「案山子(カカシ)」について、いろいろと書いています。
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前々回、大嘗祭で天皇が禊の時に籠る「百子帳(ひゃくしちょう)」の図が、
「「案山子(カカシ)」の周囲に、帷(とばり)が下りている」
・・ように思える、と自分の印象を書きました。
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「百子帳」の想像図(『扇』吉野裕子著より)
そして前回は「カカシ」には、
「本物ではない」「ニセモノ」「コピー」
・・の意味があるのでは? と推測しました。
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それらのことから、前述の百子帳の図については、
「外部と隔てられた空間に、ニセモノが入っている」
・・という意味に思えるんです。
この帷(とばり)の中の「外部と隔てられた空間」が、いわゆる
「カゴの中の鳥」の「カゴ」のように思えて・・
「見えない膜に覆われた中に、ニセモノの自分がいる」
・・みたいな・・
こんな比喩?
「VR空間の中にいる、アバター」
今までにも考察してきましたが、
「この世界は実はVRで、わたしたちはシミュレーションゲームの中にいるのかも?」
・・という考えに行き着いてしまうのです。
カカシ(アバター)は、動かない象徴。
でも、画面が変われば、自分が動いているように感じますよね。(=VR)
この世界は、実はVRだったりして?
「記憶キャンセリング機能搭載、
フルダイブ型、シミュレーションゲーム」?
真相は謎のままですが・・(^。^)
タッチ!
・・百子帳とカカシの妄想が、こんな遠くに着地してしまいました・・( ̄∇ ̄)
また新説が浮かんだら、書いてみたいと思います・・^ ^