前回、杖について書きました。

 

  

 

 

 

 

その中で、杖の横しまは「渦巻きエネルギー」の意味では?・・という自説を書きました。

 

 

      

 

 

 

 

「杖」といえば、「聖櫃(せいひつ)」(アーク)に入っていたとされる「アロンの杖」が浮かびますが、こちらも同じような意味を持っているのではないでしょうか?? ( ・∇・)

 

 

 

 

 

 

 

その聖櫃には、杖の他に「マナの壺」「十戒が刻まれた石板」が入っていることになっています。

 

 

  

 

 

 

 

この「マナの壺」とは、「アムリタの壺」・・という意味では? と自分には思えてしまいます・・? ( ゚д゚)

 

 

  

 

 

     

 

 

 

大麦のパン5つと魚2匹で5000人もの人々を満腹にさせたイエスの言葉です。 

 

 

「あなたがたの先祖は荒野で空から降ってきたパンを食べたが、死んでしまった。
 

  しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない」

 

 

「天から下ってきたパンは、先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。

 

  このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう

 

 

(聖書 ヨハネ6章)

 

 

 

「死なないパン」=「不老不死」=「アムリタ」?

 

 

 

「天から下ってきたパン」=「イエス自身」と言われていますが、これは、一人一人がイエスであり、外からの糖(パン)ではなく、自分の内側に降る糖(アムリタ)で生きる、という比喩的な表現なのではないでしょうか??(=自説!)

 

 

 

 

 

 

 

  天から降ってくる糖

 

  こんなかんじ? ^o^

 

 

 

 

 

そして「十戒の石板」

 

 

 

 

 

「十戒の石板」とは、モーセがシナイ山で神から授かった十戒を、石板に刻んだものです。

 

(「シナイ山」 ・・「〇〇しない」「□□しない」という制約?

   ・・ダジャレ? ( ゚д゚))

 

 

「石板」・・といえば、アマテラスが閉じ籠った天岩戸や、イザナギが冥界との間に置いた千引の岩(ちびきのいわ)のような、「硬い・重い」印象を受けますね。

 

 

  行く手を遮る強固なもの。 

 

「錘(おもり)」のようなもの。

 

「重荷」になるもの。

 

 

 

「戒め」という名の制約、見えない檻(おり)。

 

 

・・これは「ぶち壊す」べきものなのでは?? (・Д・)

 

 

「石板を割る」?「破壊する」!?

 

 

 石板を破壊して、「戒め」という名の言葉の檻から脱出する?

 

 

 

 

 

(実はモーセ自身も石板を一度叩き割っていますね!(・Д・)

(現在あるとされているのは2組目、そしてそれに書かれている戒律は、初めのものと同じではないそうです))

 

  

「十戒の石板を破壊するモーセ」

  レンブラント・ファン・レイン作

 

 

 

 

余談ですが、ポケモンの映画「光輪の超魔神フーパ」では、

 

 

「戒めなんか乗り越えろ!」

 

 

・・という台詞がありました! (・∀・)

 

 

いましめを乗り越えたフーパ ^ ^

 

 

 

その件についてはこちら

  ↓

 

 

 

「戒め」という「制限」を解く。

 

 

「自分を信じる」ことで、「世間が決めた制限」を突破する・・

 

 

重い石板(錘(おもり))を手放せば、聖櫃が軽くなる → 足取りも軽くなる → 心も軽くなる → 旅路が楽しくなる・・のではないでしょうか ♪ ( ´ ▽ ` )

 

 

 

 戒めって重かったよな⚡️  🪨

 

 

 

 

「十戒の石板」は、実はそんなことを表しているのでは??

・・な〜んて、思っちゃうのでした ( ・∇・) (仮説ですよ〜!)

(怒られる・・^_^;)

 

(悪いことをしてもいいという意味ではありません!念のため)

 

 

 

 

 

十戒とは、戒めの檻?

 

閉じ込められて、閉められたネジの頭部みたいなことのような・・??(  だし!(^。^))

 

 

   

 十戒?? ( ̄∇ ̄)

 

 

 

 

ネジを回すと扉が開いて、「戒め」から解放されるかもしれません・・??( ´ ▽ ` )