今の気持ちを綴ったブログVer 2.0 -82ページ目

今の気持ちを綴ったブログVer 2.0

自分の心と向き合って言葉を詩に乗せて紡いでいきます

大学を退学して、家に戻ってからは連日ハローワーク通いが始まった。
母の入院は続いていたけれど、手術後は安静にしていて、少しずつ肺癌の方は収まっていた。

この頃は、僕は自分がしっかりしないと生活すら成り立たない事を認識して、
僕は自分を強く持とうとしていた。

ところが、僕は20歳を迎えていて、しかも最終学歴が高卒という事になる。
高卒では、新卒でないと仕事は正社員の形では、殆ど無い時代へとなっていた。

その為、面接を受けても決まらず、
書類選考で落ちる事も多々あった。
それも今考えれば、当然だった。
中途採用の意味を良く分かっていなかったのだ。
中途採用で必要な、社会人としての常識を持っていないのだから、仕事が決まらないのも、今なら納得出来る。

…だけど、あの頃は
少し前まで、日本で最も上位の大学に居た事もあって、プライドがあり自分の学習能力に欠けていた…。

また、そのプライドのせいで、不採用の度に気持ちは落ち込み、泥沼へと陥っていく…。

不採用が重なっていく毎に、僕は次第に気力をも無くしていくのだった。
夜には、全く眠れなくなり、毎日睡眠薬を飲んで眠りに付くも、朝になって起きるのが辛くて、外の朝日をみるのが堪らなく辛い日々が続いた。

それでも母の前では、なるべく強くあろうとした。
病院では、密かに睡眠薬と安定剤を処方して貰っていたが、母には一言も言わず、ただ仕事を探している事だけを告げていた。

そんな日々が続いていく中で、この世で僕は価値の無い人間。
中途半端に学力があって、
普通の生活を送る為の仕事に就く事も出来ず、
このまま何ともならない人間…。

そんな考えに次第と侵されていき、僕は人生の中で最も辛い、無気力という物を経験する事となる。

―――――――――――――――
(以下、追記です)
中途半端に学力と学歴がある分、プライドが邪魔になって、謙虚さと言うものが薄れてしまっていた時期だと言えます。

そして、そのプライドは本人が自覚していない分、余計タチが悪く、不採用になる現実を受け入れられない…
と悪循環する訳なのですよね。

此処の堕落は、言葉にすると簡単ですが、実際の苦しみは思い出したくもありません…。


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そうして、再び広島に帰って来た僕は、最初に家に戻った。
家では、この時はまだ母の病気は出ていなかったんだ。
しかし、病院通いしている事が気にはなっていた。

その後、彼女の所に行ってみる。
…居ない。大学にも居ないし、家も引っ越した後だった。
最後の望みを託して、あのバイト先へと行く。店長が、辞めて引っ越した彼女から頼まれていた手紙を僕に渡してくれた。

『私が、変わってしまった。
今のままあなたを愛していける自信が無い。あなたといた日々は、手紙でやり取りした日々は、綺麗な思い出として大切にしていたい。
私は、遠くに行きます。
あなたに迷惑にならないように…』

今なら、何となく言いたい事が解るのだけど、当時は全く分からなくて、ただ失った事だけが悲しかった。
それと同時に、僕の中ではまたしても孤独の闇が襲ってくる事を感じていた。

東京に戻ってからは、
それを忘れる為に、またそれまでは貯金を母の生活費にと送っていたけど、学費の方が足りない恐れも出た為、バイトを始めた。


そして月日は流れ…
2001年10月
2年後期が始まった途端に、病院から電話が掛かって来た。

母が肺癌で倒れた。手術する必要があるのだという。
僕が大学に入った事で生活保護が無くなり、母の生活費は、僕がバイトして仕送りしていた。その為、高校までで貯めた貯金は学費でギリギリだった。
しかし、手術費用を払わなくてはならない。
とても、大学へ行くなんて事は出来無い状況となった。

将来に対する不安を抱えながらも、学内の競争を生き抜いて、希望する学部へ行ったばかりでの今回の事で、その苦しさも何も全て無駄になってしまう…。

だけど、僕は迷わず退学を選び、荷物を持って、広島の家に帰ってきて、病院へと向かったんだ。

母の様態は、凄くギリギリの線だった。
何が何でも助かって欲しい。これ以上失いたくは無い。
僕は、そう願った。

そうして、母は、何とか病気を克服した。そして、母の病気をキッカケに家から出れない事を悟り、此方で仕事を探す事にしたんだ…。

―――――――――――――――
(以下、追記です)
母を助けて今までの努力を無駄にするか、
母を見捨ててエリートとして生きるか
の究極の二択は今でも迷わず、母を助ける道を選びます。

第1章で書いた通り、僕は施設にいた経験がある分、『母が居る』事の大切さが分かる訳です。

それに…、今なら言えますが
学歴と幸せは関係ありませんから。


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2000年10月
1年後期の授業が始まり、僕は相変わらず月曜から金曜まで全てのコマを埋めて、日々勉強にあけ暮れていた。

学内で友人が出来るような余裕も無く、家から離れている事もあり、寂しさは高校時代より上で、だから孤独に押し潰され無いように、ひたすら勉強に打ち込んでいたような気がする。

彼女とは手紙でやり取りをしていた。
僕の方は、大学生になってからプリペイド携帯を持ったのだけど、彼女は携帯そのものが好きでは無く、持っていなかった為だ。

だから、尚更に文章を綴る事を考えさせられていた。
僕は余り意識しなかったけど、それでも優しい言葉を、温もりの気持ちを探していた。

彼女が電話を持っていたら、また違ったかも知れない。
言葉を選びながらの手紙のやり取りは、次第に僕と彼女の間に距離を作っていったんだ。

僕は、大学生の間に思い出が一つも無い。
将来にあれだけ自信を持ち、そして希望に胸を膨らませて入学した筈の大学で、さまよっていたのだ。
勿論、高校の時に興味を持った、天体についての研究がしたいという目標があり、夢はあったのだけど…
大学の日々の競争心によって、自分を完全に見失っていたのだ。

孤独さ以外にそんな、別の苦しみを抱えて大学では過ごしていたように思う。
元々、学内でそんなに出来る方では無い僕にとっては、周りが全て凄い人に思え、
夢さえも儚く消えていきそうな錯覚を、勉強して忘れていたんだ…。

それでも、学内での成績は上がっていく。
大学の成績は、かなり優秀な所まで取れてはいたのだ。
だけど、僕が見た理想の頂点と、現実の頂点は、余りにも食い違っていて、それが悩みにもなっていた。

そんなある日、彼女に手紙を出した。

この不安の気持ちを書き示したのだ。

彼女は、
『あなたには私が居る。遠く離れているけど、私の心にもあなたは居る。
あなたが後ろを向くと、私も後ろを向いてしまいます。
その時は、あなたが辛さに負けないように、精一杯の愛を贈ります。
辛くて無理そうでも、あなたはあれだけ辛い環境を何とかしてきたから絶対に大丈夫。あなたの夢は、消えない筈だから。
決して諦めないで。』
と返事が来た。

彼女なりに精一杯、考えて綴ってくれたのだろう…。
それが嬉しくて、そして堪らない気持ちになり、僕は電車に飛び乗り広島へと向かった。

―――――――――――――――
(以下、追記です)
僕は、この時広島に戻れば彼女に逢えると信じていたのです。
また、この手紙では彼女はまだ、僕を見守ってくれている筈、
という自信もありました。

結果は次記事の内容なので、此処では触れませんが、
この当時は振り返ると、遠くの彼女に想いをはせて幾度眠れぬ夜を数えたかな…。
なんて思います。依存し過ぎですね…。


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