ここ数回、「辟穀(へきこく)」について書いています。(辟穀=穀物を食べないこと)
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今回は、その穀物を育てる稲作(農耕)について考えてみたいと思います。
稲作は、弥生時代に広がりました。
農地を耕す。人間の自然への介入ですね。
そして「食べるための労働」の始まりです。
稲は蓄えることができるため、貧富が発生します。
それから争いや戦いが始まりました。
また、稲作では「労働する者」と「指導する者」が生まれます。
上下関係、「組織」のはじまり。
稲作がなかった縄文時代は、木の実の採集など、自然の恵みで暮らしていました。
平等で平和な時代だったと言われています。
束縛されない自由な生活から、生産性を問われる「管理社会」へ・・
聖書では、禁断の果実を口にした「罰」として、男性は「額に汗して耕さなければならない 」ということになっていました。
穀物を食べるのですから「耕す」・・当然と言えば、当然ですよね。
「あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る」
楽園にいるときには、自然に生えている木から果実をとって食べていたので、働かなくても良かったということです。
じゃあ「穀物を食べること」=「労働すること」と言えますね。
穀物を食べなければ、労働はなかった、ということになります。
(こういう所が、縄文時代からから弥生時代への移行に似ている気がします)
稲作が始まる前の縄文人って、実は現代人よりももっと脳が開いてたんじゃないかな?と思っていて・・(=憶測ですが ^_^;)
だからもしかしたら、そんなに食べなくても、食べ物以外からもエネルギーを得ていたのでは・・??
そもそも糖質を摂っていないので、エネルギー代謝経路がミトコンドリア系だったと考えられるし・・
稲作が始まり禁断の果実「コムギ」を食べた弥生人は、エネルギー代謝が下がり、その分をもっと食べ物で補わなければならなくなった・・??(= 失楽園?)
(※ 禁断の果実はコムギという説もあります)
・・・な〜んて!? ( ̄∇ ̄) (仮説、仮説!)
そして前回も書いた日本神話の天孫降臨。
稲は、ニニギが地上に降りる時(ディセンション時)、持たされたものです。
「黄泉戸喫(よもつへぐい)」で考えると、穀物は「地上に留まるためのアイテム」なのかも?
アセンション(次元上昇)のためには、置いていかないといけないものかもしれません・・?? (・∀・)
「黄泉戸喫(よもつへぐい)」についてはこちら
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