家では、この時はまだ母の病気は出ていなかったんだ。
しかし、病院通いしている事が気にはなっていた。
その後、彼女の所に行ってみる。
…居ない。大学にも居ないし、家も引っ越した後だった。
最後の望みを託して、あのバイト先へと行く。店長が、辞めて引っ越した彼女から頼まれていた手紙を僕に渡してくれた。
『私が、変わってしまった。
今のままあなたを愛していける自信が無い。あなたといた日々は、手紙でやり取りした日々は、綺麗な思い出として大切にしていたい。
私は、遠くに行きます。
あなたに迷惑にならないように…』
今なら、何となく言いたい事が解るのだけど、当時は全く分からなくて、ただ失った事だけが悲しかった。
それと同時に、僕の中ではまたしても孤独の闇が襲ってくる事を感じていた。
東京に戻ってからは、
それを忘れる為に、またそれまでは貯金を母の生活費にと送っていたけど、学費の方が足りない恐れも出た為、バイトを始めた。
そして月日は流れ…
2001年10月
2年後期が始まった途端に、病院から電話が掛かって来た。
母が肺癌で倒れた。手術する必要があるのだという。
僕が大学に入った事で生活保護が無くなり、母の生活費は、僕がバイトして仕送りしていた。その為、高校までで貯めた貯金は学費でギリギリだった。
しかし、手術費用を払わなくてはならない。
とても、大学へ行くなんて事は出来無い状況となった。
将来に対する不安を抱えながらも、学内の競争を生き抜いて、希望する学部へ行ったばかりでの今回の事で、その苦しさも何も全て無駄になってしまう…。
だけど、僕は迷わず退学を選び、荷物を持って、広島の家に帰ってきて、病院へと向かったんだ。
母の様態は、凄くギリギリの線だった。
何が何でも助かって欲しい。これ以上失いたくは無い。
僕は、そう願った。
そうして、母は、何とか病気を克服した。そして、母の病気をキッカケに家から出れない事を悟り、此方で仕事を探す事にしたんだ…。
―――――――――――――――
(以下、追記です)
母を助けて今までの努力を無駄にするか、
母を見捨ててエリートとして生きるか
の究極の二択は今でも迷わず、母を助ける道を選びます。
第1章で書いた通り、僕は施設にいた経験がある分、『母が居る』事の大切さが分かる訳です。
それに…、今なら言えますが
学歴と幸せは関係ありませんから。
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