元々心配性で優しい父と母は、

病院に連れて行ったり、食事の時に声をかけたり

一生懸命治そうとしてくれているようだった。


しかし私にはすべてが重荷に感じられるのである。

重荷はやがて、怒りに変わっていく。


気づけば、自分自身への怒りも病気への怒りも

すべて両親に向けられていた。

腫れ物に触るような態度、

食べ過ぎなんじゃない、と心配そうな顔

トイレの外にある母親の気配…

すべてが私の神経を逆なでした。

両親への暴言を吐き、物や壁に当たり散らす私を

二人はただ悲しそうに見るだけで、何も言わない。

そのことがさらに私を怒らせるのだった。


この頃は体力も落ちて

中学3年の時には週に1日程度欠席していた。

しかし、成績は良かった。

完璧主義の私は、勉強が生き甲斐だったのである。


部活を引退し、2学期になると、

相変わらず過食嘔吐は続いているものの

少しずつ精神状態が落ち着いてくる。

両親への態度も改善し、

受験勉強に熱中するようになった。

一人で抱えているのが限界に達し

私は中学校の保健室を訪れた。

保健室の先生に、今の自分の状況を話した。

泣くつもりはなかったのに、話し出したとたんに

せきを切ったように涙があふれ出した。


話し終えると、私は放心したままただただ泣いていた。

保健室の先生は私を休ませ、少しの間席を外したようだった。

ベッドに横になり、天井を見ながら

ついに言ってしまった、打ち明けてしまった

と、ほっとしたような悲しいような、

不思議な気持ちに浸っていた。

数十分後、保健室に、緊張した面持ちの母が現れた。


その日は早退することになり、母の運転で家に帰った。

家に着くまでの車中は、重苦しい沈黙に包まれた。

帰宅すると母が、きちんと話し合いたいと言う。

私はうなだれて、今の自分の状況を話した。

母は泣いて、おかしいと思っていたと言い

苦しい思いをさせてごめんと泣くのだった。

私は、何も言えずに涙が溢れた。

中学校2年の冬から、本格的な過食嘔吐期となる。

この後22歳まで、実に8年間もの間、

私は摂食障害と闘っていくことになる。


最初の頃には、食べること、吐くことの快感に浸り

異常な高揚感で、むしろ体調は良いくらいであった。

しかし中学3年の春頃には、

コントロールできない自分の衝動に恐ろしさを覚え、

疲労を感じ始める。


大量に食べ、吐くことが日課になり、

嘔吐はかなり上達していた。

指など必要なく、思い通りに吐くことができた。

しかし、まれに上手く吐けないことがあった。

内臓筋が筋肉痛でも起こしているかのように痛む場合や

クッキーなど水分の少ないものを大量に食べた場合などである。


このようなとき、私は焦った。

とにかく常識では考えられない量が胃に入っているのだ。

ものすごいカロリーなのだ。

これらが吸収されたらと考えるだけでも恐ろしかった。

私はパニックになり、

吸収される前に少しでも吐こうと必死になる。

トイレの手洗い場の水を飲み、吐く。

腹を押し、喉の奥に手を入れ、声が漏れようが気にせず吐く。

数時間もトイレにこもることもあった。


このようなことを繰り返すうち、

過食嘔吐への衝動が手に負えなくなっていく。

食物への異常な関心、そして過食、嘔吐。

嘔吐が終わると達成感があるが、

その後無気力になり、罪悪感に襲われた。

心が不安定になり、

自分は死んだ方が良いのではないかと考え始める。