「不思議の国のアリス」の冒頭、アリスがウサギの穴に落ちていくシーンです。(抜粋です)
落ちながら、アリスはひとりごとを始めました。
「ああ、可愛いダイナ! (ネコの名前)
ここで一緒に落ちていてくれたら良かったのに!
空中にネズミはいないけど、コウモリなら捕まるかもしれないじゃない。 コウモリってネズミみたいでしょ。
でも、ネコって、コウモリ食べるのかしら?
ネコってコウモリ食べる? ネコ・・ウモリ食べる?
ネ・・コウモリって食べる? ねぇ、コウモリってネコ食べる?」
だって、どちらの質問にも答えられないんですから、ネコを食べるにしても、ネコが食べるにしても、同じことだったのです。
(=どっちにしても大した問題ではない)
「食べる」と「食べられる」は同じこと・・? ( ゚д゚)
そんなことを意味しているように思える・・
グリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」
木こりの子どものヘンゼルとグレーテルは、貧しさのあまり、両親に森の中に捨てられてしまいます。
森の中をさまよって3日目、二人は屋根がケーキ、壁がパン、窓が砂糖で作られた小さな家を見つけます。
二人が夢中でその家を食べていると、中から老婆が現れました。
親切な老婆は二人を家の中に誘い、食事と寝床を与えます。
しかし、老婆の正体は魔女で、お菓子でおびき寄せた子どもを食べることが目的だったのです。
そして魔女は毎日子どもに上等の食事を与え、太るのを待つのでした・・
(結局、子どもたちは魔女を殺して逃げ帰り、めでたし、
めでたし! (゚∀゚))
宮沢賢治の代表作、「注文の多い料理店」
ある二人の紳士が狩猟の帰り、「西洋料理店 山猫軒」と書かれた店に入ります。
その店では扉ごとに、
「髪をとかして、履き物の泥を落とすこと」
「金属製のものを全て外すこと」
・・のような注意書きが書かれています。
怪しく思いつつも、二人は書いてある通りにしながら、次の扉へ進みます。
・・そして最後の扉に書かれていたのは・・
「からだ中に、壷の中の塩をたくさんよくもみ込んでください」
それを見て、やっと二人は自分たちこそが食材だった、ということに気付くのです・・
(結局、二人は命からがら逃げ帰ります。)
この二つの童話は、
「食べる側だと思っていた自分たちが、実は食べられる側だった」
・・ということを表現していますよね! (・Д・)
道教には、
「人の体内には「三尸(さんし)」という虫が住んでいて、その虫が宿主の寿命を縮めさせる」
・・という思想があります。
「三尸(さんし)」
さらに「獅子身中の虫」という言葉がありますが・・
「百獣の王といわれる獅子でも、身体に寄生する虫によりその命を脅かされる」
・・という意味ですね!
ウイルスのようなミクロの敵に内側から攻撃されると、どんな猛獣でも敵いませんよね! (・Д・)
・・もしかしたら、人は食べ物を食べ、その食べ物についている虫によって、内側から食べられているのかもしれません・・??
・・なーんてね! ( ̄∇ ̄)
・・あくまでも、仮説ですよー、念のため・・( ´ ▽ ` )