相続が終わったら墓じまいに入ります。① | 縁結びの島根県バルーン屋の独り言 あおいそらのブログ

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姑の相続というか

お金に関することは、今月

最後の年金が支給されて手続きは終わりました。

 

 

 金融機関の凍結は出来るだけ早めに

 

3月の月末に亡くなったので、すでに4月分の年金の

事務的な手続きが終わっていたらしく、

とりあえずは、振込先の銀行口座の凍結を早くと

言われましたが、

それは早めに行いました、それをしないと

4月分が支給されていたら、変換する必要があるので

とても、面倒になります。ので

要注意です。

 

 

 墓じまいスタート

姑の納骨もしていないのに、墓じまいはどうして?と

思われるでしょうが、

姑も舅も世界遺産の大森銀山出身者です。

 

夫は幼いころにこの街で育ったそうです。

 

夫が1歳5か月の時に舅は肺炎で亡くなり、

 

 その墓がまだ大森に残されているのです。

 

 

今回、墓しまいの相談に大森の本家を訪ねて、初めて

どうして舅が竹下を名乗り、他の家族は別の名字なのかを

教えてもらいました。

昔は家系を守ることが大切で、他の家へ養子に入ったり、家族ごと名字を変えて家を守ることが多かったとのことで、

舅の家族は一家で広島の親戚の名前を守ることにして、広島へ行ったのですが、舅だけは体が弱かったため竹下に残ったそうです、本人も竹下を名乗ることを選んだとのことで、
一人、大森や六日市で教員をしていたとのこと、大森で女学校を卒業したばかりの姑と結婚して、中国へ教員として生活したそうです。
終戦後に大森へもどり、親戚の力を借りて親子で暮らしていたのですが、終戦後、夫が産まれて1年目に亡くなったの事、
そういう話を夫はほとんど聞いてないので、私も驚きました。
 

舅の墓はお金がない姑を見兼ねて、生徒さんのご家族の寄付で建てたそうです。

舅さんのご先祖の墓所でなく、そのころ住んでいた遠縁が心配して親戚の墓地の横に建てて下さったそうです。

 

墓所は大森の町の入り口の山の上、

細い、険しい山道を10分ほど上がらないといけない場所です。

 

30年くらい前に姑が墓墓と大騒ぎをしたことがあります。

そのことは以前のブログ

 

 

 

 

 

お墓に関して3記事も書いていました。

 

要約すると、舅の墓じまいをきちんとしていなくて、

大森に墓は残したままで、こちらの新しい墓にも

開眼供養(魂入れ)をしないまま、墓場の土が入っています。

 

姑の納骨はまだ遺骨が戻らないので、先になりますが、

私たちがもしものことがあった場合の墓をどうするかを

考えるいい機会になりました。

 

 

 姑が建てた墓には夫も私も入らない


息子たちも同意見です。

ですが、せっかく自分のために建てた墓ですから、

夫婦で入ってもらうことにすると話し合い、

その後は私たちが生きているうちに、その墓も墓じまいをして

どこかに合同で入れてもらうようにすることにしました。

 

まずは、お盆に

舅の墓地をかしてくださっている親戚に

墓石を撤去する旨を話に行くことから始めます。

 

姑の事を知ってくださる方も少なくなる中

早く二人の落ち着く先を決めたいと思っています。

 

これから、愚痴も含めて

墓じまいの事を書かせていただきます。