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シンガポール通信

Uniquely Singapore
with Global View

~タン・タン・タン・タン~

去る8月27日にシンガポール共和国の大統領選挙が行われ、トニー・タン元副首相(71歳)が第七代シンガポール共和国大統領(任期6年)に選出されました。

今年2011年は国政選挙(任期5年)と大統領選挙とがたまたま重なるという年になったのですが、5月に行われました国政選挙において以前お伝えしましたようにシンガポール共和国始まって以来の「異変」が起こったのと同様に、今回の大統領選挙においてもちょっとした「異変」が起こっていました。

シンガポール共和国大統領は1991年の法改正後民選となっていますが(それまでは、議会による指名)、実際に選挙が行われたのは法改正後初回選挙であった1993年選挙のみでした。

それも無投票では制度改正の意味がないとの理由で、政府が推薦するオン・テンチョン元副首相(→第五代大統領)の対立候補者がいない中、元主計局長を説得して出馬させ争わせたといういきさつです。

現在のナザン第六代大統領(87歳、1999年9月1日~2011年8月31日の二期)のケースでは1999年、2005年共に対立候補者がおらず無投票だったため、実際の投票が行われるのは今回実に18年ぶりでした。

つまり、民選とは言いながらシンガポール共和国大統領というのは従来実質的には政府・与党により有力候補が一本化され、その後押しを受けて決まるというものだったのですが、なんと今回は6名が大統領選挙委員会(PEC)に立候補資格認定を申請し、内4名が資格認定され大統領選を争うという前代未聞の選挙となったわけです。

4名の立候補者(と得票率)は以下のとおりでした。
・タン・チェンボク氏(71歳)34.8% :元議員(PAP党員で6期経験)で医師、チュアン・ハップ・ホールディングス会長

・タン・キンリャン氏(63歳)4.9% :元NTUCインカム保険協同組合のCEO

・タン・ジーセイ氏(57歳)25%  :元公務員でゴー・チョクトン第二代首相時の筆頭個人秘書。資産運用会社AIBガビット・アセットの元マネジング・ディレクター。カジノ開設、死刑制度に反対の立場で政府批判を口にする異色の存在。



・トニー・タン氏(71歳)35.2%   :元副首相でシンガポール政府投資公社(GIC)副会長、シンガポール・プレス・ホールディングス会長、OCBC銀行CEO

4名ともその姓がタン(陳、Pinyin:Chen)ということからおわかりのように皆華人系でした(因みに現ナザン大統領はタミール系)。

四人が争うという前代未聞の大統領選挙戦(国会議員選挙でも前例はありません)を経験したシンガポール国ですが、結果自体は事前の予想通りトニー・タン元副首相が選出されるという順当なものとなりました。もっとも、得票率を見てお分かりのようにトニー・タン氏とタン・チェンボク氏の差はわずか7,269票差という僅差で得票率も35%程度ですのでなんかぱっとしませんねえ。

とはいえ、そもそもシンガポールのPresident(大統領)って何?

といいますか、そもそもシンガポールにPresident(大統領)が存在すること自体知らない方が多いのかと思いますが、このポジションはシンガポール共和国の国家元首とはいえ、あくまでも儀礼的な存在であって、国の実権は首相にあります。(こう言われると、ますますその存在理由がわかりにくくなりますねえ)

英国植民地時代にはイギリス総督がいたわけですが、1959年の英連邦自治州シンガポール発足から1965年のシンガポール共和国発足までの間は、このイギリス総督にかわり、「Yang di-Pertuan Negara」(マレー語で「国家の優れた主人である者」の意)と呼ばれる儀礼上の元首が設置されていました。

現在の大統領職はこの元首職に代えて1965年8月9日から設置されているものです。

現在の大統領職の唯一はっきりした特徴としては国の過去積み上げてきたリザーブの保護管理責任者というところでしょうか。

大統領はGIC及びもう一つの国営投資会社テマセクの決算報告を受ける立場にあり、又政権が予算において過去リザーブの取崩を行う場合は拒否権を行使できるものとされています。(2009年政府予算においてシンガポール国は初めて準備金取崩を行ったのですが、その際に政府は大統領承認を取り付けるという手続きを踏んでいます)


~シンガポール・ドル~



ま、国家元首とはいえ実質的な権力は無いために、国外では殆ど無名なシンガポール大統領ですが、当地に来れば誰でも目にするのがシンガポール初代大統領ユソフ・ビン・イサークのお顔でしょうか。

といいますのも、*「シンガポールドル紙幣」には券種全てこの初代大統領の肖像が印刷されているからです。

*「シンガポールドル紙幣」:
日頃よく使う紙幣としては2,5,10,50ドル(約3,200円)があります。出張者の方が来られるとよく100ドル紙幣を持って来られるのですが、余り一般的ではありません(感覚的には高額すぎる)。お釣りで嫌がられることがたまにあります。とはいえ、調べてみますと実際には更に高額の1,000ドル紙幣や、はたまた世界最高額の10,000ドル紙幣というのが存在するそうです。残念ながら触ったこともなければ他人が使っているのを見たこともありません。一体、お釣りはどうするんでしょうねえ?


シンガポールにおける通貨の歴史ですがMAS(シンガポール通貨庁)のHPで結構詳しい歴史をみることができます。
http://www.mas.gov.sg/currency/currency_info/Heritage_Collection.html


実に様々な通貨の変遷がみてとれて面白いのと同時に、時々の特定の「通貨」なるものへ盲目的な「信奉」をする事自体がいかに馬鹿馬鹿しい事かに思い至ります。
現在、顕在化している所謂「ソブリン」問題というのも、ソブリン性なるもののそもそもの存立理由とその持続可能性とを長い人類史の観点で捉え直すと、それほど驚くことでもないような気がします。



8月9日はシンガポール共和国のNational Dayです。


National Dayというのは、まさに文字通り「国(家)の日」のことであって、ある国が、その国にとって最も記念すべき日として定めた記念日と定義されます。

多くの国では、「独立記念日」、「建国記念日」というものであったり、(君主制の国では、)国王などの君主の誕生日であったりします。

ま、いずれにしても、その「国」の「国(家)」としての「まとまり」の象徴日と言えるかと思います。


(余談ですが、ところで、日本のNational Dayってどうなってるのかと、Wikipediaで「National Day」http://en.wikipedia.org/wiki/National_Day を調べますと日本のNationalDayは2月11日(日本語リンク版の脚注では「日本国との平和条約が締結され占領が解かれた4月28日とする意見もある」ともあります)となっているのですが、日本語で「国家の日」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%81%AE%E6%97%A5 を調べますと12月23日となっています。
で、この「国家の日」の英語リンクを辿ると、最初の「National Day」に戻ってしまい2月11日ということになってしまいます。
つまり、日本語が読めない人にとっては、日本のNational Dayは2月11日という理解になり、日本語が読める人には一体どっちなのだかわからないということになってしまいます。不思議ですね。)


さて、このシンガポールのNational Dayですが、日本のメディアは、「独立記念日」とか「建国記念日」とかの日本語訳をあてるのですが、

「独立記念日」には、なにがしか(独立を)「勝ち取った」というニュアンスが感じられますので、シンガポールの場合、歴史的経緯*からしてこの翻訳は不適当です。
「建国記念日」といわれると、まあ、そうかもしれないのですが、当然日本における「建国記念日」とは全く異なりますし、やはり「National Day」という概念自体が社会通念として確立していない日本語でのしっくりくる翻訳はなさそうです。

とはいえ、まあ平たく言いますと8月9日は現在のシンガポール共和国という国家のいわば「誕生日」です。
あ、この翻訳が最もしっくりきますねえ!


ナショナルデーパレード(NDP)=

http://www.ndp.org.sg/#/landing/


で、その誕生日のお祝いにナショナルデーパレード(NDP)」と呼ばれる盛大な祭典(現在の会場はマリーナ・ベイ・フローティング・スタジアム)が8月9日に行われるのですが、このNDPに向けては、まさに国を挙げての大準備が進められ只今その真っ盛りです。


主要な道路沿いには1カ月以上前からNDPのテーマやロゴが入った旗や幕、ボードなどが設置され、8月9日が近付くにつれて住宅やHDB(公団集合住宅)の窓にずらりと国旗が掲げられ、ビルの玄関や門などにも国旗や国章がはためき、NDPのリハーサルやNDP関連の数々のイベントが行われます。


NDP自体は「パレード」という言葉から想像される以上の大規模なイベントで、毎年5月頃に受け付けられる入場チケット予約は抽選(応募はシンガポール国民または永住権保有者のみ)ですがまず手に入りません。


地元シンガポールのシンガーやダンサーによるコンサートのほか、シンガポール陸海空軍、警察、民間防衛隊などによるパレード、軍用ヘリコプターによる巨大シンガポール国旗の飛行ショー、空軍のF-16C戦闘機による編隊飛行、落下傘部隊によるデモンストレーション、照明・音楽・水・パイロなどで演出されるショーなどがあり、フィナーレには花火が打ち上げられます。


この日はまた、シンガポールという国家の現在の姿や将来のビジョンを国民に示し、国民の結束力を高める日でもあります。

ナショナルデーの前後に開催されるナショナルデーラリー(集会)での首相演説は、毎年2月頃に行われる財務相による予算演説と並んで国民の注目を浴びます。


因みに各年のNDPには年毎のテーマがあるのですが、今年のNDP11のテーマは「MAJULAH! THE SINGAPORE SPIRIT」(「それ行けー、シンガポール魂!」とでも訳しましょうか?)となっています。


ナショナルデーは、外人にとってはシンガポールの数少ない祝日の一つにすぎないのでしょうが、シンガポール国民にとっては本当に特別な日です。

8月9日までに御来星の機会がございましたらマリーナ・ベイに足を運ばれますとNDPのリハーサルが見られるかと思います。

又、当日はフローティング・スタジアムの中には入れなくても会場であるマリーナ・ベイの近辺を通り過ぎるパレードは眺められます。

TV中継以外にもNDP公式サイト上からウェブキャストでも中継されますので、機会がございましたら一度ご覧下さい。驚き?や新たな発見があるかもしれません。


又、たまたまではありますがNational Museumでは、
Transforming Landscapes, Improving Lives: 50 Years of Economic Development」という特別展が6月15日から9月30日までの期間EDB(Economic Development Board)によって行われています。http://www.nationalmuseum.sg/ExhibitionDetail.aspx?id=58&cat=2

シンガポールの今日は、このEDBの存在抜きにしては語れません。一人当たりGDPがS$500だった60年代からS$50,000にまで増えた今日までのこの50年間の歴史を見る事が出来ます。

夏休みのご旅行にシンガポールに来られることがございましたら、一度覗いて見られる事をお勧めします。



*歴史的経緯

シンガポールは大戦中の日本軍政(1942年~45年)から解放された後、再び19世紀初頭からの英国植民地下に戻されたわけですが、自治権の回復という意味では1959年6月にリー・クワンユー氏(当時35歳)が英連邦自治州シンガポールの初代首相に選出された時からです(現在の国歌Majulah Singapuraもこの年にできています。結構いい曲です。)。
英国からの完全独立という意味では1963年9月にマレーシア連邦の一部に自ら選んでなった時ですので、英国からの独立はこの時に達成されています。

問題はマレーシア連邦内での人種対立に起因するパワーバランスの崩れでしょうか、結果的にマレー人優遇策をとるマレーシア中央政府と華人が多数を占めるシンガポールとの融和は果たせず、シンガポールはマレーシア連邦参画後たった2年で連邦から追放される形で「独立」を余儀なくされた(スピンオフしたのではなくスピンオフされた)といわれています。

1965年8月9日の連邦離脱を表明するリー・クアンユー首相のTV会見はリー氏が途中感極まって会見を20分間中断したのはあまりにも有名なエピソードです。
感極まったというのは嬉しさからではなく、逆に悔しさ、途方に暮れる気持ち、将来への不安の気持ちからだと同氏は「回顧録」の中で述べています。

There are books to teach you how to build a house, how to repair engines, how to write a book. But I have not seen a book on how to build a nation…。」(「回想録」より)

前回のシンガポール通信にて「もしかしたら、何がしかの異変が起こるかも」とお伝えいたしました、2011年シンガポール総選挙(5月7日投票日)ですが、結果は与党PAP(人民行動党)が議席の大半(81/87議席=93%)を獲得したものの、野党WP(労働者党)がなんと6議席も獲得するという前代未聞な結果となりました。


尤も、たかが6議席(7%相当)の話ですので別に騒ぐほどのものではないでしょう、とお思いのお方が殆どでしょうが、当地の実感からしますと今回の(過去に無い程の盛り上がりを見せた)総選挙結果は「これまでの、ひとつの時代の終わり」を示唆するもののように感じられます。


シンガポール通信

野党が過去最高の6議席!を獲得した事自体が快挙なのですが、野党の過去の獲得議席は全て定数1名の単独選挙区(SMC)での獲得だったのに対し、今回の獲得議席数6の内5議席は集団選挙区(GRC)選挙にて獲得したという点が特筆すべき点でしょうか。


集団選挙区というのはシンガポール特有の所謂「中選挙区制」の一種ですが、今回の選挙区割では、
(1)定数1名の単独選挙区(SMC)が12区(総数12議席)
(2)定数4~6名の集団選挙区(GRC)が15区(総数75議席)
となっており、毎度のことですが集団選挙区(GRC)が鍵となっていました。


集団選挙区(GRC)では、政党として
・その選挙区定数一杯の候補者をチームとして立てる必要があり、
・又そのチームは華人・マレー・インド系といった人種毎のバランスを取れたものにする必要があります。


集団選挙区の有権者は、候補政党のチームに投票し(無所属での立候補はありません)、得票数の高かった政党がその選挙区の「定数全議席を総取りする」という仕組みになっています。


従来は、ゲリマンダー的選挙区割の為に、なかなか与党PAPを上回る票を獲得することができなかった、というよりそもそも野党は集団選挙区に定数を満たすチーム候補の擁立すらままならず与党PAPに多くの集団選挙区で無投票当選を許してきたものでした。

それが今回は、ほぼ全ての集団選挙区で候補者を擁立しコンテストを競い、そしてアルジュニード集団選挙区にて、こともあろうに現職のジョージ・ヨー外相率いる与党PAPチームを破ってラウ・ ティアキアン労働者党(WP)書記長率いるチームが集団選挙区での初の勝利をあげることになりました。


当地シンガポールでの盛り上がり方は大変なもので、特に当然ながらアルジュニード地区はお祭り騒ぎでした。
因みに選挙翌日の(当地を代表する新聞)ストレイトタイムズ日曜版は選挙結果を掲載する為に遅れて店頭にならんだのですが、51万部売れたそうです。シンガポールに住む外国人を含めた全員の10人に1人が新聞を買った計算になります。


=分岐点=


アルジュニード集団選挙区での敗北を受けて、ジョージ・ヨー氏は政界からの引退を表明(*注)。

同じく単独選挙区(SMC)でWPに敗れた財務副大臣兼運輸副大臣でもあったMrsリム・フィーファ首相府相も政界引退を表明しました。

リー・ シェンロン首相は、今回の選挙結果について「有権者は政府が今の政治姿勢や手法を改めることを望んでおり、そのために野党勢力に人民行動党政府を監督する任務を託した」と総括した上で、「我々は今回の選挙戦から教訓を汲み取り、誤りを正したい」と事実上の敗北(?)を認めました。


・・・で、決断と実行はどこの国よりも早いシンガポール!
(どこかの国とはエライ違いです)


31年間首相の座にあった建国の父リー・クアンユー顧問相(87)と後任で14年間首相を務めたゴー・チョクトン上級相(69)は5月14日、共同声明を発表し、閣外へ去る事を早速表明しました。(議員は続行)

声明で両氏は総選挙を「分岐点」と表現し「若い世代は、自分たちに影響を与える決定に自らかかわりたいと望んでいる」と政治潮流に変化が起きていることを認め、若い世代の閣僚のみで構成する政府に将来を託すことを決めたというものでした。

リー顧問相は政府投資公社(GIC)会長職、ゴー上級相はMAS(シンガポール金融管理庁&中央銀行)長官職も辞任(とはいえ夫々上級顧問に就任)、後任はGIC会長がリー・シェンロン首相、MAS長官はターマン財務相が就任しました。


リー・シェンロン首相は5月18日、新内閣の陣容を発表。

14省のうち11省で大臣が交代しました。
ターマン・シャンムガラトナム財務相は人材開発相兼任となり、また副首相に登用されました。
テオ・チーヒエン副首相は内相および国防調整相兼任になりました。


リー顧問相、ゴー上級相、以外に内閣を去るのは、ウォン・カンセン内相、マー・ボータン国家開発相、レイモンド・リム運輸相、ジャヤクマル上級相・国防調整相、リム・ブンヘン首相府相、および選挙で落選したジョージ・ヨー外相とリム・フィーファ首相府相。


総選挙では与党・人民行動党(PAP)の傲慢とみなされる姿勢に対する不満に対し、リー首相は選挙戦半ば、イスラム原理主義者の脱獄、オーチャード・ロードの冠水、住宅価格の高騰、MRT(地下鉄・高架鉄道)の混雑等を謝罪していたのですが、これらの問題を担当した大臣は、ウォン内相、マー国家開発相、リム運輸相でした。

まさに、信賞必罰がはっきりした国ですねえ。

(どこかの国とはエライ違いです)


因みに、新内閣の平均年齢は53歳(前の内閣は59歳)。

閣僚数は兼任が多いため21人から15人に6人減少しています。


(*注)

選挙後の会見で、「与党・人民行動党(PAP)は国民、特に若い世代との一体感を構築するため変容が必要。多くの国民が、愛するシンガポールから疎外されていると感じているのは望ましいことではない」と述べ又、次期総選挙には出馬しない意向で「若い人に後を任せる」と語ったヨー氏ですが、大統領選挙あるいは国連事務総長選挙への出馬を求める声があるようです。
「私は自由が好きだから、大統領職は不向き。また国連事務総長人事は、潘基文氏の次はアジアからは選ばれないため論じるまでもない」と当初は否定していた同氏ですが、「多くの国民が大統領選への出馬を再検討するよう求めている。一所懸命考えている」との文章を6月1日のフェースブックに掲載しています。
尚、シンガポール大統領選挙は8月末までに行われる事になっており、既に資格審査のための書類配布が行われております。