【令和2年最初の東京編 その5】
今回の話も前々回に続き、令和2年1月の東京での話・・・
中国武漢市で新型肺炎が広まり、世の中に暗い影を落とし始めた頃の話です。
この日は東京で過ごす待望の土曜日、築地で朝食を食べた後、成田山詣に新勝寺までやって来ました


成田山新勝寺の歴史は古く~

平安時代の810年に弘法大師が嵯峨天皇の勅願により御本尊不動明王を敬刻開眼しました。
その後、寛朝大僧正が平将門の乱の平定祈願のため、成田公津ヶ原にて護摩供を奉修し、平定後、「新勝寺」を開山したそうです。
また、源頼朝、水戸光圀、二宮尊徳等、多くの人々が成田山を信仰し、歌舞伎役者の市川團十郎丈が成田不動に帰依し成田屋の屋号を名乗り、不動明王が登場する芝居を打ったことも相まって、成田不動は庶民の信仰を集めており~
「成田山新勝寺」は、千年以上もの長きに亘り、御護摩の火を絶やすことなく、人々の心願成就を祈願してきたそうです。
僕も、令和元年夏から体調を壊していたことあり体調回復を祈願することや、中国で広まる新型肺炎が収まることを祈願しに来たんだよ~

(とは言え、その後違う病にかかってしまうけど、それはまた別の話・・・)
健康回復、災害なく平穏な日々、新型肺炎の拡大防止・・・
色んな願いを込めましたが、力及ばずに感染拡大を防止することはできませんでした

その後、見事な造りの三重塔を眺めつつ~

「大本堂」とのコラボ写真を撮っちゃいました

「平和大塔」へと向かい、平和への祈り、健康への祈り等を行いました

それにしても、「成田山新勝寺」は想像以上に境内が広く~

(と言っても、2回目なので実は知ったけど

)
見てるだけで心が洗われそうな、滝もあるんだよ~

そして、最後にお詣りしたのは「出世稲荷」

『せっかくここまで来たんだから、出世もしないとね~

』
との願いを込め、「青ブロ」恒例の急階段をヒィヒィ言いつつ、上り詰めると~

『人生のラストチャンス、僕に力を~

』
と静かに手を合わせましたが、ご利益があったかについては秘密ですよ~

力及ばずコロナウイルス感染拡大は止められなかったけど・・・
体調も一旦回復し、違う病に倒れたけど・・・
やっぱり生きてることが一番大事、まだまだコロナウイルスは終息の兆しがないだけに、皆さん気を付けていきましょうね~

『さ~、次はお楽しみの~

』
ここから先は書かなくてもお分かりですね

【「青ブロ」のバックナンバー】
「お伊勢参り」(伊勢神宮)
「善光寺参り」(善光寺)
「こんぴら参り」(金刀比羅宮)