ある日、いつものように食物を買い込んで帰宅すると

祖母と母が待っていた。

二人に連れられ、私はすぐに病院へと連れて行かれる。


待合室で、祖母が話し始めた。


今日、トイレが溢れてしまってね、

業者に来てもらったんだけど、

業者が、これはおかしいですよって言うんだよ。

ご病気の方がいらっしゃいませんかってねぇ…


私はうつむいた。

祖父母の家のトイレは、水洗式ではなく

昔ながらのくみ取り式だった。

家の裏に汚物のたまるタンクのような物が埋まっており

定期的にくみ取り業者に頼んでいる。


私の嘔吐物で、タンクが溢れてしまったのか…

顔から火の出る思いだった。


内科のおじいちゃん先生は、気の毒そうに私を見て

専門医に紹介状を書きましょう、と

東京の大学病院を紹介してくれた。




高校には、家から通うことができなかった。

そこで、母方の祖父母の家に下宿することになる。


祖父母の家の一室を与えられ、

そこに机やタンス、テーブルなどを持ち込んだ。

さらに祖父母が

一人暮らし用の小さな冷蔵庫を備え付けてくれる。

皮肉なことに、この部屋が

一人で思う存分過食できる空間となってしまった。


高校が別だったことから、彼とは別れてしまっていた。

寂しさを埋めるのは過食だった。

仕事を持っている祖父母は、

帰りが遅くなることもしばしばで

帰宅部の私には一人の時間がたっぷりあった。


食べては吐き、吐くとまた食べ、そして吐く。

一日に何時間も、何度も何度も、

毎日毎日繰り返すのだった。


学校でも、今日は何を買って帰ろうかと考える。

大抵、駅の前の店で、賞味期限ぎりぎりの値引きパンを

大量に買い込むのだった。

パンを食べ尽くすと、祖父母の家の食料をあさる。

祖父母不在の時間の過食嘔吐は、エスカレートしていった。

中学3年の夏から卒業までの間、恋人がいた。

友だちの延長線上のようなものだったが、

大きな精神安定の要因だったように思う。


私の恋愛遍歴を振り返ってみると、波瀾万丈である。

コロコロと対象を変え、振り回してしまう。

付き合いに発展すると、極度に依存してしまい

彼の大きな負担となってしまうのである。


私は、食物以外の何かに依存しようと

必死だったのかもしれない。

すぐに終わってしまう割に、

ひとつひとつの恋愛への情熱は凄まじく

いかも低年齢なので、

同年代の男子に私を手に負えるはずがなかった。


中学3年の恋人は、幼なじみのようなもので

私のことをよく支えてくれたように思う。

摂食障害のことははっきりとは告げなかったが

詮索するわけでもなく、辛いときに助けになってくれた。


受験勉強の合間に過食嘔吐をしながら

私は県立のトップ校に合格することになる。