今の気持ちを綴ったブログVer 2.0 -90ページ目

今の気持ちを綴ったブログVer 2.0

自分の心と向き合って言葉を詩に乗せて紡いでいきます

最初の方はまだ気丈に振る舞えた。
だけど、何時終わるとも知れない暴言と暴力の日々は、少しずつ精神的に追い詰められていった。

母が入院した為、母には言えないとしても、勿論相談はしていた。
しかし誰もが、そう、担任の先生でさえ
どうにもならない
と諦めていたのだ。

1994年10月12日
僕の13歳の誕生日は、そんなやり場の無い環境の中で迎えた。
中学に入学していた当時見ていて録画していたテレビドラマ『家なき子』を、この頃から再び見始める。
僕と立場は違えど、環境は似ているような気がして、あのドラマにはかなり勇気を貰った。

また、その主題歌(中島みゆきさんの『空と君の間に』)も当時の僕にとっては、欲しい物に手が届く、当時最も掛けて欲しい言葉が並んでいて、
あの作品に救われたような感じだった。

そして、その曲が入ったアルバムを購入した事をキッカケに、
1年間でオリジナルアルバムを60枚聴く程の音楽ファンとして目覚めたのです。

僕にとって音楽は、それから先の辛い時も、苦しい時も常に共にあったような…
そんな存在となったのです。

中1の二学期は、中間テストの結果が散々だった。
主要5科目500点満点で250点を切ったのです。
一学期が480点取っているので、違いは明らかで…
この頃は勉強しても、全く頭に入らないような状況にありました。

僕は、英語が猛烈に苦手なのですが、
この心が不安定な時代、中学に入ってから始まった科目で基礎すら身に付けられていない点が大きいように思います。

この、僕の成績の低下は、頭を混乱させた。
恐ろしい物で、高得点を連発していると、それが普通に感じてしまう点…。
低下する事は、底まで落ちてしまうのでは無いか…?
という恐怖で、さらに精神的に泥沼へとハマっていくのでした。

―――――――――――――――
(以下、追記です)
全く音楽に興味無かった自分が、この頃から音楽ファンとなりましたが、何故か聴くのは演歌、歌謡曲を除くと、
邦楽女性アーティストばかりだったりします。
随分と片寄った趣味ですね…。


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1994年4月
僕は中学に入学した。
最初は穏やかに過ぎたんだ…。
最初の一学期だけは…。

僕は、中学に入学すると同時に、部活として陸上部に入った。
そこでは、毎日数キロ走らされ、練習は想像を遥かに超える過酷さだったけれど、元々走る事が好きだった僕にとっては、良い場所だった。

小学校の時、転校がかさんだ事と球技が苦手だった事とで運動クラブには入ら無かったせいもあり、
連日の疲労感は凄い物があったけれど、それでも充実した時間を過ごせていた。

また、高校・大学と進学する予定だった為、学費を貯める必要があった事から、
中学入学と同時に朝刊配達のバイトを始めた。

中学に入ってから、そんな生活環境が変わった事も僕にとっては前を向く、明るい意味で良かった。
実際、意識しないと笑えなくはあったが、意識して笑う事も多かった。

…そんな穏やかな日々も、中1の二学期に早くも崩れ去る。
上級生の不良に感化されたクラスメートが、自分達と意見が合わない者達に言葉と暴力で従わせようとしたのだ。

他のクラスメートが感化されて、悪い道を歩もうとする中僕は、その流れの中で只一人逆らった。
僕にはあの暴力に支配された過去があるから、もう暴力的な事にはコリゴリだった。

その頃から、連日終わる事が無い暴力的な日々が始まり、
同じ頃に母が病気を患い入院した。

1994年秋。
僕の人生の中で二番目に苦しい日々が始まりを告げた…。

入院した母の病気は、心筋梗塞だった。
手術を必要とする病気で、手術の結果母は何とか息を吹き返した。
そして、回復するまで安静にしていなければならない状況にあった。

そんな母に心配は掛けさせられない。
そう心に強く誓った僕は、学校での暴力的な日々の事は一切言わなかったし、時には母の病室に行く前に、外科に通うという事もした。

だけど…
そんな日々も続き、僕は身も心も壊れていくのだった…。

―――――――――――――――
(以下、追記です)
母の手術と、僕のイジメ問題。
この学校でも家庭でも救われないのは、本当に苦痛でした…。

ネットの普及で、現在のイジメは学校裏サイト等、僕が経験したもの以上に精神的に追い詰められる話は聞いた事がありますが、
何故イジメは後を絶たないのか?

そこが未だに理解出来ないですね…。


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物事には必ず

始まりと終わりがある。

理不尽で永遠に続きそうな事でさえ

必ず終わりはやって来る。

-------------

最後の小学校で経験した、イジメでさえ、ある日突然終わりを告げた。

その背景には、イジメに気付いた母が学校に怒鳴り込んで行った事があった…。
そう、まだこの時は母は足が不自由なだけで元気だった。

イジメをしていた彼らは、親や周りに勉強を押し付けられ精神的に脆かっただけ…。
僕は自分にそう言い聞かせ、納得しようとしていた。
暴力は駄目だし、大人しくなった彼らに反撃しても自分が虚しくなる事を知っていたから…。

そして、この辺りから暫くは、やがてくる大きな荒波に対する、嵐の前の静けさの状態が続く。

因みに、学生と言えば修学旅行が一番の思い出となりそうだが、僕は小・中・高と一度も行って無かったりします。
小学校の時は、転校の関係で、修学旅行の時期に居た事が無く(前の学校では秋で、次の学校では春というパターン)行きたくても行けず、
中学と高校は…、第2章で詳しく書きますがバイトが忙しい為です。

その為、母が気を利かせて、
「好きな所へ行って来い。但し、泊まる前に家に電話して、宿泊先の場所と名前を言ってね。こっちから連絡入れるから」
と言い、青春18切符をくれたのです。

1994年1月。
小学校卒業間近の僕は、1泊2日の一人旅をしました。
広島から岡山に行き、マリンライナーに乗って四国の坂出まで行き、同じルートを通る旅。

あの時、一人で見た瀬戸内海は、未だに胸に焼き付けられる光景で、大小様々な島に見入っていた物でした。

そして、1994年3月。
小学校を卒業し、新たに進む中学校生活に期待を膨らませていたのです。
しかし、中学で待ち受けていたのは、そんな甘い光景ではありませんでした。

第1章 END


第1章を書き終えて…
この章はメインを、施設での生活に充てたので、他がちょっと飛ばし気味になっています。
しかし、それでも執筆中は自分の過去の感情が鮮明に戻って来て、時々辛くなったりもしますが、
自分史を完全版の形で執筆する事で、心の奥にある弱い部分を克服したい思いと
似た境遇の方に、こんな僕でも前向きになれた事を伝えたい思いで綴っています。

引き続き、第2章 青い時代の葛藤
を描きます。

―――――――――――――――
(以下、追記です)
今でこそ余り感じなくはなりましたが、2月に執筆した時には、過去の記憶という物に悩まされ、苦しくなる事もありました。

現在は、客観的に捉えられるようになり、その面では成長出来たかな…、
と思います。


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