可能であるとうことがかっこいいとされる時代であると
今日ふと思った。
あるテレビ番組で、女子大生が出ていた、
今流行の格好をしていて、
化粧もみな同じような感じで、
顔もかわいい感じで、
ボクはこういう関係性だけで生きている、
ブランド主義みたいな人は好きではない、
しかし、「こいつらかっこわりーよ」
と素直にいえない自分がいる
なぜなら自分がその立場(派手な世界にいける立場)に
いないからである。
できない人間が、否定しても、
それはかっこ悪いだけなのである。
この例から見られるように
可能である、というその人のテリトリー(円のようなもの)が
広いということがかっこいい時代であると
思った。
よくボクの仲間で、
何にでも余裕を見せようとする人がいる。
それもこの可能である範囲が広いということを
見せつけたいという行動の表れであると思う。
もてるためにはこういう可能である範囲を広げる
ということが大切なのでしょう。