとした経験があるのだそうです。
クルツ(短い)とクライン(小さい)。
マーロウは、コンラッドの分身なのですね。
マーロウが、熱帯の魔境の中、原始の森を背景に、そこで考え、得た信念とは。。。
<地上は生きていくための場所で、嫌なものを見たり、嫌なものを聴いたり、嫌な匂いを嗅いだりもしなくちゃいけない>という事実と、そのためにそこで必要とされる力があるということです。
そして、それは、<自分のためじゃなく、世に知られることない骨折り仕事のための献身>でもあるのだと。
なので、<蛮習廃止国際協会>からクルツが依頼を受け、書いていた報告書の愛他精神に富む素晴らしい小論文の最後に付けくわえられた追記の一行に、マーロウと一緒に度肝を抜かれました。
”獣(けだもの)は皆殺しにせよ!”
クルツに、なにがあったかの詳細は描かれてはいません。
彼の高邁な信念を途中でポキリと折ってしまうほどに、熱帯の魔境も、そこからの搾取を試みる宗主国の企業も含めて過酷な環境だったことは想像するに難くはありません。
しかし、朽ちかけた出張所を囲むように打たれた杭に飾られたものの正体を知れば、私のニヤニヤもここまでです。
そして、頭に浮かんだのが、『虐殺器官』です。
心の闇の奥に、誰もが「虐殺器官」のスイッチを隠し持っているのかもしれないと。
死を前にして、会社に公正を求めるクルツが、自らを省みることはなく、現地人に対する公正には、思い至らなかったことに、唖然とするばかりです。
そんなクルツやその奇行を目の当たりにして、マーロウが選びとった信念こそ、真っ当なものだったように感じます。
それは、クルツ救出に向かうまでに失った黒人の操舵手の死を悼み、カニバリズムから彼を守るための一見非情にも見えるマーロウの行動に表れていると思います。
マーロウは、一種の協同関係と言いますが、私には、『星の王子さま』の王子さまとキツネのように見えました。
そして、そんなマーロウの試されるように注がれる目にさらされる黒人たちの飢餓に対する自制心と、体面ばかり気にかける支配人の自制心の対比。
ときに上から目線だったマーロウが、黒人たちを普通の人間を見る目で見たという一文が、彼の成熟への一歩を物語っているように思いました。
ラストでマーロウが、クルツの婚約者についたささやかな嘘を、誰が咎めることができるでしょうか。
やれやれ! しかし悪夢にせよ、自分で選ぶということには意味があるよ。