前回の「秦河勝」の記事で、京都御所「紫宸殿(ししんでん)」の「右近の橘」を取り上げました。
そして、その対となるのが「左近の桜」です。
「桜」といえば、その前の記事で、客の振りをするニセモノの客を「偽客(サクラ)」と呼ぶことなどから、桜には「ニセモノ」の印象がある、と書きました。
・・そんなことが何となく気になって調べてみると、「左近の桜」は、もともとは「梅」だったことがわかりました。
794年、桓武天皇が都を平安京に移した際、内裏の紫宸殿の庭に植えられたのは「梅」だったのです。
その梅がいつ桜に・・?
承和年間(834~848年)に「梅」が枯れたため、仁明天皇が「桜」に植え替えた。
天徳4年(960年)に内裏が全焼した際「梅」も焼失したので、
重明親王の家の「桜」を移植した。
・・などなど、その他諸説あるようです。
そして「桜」は、もともと日本に自生していたため、必ずしも珍重されるような花ではなかったとも言われます。
それに対して「梅」は、進んだ中国文化と一緒に日本に到来した外来種であったことから、都で大切に育てられたそうです。
奈良時代「万葉集」で詠まれる花も、桜より梅の方がずっと多かったように、かつては花といえば梅だったのです。
それが平安時代の「古今集」では桜が梅を圧倒し、花といえば桜を意味するまでになりました。
「桜」は「国風文化」の象徴として、「梅」にとって代わったのです・・
・・そんな、「ザ・花」の座を奪われた「梅」?・・(゚∀゚)
歴史物語「大鏡」の中に「梅」にまつわるこんな故事があります。
「鶯宿梅(おうしゅくばい)」
平安時代、御所の梅の木が枯れてしまい、村上天皇はその代わりとなる木を探すよう、家臣に命じました。
家臣は西京にある民家で見事な梅を発見し、それを持ち帰ります。
宮中へと運ばれてきたその梅の木には、歌を書いた文が結ばれていました。
「天皇のご命令なら逆らえませんが、毎年この木を宿にしていた鶯に「私の家はどこ?」と尋ねられたら、私は何と答えればよいのでしょうか」
この梅は、紀貫之の娘の屋敷の梅だったのです。
この歌を詠んだ天皇は梅の木を返し、代わりに桜を植えました。
(★これを「左近の桜」の由来とする説もあります)
「それは申し訳ない・・」
これ以来この梅の木は「鶯宿梅」(鶯が宿る梅)と呼ばれるようになったそうです。・・
(★日本古来より伝わる、品種改良されていない在来種の梅
「鶯宿梅」の名前は、この故事が由来です )
梅の木は、「鶯(うぐいす) が宿る木」・・ ( ゚д゚)
この「梅に鶯」は、良い取り合わせを表しますね。
(=梅と鶯はセット)
花札にも!
「鳴くよウグイス平安京」という、794年平安遷都の語呂合わせがありますが・・
→「鶯といえば平安京」? →(鶯と平安京もセットかも?)
・・じゃあ、鶯がいる平安京の花は、「梅」であるべきでは・・?
(→こじつけ過ぎ!? (゚∀゚))
「梅じゃないと鳴かないもんねー」
・・妄想が、暴走しますが・・^_^;
「梅」 が 「桜」にとって代わられた・・?
このことは、何かを意味しているのでしょうか・・?
・・何かありそうな気もするので、さらに考えてみたいと思います・・(^。^)































