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考え方を考える

プロとは、ということに関して

様々な定義があると思うけど、

プロになりたいボクにとって、とてもいい言葉


ボクは、今とても夢を持っているけど、

それを打ち壊す先輩の意見とかをよく聞く


そのボクにとってとてもいい言葉



「プロは仕事を楽しめること」



夢を持つことは大切なこと。

でも思い通りに、夢をかなえられないことは正直多々あるでしょう。

プロは、それでも仕事を楽しめる。

ボクは今日すごい経験をしました。


人が死んだのです。



人がいなくなるということは、

精神がなくなることだと思いました。


とても恐いと思いました。

でもこういうことがとても大切だとも思いました。

ニュース番組ができるまでのドキュメント番組がやっていました。


あるニュース番組のキャスターに対して、

その番組のプロデューサーがこういうことを

言っていました。


「きみが『○○だと思います』

っていう言い方をすると、

きみがそのことについて詳しく知っているみたになっちゃうよ。

だからそれは『○○だということです』という伝聞でいいんじゃないの?

視聴者は『うそー。』と思うよ。」

と。


ボクはこのことに対して、

いや、ウソとは思わないでしょ、

とツッコミを入れたくなりました。

なぜなら、あるニュースという事実に対する

キャスターの意見であると思う(わかる)からです。

(ウソとは思わず、知ったかぶりのキャスターだな

と思う人はでてくるかもしれないが、

番組をウソだとは思わない。)



むしろ先ほどの指摘はボクは危険なことだと思います。

なぜなら、『○○だということです。』と伝聞の形にすることで、

それを”その人の主観的意見”から

”神様の視点での客観的事実”と変換されてしまうからです。

本当は”その人の主観的意見”なのにも関わらず。


そしてそれと同時に、また嫌悪感を覚えました。

ニュースは極力”神様の視点での客観的事実”を

報道するものです。

だから、”主観的意見”を嫌うわけです。

そして、それが”客観的事実”に見せかける演出までしています。

客観的事実を伝えるという本来の目的を失い、

客観的事実に見せる(見せかける)ことまでに及んでしまっています。

ニュース番組を”ホント”とすることに必死です。




嫌悪感が増えると供に、

この新しい報道をうたっている番組も

古いな。と思ってしまいました。

視聴者は見抜く力を持っている。

結果から考えるということは、

ブレイクスルーするために大切だったりする。


例えば、

TDSにはファストチケットというシステムがある

これは実際に客の待ち時間を縮小させるための

システムなのであろうか。

これは一見考えると複雑であるように思えるが、

結果から考えるとすぐに結論は出る。


一つのアトラクションに来る

人の量が、

(もっといえば、大雑把にいえば

TDSに来る人の量が)

変らなければ、

待ち時間は変らないはずである。


つまり、実際に待ち時間は変っていない、

(むしろ人気アトラクションに関しては増えるんじゃないか)

のである



僕達は、こういうシステムによって

さも早くアトラクションに乗れると

錯覚する、

これもうまいシステムなのである。

昨日は日本で最高のテーマパークにいってきた。


ボクは、初体験だったんだけど、とても衝撃を受けた。


ボクは、どうせボクは楽しめないだろうと思っていた。

しかし

楽しいのである。



アトラクション自体はあまり楽しくないのだが、

そこにいくまでのストーリーなどをとても

楽しみにしているのである。

つまり世界観を楽しんでいるのである。



そしてこれは、みんなんとってもそうであると思う。

パレードなんかを見ていると、

みんな手を振っていたりする、

その世界観を十分楽しんでいる。

これは異様な光景である。


アトラクションなどを売りにしている、

(機能性を売りにしている)のではなく

世界観を中心にして、それに対するアトラクションがある

(象徴性を売りにしている)ものに初めて触れ、

これはまったく今までのものとは別物であると感じた。

今日プロフェッショナルを見て、

ある人がこういっていた

「企画にはトゲがないといけない」


ボクはこれは企画の個性だと解釈しました、

企画には個性がないといけない

オリジナリティがないといけない

何か変だとか、何か新しいとか、何かおもしろいとか

いってもらえなければならない

可能であるとうことがかっこいいとされる時代であると

今日ふと思った。


あるテレビ番組で、女子大生が出ていた、

今流行の格好をしていて、

化粧もみな同じような感じで、

顔もかわいい感じで、

ボクはこういう関係性だけで生きている、

ブランド主義みたいな人は好きではない、


しかし、「こいつらかっこわりーよ」

と素直にいえない自分がいる

なぜなら自分がその立場(派手な世界にいける立場)に

いないからである。

できない人間が、否定しても、

それはかっこ悪いだけなのである。



この例から見られるように

可能である、というその人のテリトリー(円のようなもの)が

広いということがかっこいい時代であると

思った。




よくボクの仲間で、

何にでも余裕を見せようとする人がいる。

それもこの可能である範囲が広いということを

見せつけたいという行動の表れであると思う。




もてるためにはこういう可能である範囲を広げる

ということが大切なのでしょう。

考えるということは自由である。

どう考えるか。

何を考えるか。


最近ちょっとそれを意識していることが少ない。




もっともっと考えないと。


もっともっとブルブル感動しないと。

前にも書いた気がするけど

もう一度思い出すために、


2つの価値があるものに僕達は

魅了される。

例えば、ナイキのCM

ブラジルのCMはとてもかっこいい

これはなぜかっこいいのだろうか?


それは、サッカーがうまいというかっこよさを

押し出したCMではないからだ

なんとなく遊び心というか、ふざけてる感じというか

こういうものがとてもいい、

ただただサッカーがうまいというかっこよさはもうわかってるわけで

違うところを売るととても力強いと思う。


例えば、他の例で言えば、

HEROというドラマが挙げられるだろう。

あれはキムタクが笑いを売っているというところが

とても強烈なのだ。

キムタクはもうかっこいいことはわかっているわけで

それを売ってもあまり力強さを感じないのである。


他には、

池袋ウエストゲートパークとの長瀬さんとか

ロリ顔の巨乳とか




こういう感じで、

2つの価値を持っているというものが

とても力強いと思う。

一つの価値の保障がついているから

もう一つの価値が映えるのかもしれない。


まあ一般的にいえばギャップということだね。


便りがないのがよい便り

というのはとてもおもしろい


情報がないということが情報になりえるということです。

ある情報だけに目を向けず

情報がないということは結果的にどういう情報になるのか

と枠組みを広げることも時には必要なのである。


情報がないということが一つの可能性(道)しかない

時にそうなる・・・・のかな