リアルにしようと必死 | idea-house

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考え方を考える

ニュース番組ができるまでのドキュメント番組がやっていました。


あるニュース番組のキャスターに対して、

その番組のプロデューサーがこういうことを

言っていました。


「きみが『○○だと思います』

っていう言い方をすると、

きみがそのことについて詳しく知っているみたになっちゃうよ。

だからそれは『○○だということです』という伝聞でいいんじゃないの?

視聴者は『うそー。』と思うよ。」

と。


ボクはこのことに対して、

いや、ウソとは思わないでしょ、

とツッコミを入れたくなりました。

なぜなら、あるニュースという事実に対する

キャスターの意見であると思う(わかる)からです。

(ウソとは思わず、知ったかぶりのキャスターだな

と思う人はでてくるかもしれないが、

番組をウソだとは思わない。)



むしろ先ほどの指摘はボクは危険なことだと思います。

なぜなら、『○○だということです。』と伝聞の形にすることで、

それを”その人の主観的意見”から

”神様の視点での客観的事実”と変換されてしまうからです。

本当は”その人の主観的意見”なのにも関わらず。


そしてそれと同時に、また嫌悪感を覚えました。

ニュースは極力”神様の視点での客観的事実”を

報道するものです。

だから、”主観的意見”を嫌うわけです。

そして、それが”客観的事実”に見せかける演出までしています。

客観的事実を伝えるという本来の目的を失い、

客観的事実に見せる(見せかける)ことまでに及んでしまっています。

ニュース番組を”ホント”とすることに必死です。




嫌悪感が増えると供に、

この新しい報道をうたっている番組も

古いな。と思ってしまいました。

視聴者は見抜く力を持っている。