前回「天岩戸開き」について書きました。
この時に使われた鏡は「八咫鏡(やたのかがみ)」
「アマツマラ」と「イシコリドメ」が造って、「フトダマ」がアマテラスに向けた鏡です。
この鏡は、「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」を巻きつけた
「賢木(さかき)」に取り付けられた、とされています。
「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」
・・話は飛びますが、「魔鏡(まきょう)」という鏡が存在します。
「魔鏡」とは、光を当て壁などに投影すると像や模様が映し出される特殊な鏡です。(主に銅鏡)
江戸時代「隠れキリシタン」はこの鏡を使い、イエスの像などを浮かび上がらせていました。
この現象は、鏡面のわずかな「凹凸(おうとつ)」によって現れるそうです。
・・光の反射によって、実際ないものをそこに存在するように投影できる・・
現代の「ホログラム」や「プロジェクションマッピング」みたいですよね! (・Д・)
(もしかして「銅鏡」の目的は「魔鏡」として使用すること?
「銅鏡」= 古代のテクノロジー?)
もし天岩戸開きに使われた「八咫鏡」が「魔鏡」だったとしたら?
(「三種の神器 」といわれるので、可能性は充分あるような?)
さらに「八咫鏡」のそばには「八尺瓊勾玉」が設置されていたため、太陽(アマテラス)の光を反射した魔鏡の光が、たくさんの勾玉に当たって乱反射した、とも考えられたりして・・? (・∀・)
「ミラーボール」や「万華鏡」のように・・?
「ミラーボール」 「万華鏡」 「光の乱反射」・・
これらのワードからは「重々帝網(じゅうじゅうたいもう)」を連想します。
「重々帝網(じゅうじゅうたいもう)」とは、仏法の守護神「帝釈天(たいしゃくてん)」の宮殿を煌びやかに飾る「網」が、「幾重にも重なり合っている様子 」をいいます。
網の結び目の一点一点は「宝石(宝珠)」になっていて、 互いを照らし映し合い、全体が 鏡映(きょうえい) しています。
そして、これこそが「私たちの世界の真の姿」なのだそうです・・
まるで、一人の人間が鏡の球の中心にいて、その人のあらゆる側面を「万華鏡」のように映し出しているように思えます。
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よく、「他人は自分を映す鏡」・・っていいますよね (・∀・)
そして「周りの世界は自分の反映で、実は自分一人しかいない」ともいいますね。
古事記では「八咫鏡」を見たアマテラスの様子を「いよいよ不思議にお思いになって」と描写しています。
もしかしたらその「不思議に思ったこと」とは、「アマテラスの姿が乱反射してたくさんの別人に見えていたこと」・・だったのかもしれません? (^。^)




























