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考え方を考える

今日こんなような一文を読みました。



メディアリテラシーとは


そのメディアの特性や、

社会的にどういう意味を持っている

メディアなのかを理解しすること。

そうすることによって、そのメディアの発する情報は、

構成されたものとして、認識すること。

それに加えて、

自らメディアを使って表現することによって、

社会に向けてコミュニケーションを図ることである。


なーるほどね。

テレビの中のものというものを

僕達はよくわかっている、と思った。


ドキュメンタリーの世界

ドラマの世界

バラエティの世界

ニュースの世界


すべての世界をよくわかっている

例えば、ドラマの世界というのは、

ある程度無理があっても疑問に思わない。

1日でありえない動きをしても、それを受け入れる、

現実とは違うということをよく理解している。

(例えば、一日でホストになって、その日に働いて、

それをトモダチが聞きつけて、店にくる

なんてなこともありえるのである)


例えば、ニュースの世界では、

そういう矛盾点にはすぐ気付く




逆につくる立場になったときに、

こういう認識が役に立つかもしれない


つくるものの「世界」を考えなければならない

「一生懸命やればいいじゃん!」

グダグダ言ってないで。



なんかボクに足りないものかなと思った。

ボクのトモダチがとてもいいことを言っていたので、

メモっておくことに・・


女に限らないことかもしれないけど、

この雰囲気を楽しむっていうことは、

僕達にとってとても重視されているいことだ、


女の子によくあるずーっと会話が続いているかんじとか

「イエーイ!」みたいに盛り上がっているかんじとか、

こういうのは実は、その会話の内容とかっていうのは

実はあまりどうでもいいことで、

その会話している雰囲気を味わい、楽しんでいるという感じだろう

イメージでいえば、

料理の中身よりは、それを支える皿が重視されているという

感覚だろうか・・・。

考えることは自由だ。

そして考え方も自由だ。


絶望的なくらいいろいろあるなーと僕は今日思った。


いろいろ死ぬまで考えても、足りないだろうなー。

機能的価値と象徴的価値っていうのがあるけど

普通は、モノに対して言う、


例えば、フェラーリは、実は

300km/h出るという機能的価値に対して

高値を払っていると思いきや、

実は、例えば日本なんかでは300km/h出せないわけで

象徴価値を買っている、といった具合である。


こういうことは、例えば、情報にもいえて、

オタクっていうのは、

オタクたちの知っている情報にあまり意味はないわけで

「こんなおまえらもわからないような情報まで知っている」という


裏の意味に情報の価値がある、と思う。



で、ボクはこういうことが仕事ではないのかなと思った。

今人気のある仕事は、やっぱり給料がいい仕事や、休みがある仕事

などである、

これは機能的な価値ともいえるかもしれない。


象徴的な価値を持った仕事って出てこないかな~~

すごいものがでてきました。

ソース


自分の位置を登録すると、わかるというもの

そしてお店やなんちゃらがわかるというもの


それに加えておもしろいのは

周りにどんな人がいるのかわかるもの

MySpaceなんかと協力して

いろいろなサービスとおも連携できるというもの


すげーおもしろい




いつからか、ネットの世界、リアルな世界という言い回しから

オンラインの世界、オフラインの世界となっていっているけれど、

今までMixiといったSNSがどうしてもネットの世界となりがちであった。

しかし、このサービスは、リアルな世界のオンラインサービスである。

いろいろなサービスが提供できそうである。

例えば、その人の属性などをBLOG、SNSを通じて解析する事で

その人にあった情報を提供することができる。


特に携帯というPCとは違ったエクスペリエンスを体験できる

ツールであるため、

「そのとき、その場で」情報を提供できたり、

電車などの「暇つぶしツール」となっているため、

情報は見られやすかったりするかもしれない。

自殺事件に関して一言



今日テレビでこういうことを言っていました。

「テレビの影響力は強い。例えば

女の子が死んだ時に、

映像で彼女の学芸会の映像を流すでしょ?

あれは、人間のまったく弱いところを揺さぶる感じが

ボクはする。」


確かに、とボクは思いました。

このことから自殺の原因を2つの視点から考えてみました。



①死ぬことの強さ

テレビはとても強い影響力は与えている。

そしてそれは本当の死とは少しずれた

強い影響力があるとボクは思いました。


それは、世間に影響を与えるということです。

この子がなくなった、かわいそう

という強い映像を目にし、

こういうことを世間が思うだろう、

社会が動くだろう、

と思ってしまうところが、特徴的なところです。


つまり、死を強く感じることができると共に

その死が世間に強い影響力を与えるだろう(ずれている部分)

と感じるのです。



②死ぬことの鈍感さ

それに加えて、

死ぬことに関しての鈍感さが

最近の子供には多いことが挙げられます。

現代の科学・技術の進歩によって死ぬということが

少なくなりました。

そしてコミュニティの希薄さから、

さらに死ぬことに関して鈍感になっています。


ボクもその1人です。


死ぬということに、大人になるまで接することが

ありませんでした。

ですが、先日、

その機会を得ました。

それによって、テレビでは表現できない

死ぬということの恐さを肌で感じました。

これが今の人には足りない、動物的な死の恐さです。




つまり①、②から

自分が死ぬことが恐いということを知らなく

自分が死ぬことが世間に与える影響力だけは知ってるため、

自殺を相手への仕返しのツールになっていて、

自殺がなんともレベルの低いツールになってしまっている

ということなんだろうなと思いました。