今の気持ちを綴ったブログVer 2.0 -81ページ目

今の気持ちを綴ったブログVer 2.0

自分の心と向き合って言葉を詩に乗せて紡いでいきます

こんばんは。
現在執筆中の『過去物語』。後2記事で第3章終了なので、そこまで書こうかと思いましたが、
精神的にキツいので今夜は此処までと致します。

さて…。
拙い言の葉と過去を綴った物語の二本立てで現在書いておりますが、ペタやコメント関連のグルっぽに参加した影響からか、
ペタ下さる方は30名から120名まで、
アクセス数は500から1000超えまで増えました。

何時も来て下さり本当に有難うございます。

その影響もありまして、
最近、初めましての挨拶代わりにアメンバー申請される方が何名かいらっしゃいます。
現在まではお受けし、此方からも申請させて頂いておりましたが、

『アメンバーの数増やしにだけ専念している』

という方が余りに目につきます。

当方は、アメンバーと言えば、

『互いにブログにコメントし合える間柄でブログ上の友人』

と解釈しておりますので、上記のような方からの申請は拒否する事と致しました。
…と言いますか、条件を設ける事に致しました。

・過去に5回以上当方とコメントかメッセージで交流された事がある方
・最近2週間の間、週4回以上当ブログに通って、ペタかコメントを残して下さった方

以上2つの条件に当てはまる方のみお受け致す事と致しました。

なお、アメンバーになられてからの、
1週間コメント又はメッセージが無ければ~
という条件を付けていましたが、此方の方は7月1日に撤廃致しました。
理由は、殆どのアメンバーさんが多忙を極めていて、読んでペタ残すのが手一杯という声を多く戴いた為です。


むやみやたらにアメンバーを増やそうとして、興味の無い分野の記事を書いている人にアメンバー申請する場違いな方対策の為ですので、
読者様やペタ下さる方、読み逃げを決め込んでらっしゃる方、きちんとブログを読んで下さるアメンバー様にはこれまで通り接しさせて頂きます。
宜しくお願い致します。

因みに当方は、アメンバー限定記事は一切執筆致しません。
ですので、ブログを読み続けたいだけの方は『読者登録』の方を宜しくお願い致します。

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2002年の前半の半年間は、うつ病との闘いだった。
勿論、突然治るものでも無く、徐々にではあるけれど、その中で自分の中にある前を向きたい気持ちと無力感との闘いは、何時終わるとも知れず、
日によって気分が全く違っていた。

家に引きこもっていても、する事が無く、退屈を極めていた時は、今考えても非常に辛く、毎日が日が当たらない所で半ば自分を見失いそうになりながら、
母に苦労させたく無い一心で前を向こうとしていた。

母の支えも非常に大きかった。
次第に、気持ちは安定方向へと向かい始めて、うつになってから7ヶ月程で、以前のように、普通に外に出られるようになっていた。

また、このうつ病からの回復した時、
僕は『どんな形でも必ず生活を安定させる』
と心に固く誓い、この日以降、僕が元東大生だった事は頭の中から消し去って、ただひたすらに仕事を探し始めたのだ。

2002年10月。
漸く仕事が決まった。
最初に入ったのが、自動車関連の派遣会社だった。
此処から新しい自分が始まる。

当時は超が付く程多忙で、僕自身が余り手先が器用では無い分、人並み以上に努力を積み重ねて、何とか仕事を物にしていった。

流石に、毎日が凄まじい疲労感に襲われ、帰って来たらすぐに寝て、また翌日に備える…。
そんな生活がスタートした。

精神的に、心の傷が痛むような暇すら無い状況の中で、僕はひたすら仕事に力を注いでいた気がする。

派遣であり、期間従業員であった為、3ヶ月で次の現場へ行く事は知っていたけれど、あの空白の時間を埋めたい…。

その思いだけで、必死に仕事をしていた。
でも、一番の理由は他でも無く、
『あの頃のような思いはしたくない。』
この考えが根底にあった為だ。

この後は、ほぼ3ヶ月から1年おきに、現場を変わっていく。

そして、がむしゃらに仕事を続ける日は続いたんだ。
この後、暫くは、時々暗い気持ちが出ながらも、今を生きる事に拘って毎日が過ぎていったんだ…。

そう、2004年の9月に、あの会社に行くまでは…。

―――――――――――――――
(以下、追記です)
うつ病からの回復に7ヶ月の月日を費やしましたが、それでも生きられたのは、母の力が凄く大きかった為ですが、
それ以外にプライドを捨て去りとにかく生きる想いが次第に芽生えたからかも知れません。

とにかく前だけを向く。
僕の基本は此処にあります。


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2002年1月
僕が、無職となり仕事を探し始めて、はや3ヶ月が過ぎた。
その頃から、僕は何もしていたく無い状態となり、家でぼんやりと過ごす事が多くなる…。

退院してきた母は、最初は僕には何も言わなかった。ただ、将来を潰してしまった事に対して、それだけを気に病んでいた。

僕は、無気力ながらも、母のそんな振る舞いを見ていたくは無くて、必死に仕事に就こうとしていた。
だけど、その気合いすらも長くは続かず、自分の抱えている物全てを投げ出してしまいたい衝動に駆られながら、日々過ぎていった。

そんな僕を見かねて、母は精神科へと連れて行ってくれた。
そこで診断された結果は…

少年時代からの心の傷が招いたストレスによる、うつ病だった。

少なくとも、無気力な症状が出ている時は、無理は絶対にするな。
と言われていた。
病上がりの母は、そんな僕に出来る限り考え無くていいように、支えてくれた。

あの時は、嬉しい以上に自分が情けない事に涙し、夜になると、見えない闇に引きずり込まれそうな、
そんな錯覚を日々感じていた。

母に無理はさせられず、心の病であっても少しでも早く治したい。
と思えば、思う程に、何も出来無い自分が歯がゆくなり、自分を追い詰めてしまう。

精神を病んでしまった僕には、やがて外に出る自信さえも無くしてしまい、家へと引きこもるようになってしまったのです。

生活は貧しかったが、再び生活保護を受けられるようになって、母は、僕が戻れるように願ってくれていました。

先に対する希望も何も無くなったけれど、希望が無いながら前を向いて生きていく事で立ち直れた人も居る。
将来に対する望みは、何時でも持てる。

ある日、先生が言ったこの言葉と、自分の過去から今まで振り返っても、良い環境とは呼べない中で、それなり以上の結果を出して来ている事。

それを思い、僕は後ろ向きな気持ちでは行けない。
と思い、母の家事の手伝いをする事から始めて、心の中にある絶望的な気持ちに立ち向かい始めた。

―――――――――――――――
(以下、追記です)
この当時、僕の掛かったうつは程度が軽い物と言われています。
が、それでも無気力感は半端では無く、
それ以前から比較して、人は此処まで堕ちるのか?
って思う程に当時の僕は堕ちていました。

今でもよく此処から立ち直れたな…、と自分でも不思議に思います。


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