ノートワークをやっていると

「伝えたいようには伝わらない」ことがわかる。

 

 

本を読んでいても、気づくはず。

ドラマを見ていても、気づくはず。

 

大切な人と会話していても、気づくはず。

 

 

「自分の前提では、言葉が持っている意味が、伝えたいことの意味と違うかもしれない」

 

これです。

この視点。

 

 

 

「この人はどういう意味で、どういう表現としてこの言葉を使ったのか」←事実

「それに対して、自分はどういう感情を持ったのか?反応したのか?」←解釈

 

 

だいたい人は「自分の言葉と、相手の言葉の意味は同じだ」という勝手な思い込みを持っています。

相手の言っていることを全部、自分言語に翻訳しているの。

しかも、瞬時に、無意識に。

 

 

 

 

ここに常に意識を向ける。

その反応そのものに疑問を持つことこそが、無限の自由につながる鍵。

 

 

 

 

 

「もしかしたら、相手は、違う意味でこの言葉を使っているのかも知れない」

「私が伝えたいことは、相手に伝わっていないかも知れない」

そう、気づける自分になれます。

 

 

これが、疑うということ。

疑問を持つということ。

 

 

そうすれば、言葉だけに振り回されることは、一切なくなります。

 

 

 

 

 

 

「ああ言っていたから、こうなんだ」

「こういう言葉だから、こうに違いない」

 

 

 

この解釈が続く限り、永遠に苦しいまま。

 

 

▶︎ちゃんと「自分」を見る。ちゃんと「感じる」

 

 

 

 

 

 

発信やコメントって、自分の前提を全部晒していることになります。

自分が世界をどう見ているか、どう創っているかが、隠せず丸わかりになります。

 

 

書く前に、言葉にする前にまず、真っ先に自分の反応を見る。

ただ反応したことを咀嚼もせずに相手にぶつけるのは、迷惑行為極まりない。

 

その姿勢が、受け取るものを制限していることに気づかない。

「私はこれしか受け取りません」と決めている。

 

 

とことんどこまでも、自分を疑うこと以外にやることはない。

 

 

 

 

自分の言葉に乗せている前提をしっかり見つめて

自由に変える。

 

 

 

この「自由に変える」が、ものすごく難しく感じるようです。

(その「難しい」も疑えばいいんだよ・笑)

 

 

 

この「自由」という言葉に乗せている不自由さ。

 

 

 

自由って、自分の世界へのこだわり・好みがダイレクトに出ます。

こだわりは自分の好み。

好きという姿勢が全部乗っかっている。

 

ここを明らかに見ていない人、本当に多い。

 

 

「めちゃくちゃ大きい、死ぬほど大好き」から

「ちょっと好き」まで。

 

 

自分がそれをどのくらいのレベルで好きか、どうなのかがわかっていない。

 

 

 

大好きって、文字通り「大きな好き」のこと。

 

これってもう、言葉じゃ表せないくらいのめちゃくちゃカオスな状態なんです。

全部あり。

すごいぐるぐるしたエネルギー。

混沌としたもの。

 

なんていうのかな。

それこそ文字通り、自分の魂を賭けるような感じ。

ものすごく深い上、どこまでも突き抜けるような、タフでしなやかなエネルギー。

 

 

この辺、みんな明らかにしないんだよね。

なんでだろう。

 

 

「これが好き」って反応したら

とことんそれを自分の中に潜って味わってみればいい。

いろんな角度から。

どこが好きなのか、どう好きなのか。

 

 

「理屈じゃなくてただ好き」って場合でも、絶対に心が動くもの、ときめくものがあるんだよ。

それを自分の言葉で言語化していくんだよ。

 

自分の中だけでね。

 

 

 

 

反応って、嫌なことだけでなく、いいことも自分の中で育む。

 

 

 

そのこだわりを、とことん追求して自分の中で熟成させて、しっかりと構築させる。

言語する。

それまでの間、黙るという行為と自分をただ明らかに見るという姿勢はとても重要。

 

 

ここを熟成できないうちに外に撒き散らすのは、自己破壊の道まっしぐら、です。

 

 

▶︎自分をハイスピードで成長させたい人へ送る、3つのチカラ その① 沈黙力

▶︎ノートワークのすごさを思い知れよ

 

 

 

 

 

 

近日中に新しいお知らせをば♫

「書き出しワーク練習帳」が、まもなく終わります。

 

新企画・用意中。お待ちくださいね。

 

 

今日も良き日を。

いつでも楽園はあなたの中にある。