今の気持ちを綴ったブログVer 2.0 -89ページ目

今の気持ちを綴ったブログVer 2.0

自分の心と向き合って言葉を詩に乗せて紡いでいきます

1995年春
中2になった僕は、一つの孤独さを感じるようになります。

此処までのイジメの日々のせいか、人に話し掛ける事が出来無くなり、その事で人との関係も冷え切った物になっており、更に暗くなる。

そんな悪循環が僕の中であった。
ただ、ゲームをしている時と、勉強をしている時だけは、それが忘れられた。

夢中に打ち込む事があれば幸せだと人は言うけど、当時はただ寂しさを紛らわせる為に過ぎなかった気がする。

しかし、勉強も新聞配達のバイトも決して手を抜かなかった。
なのに、成績の方は上がって行かず、尚更焦るだけの日々が過ぎて行く。

丁度、そんな頃に僕は初めて母に、自分の目標を語った。
勿論、却下された。当たり前だろう…。

出世がしたい
ただそれだけの理由で大学まで進学するなんて、それだけでは人生虚しいだけ。

当時、母がそう言ったのは今なら分かるけど、あの頃の僕には到底理解出来無い事だった。

夢を持っても意味が無い。
生活するには金が掛かるし、金を得るには出世するしか道は無い

…あの施設での生活で身につき、イジメの日々の中で更に確信してしまった考え方…。

僕は何の為に生きているのだろうか?
伸びる素質も無く、明日が見えない僕には価値など無いんじゃ無いか…?

少し油断すると、そんな考えが頭をよぎる。
他のクラスメートが明るく夢など語るのを聞くと、夢を持てない自分が嫌になってくるし、
人と距離を置こうとする自分にも嫌気がするし、
学校という場所がとても居心地が悪く感じた。

心が不安定で、少しの何でも無い事に傷付き、大袈裟に考えてしまう、あの頃において、勉強に真から打ち込めないのだから(表面では、やっているように見える)、成績か上がらないのも当然で、
相変わらず成績は5段階で3が取れない事が多々あった。

そして、中2の二学期。
また一つ、僕の心を沈み込ませる事が起こった。

―――――――――――――――
(以下、追記です)
勉強って、嫌々やっていたり、心を紛らわせる為にやっていても、中々成績を上げる事には結び付かないんですよね。

今ならそれが分かるのですが、
何も取り柄が無いという現実が当時は嫌でした…。


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1995年2月
直接的な暴力に比べれば、言葉の暴力はマシな方に思えてきた。
クラスを見渡せば、未だにその場の流れ、悪意の方に走っていないのは、もはや僕だけとなっていただけに尚更、辛く感じる事も多々あった。

流され易いこの時期に、何故そこまでワルな行為を毛嫌いしたのか…。
従っておけば、もっと早く楽になった筈…。
そんな考えも頭をよぎる中、僕が思い出していたのは、あの時の施設での暴力的な日々だった。

あんな事が許されてはならない
僕には、その思いしか無かったのです。

そして春が来て、中1が終わり、クラス替えとなった。
半年間耐え抜いたのだ。しかし、以前にも増して暗さが出るようになり、ここから後は夜毎にこの世の中には自分だけが暗闇で彷徨っているような錯覚を覚える程の、孤独感に日々襲われ始める。

この時期から、猛勉強を再び始めた。
単純に自分の存在感を示したかったから
夜の孤独を隠したかったから
何よりお金が無い惨めな生活を送りたくないという思いがあったから…

僕は、昔から金には縁が無い。
母の障害に加えて病気、更に普通なら頼れる筈の父の顔など見たことも無く、支えてくれる筈の祖母や親戚はそんな母にせびっていたりするのを、昔から見ていた。
自分の道は自分で切り開かないと、人は何もしてくれない事を当時既に悟っていた。
母を支えられるのは自分しか居ない事を…。

だから進学を考えた。
進学しなければ仕事になどあり付けないから。
もう、施設に行くキッカケとなった頃のような金の無い生活は嫌だった。

…思えば勉強していたのは、それしか理由が無い。
やりたい事も無かったのだ…。

だから、とにかく出世する事だけを考えた。
施設で同じ部屋だった当時中学生だった彼が言った言葉(Ver8参照)が胸に強く残っていたから、この当時は官僚になって、イジメ問題や施設内での暴力等、社会の裏で起こっている事にメスを入れるつもりだった…。

その僕の考え方が、もう少し後に母との間で進学問題として対立する事になる。

―――――――――――――――
(以下、追記です)
今にして思えば、勉強する事で出世出来ると、考えが単純だった事に気付きます。
にも関わらず、実力は伴わない為、それで嫌になったり…。

当時は今以上にがむしゃらさがあったような気がしますね…。


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1994年12月
漸く母が退院した。
母は昔と変わらない事をよく言っていたが、それが強がりだと何となくは気付いていた。

僕は、学校で起きている暴力の問題を言う気にもならなくなっていて、部活とかこつけて外科に行く事も時々あった。

母は、とっくに気付いていた。
だけど僕には何も言わなかったのだ。
そして、ある日、僕が学校から帰って来ると、消毒液と包帯が置いてあった…。
あの時は、抑えていた感情が全部出たような気がして、涙が溢れていた事を今でも忘れられない。

勿論、その時点でこれまでの経緯を話し、解決する事が出来無いから、耐えるしか無い。
と改めて思うようにした。
…でも。この時の母の心境はどうだったのだろうか?
今もそれは解らない…。

年が明けて、1995年になった。
そして、この年になり三学期が始まると同時に、僕は病気になります。
病名は忘れてしまいましたが、心臓に小さな穴が開いていたのです。
それを治療する為の手術が緊急で始まった時、僕は全身麻酔で深い眠りに落ちた。

その時に見た光景は、余りに恐ろしく未だにハッキリと覚えている。
何者か解らないけれど、追い掛けられ僕は暗闇の中を逃げ回り、果てしない底へと落ちていき、上から嘲笑うかのように聞こえる何者かの声。
そして、その正体は死神だった。

目が覚めると、病室で手術は終わっていた。あの時見たのは、もしかしたら死後の世界だったかも知れないと思うと、決して死ねないと強く思えた。

しかし…
闇の中を歩く自分を想像したり、どうしようも無い絶望感に襲われたりした時には、本気で思うのだが、この時の恐怖を思い出し、自殺は思い止まるという事がこの後あります。

幸い、今はその心臓の病気は何とも無くなり、よく完治出来たと思います。
奇しくも痛くこそあったけれど入院中の方が穏やかに時間が過ぎた。

そして、1995年1月30日
三週間程の入院を終え、僕は再び家に帰って来た。
入院中にリハビリを重ね、長距離を走れるまでに回復していた為、部活も再び再開し、学校にも行き始めた。

退院した僕を待ち受けていたのは…
意外にも暴力では無く、暴言の方だった。そう。この入院後は、直接の暴力は止んだ。しかし、変わりに言葉の暴力の方が酷くなっていくのだった。

―――――――――――――――
(以下、追記です)
あの時に、深い眠りの中で見たものが何だったのか?
それは今も分かりません。
ただ、当時の僕に凄まじい恐怖心を植え付けて、それが幸いしたのか更に精神的に辛い、あの堕落した時に自殺する気も失せたのです…。

今夜は時間にも心にも余裕がある為、一気に第2章終了まで書くつもりでいたのですが、流石にこの辺りは書いていて精神的にキツい為、少しゆっくりめになってます…。

無理せず、ここで少し休憩入れます。


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