高校生活は楽しかった。

元々勉強が好きだったので、授業が楽しい。

欠席もさほど多くなく、

3年間を無事に終えようとしていた。

過食嘔吐は依然としてひどかったが

このころの私は、

過食嘔吐と上手く付き合っていこうと

発想の転換をし始める。


自分はストレスを解消するために

過食嘔吐しているのだ。

もしも過食嘔吐していなかったら

自分の心は壊れてしまっていたことだろう。

過食嘔吐以外に熱中できることを

少しずつ探していこう…


私が熱中できたのは、受験勉強だった。

そして、大学に合格。

過食嘔吐になって5年が経とうとしていた。

ある日、事件が起こった。


朝ご飯を終えて、食器を下げに台所へ行った私は

ビニール袋に嘔吐していた。

ふと人の気配を感じて振り返ると、

祖父が立っていたのである。

祖父はただただそこに立っていた。

私は、一瞬何が起こったのか理解できずに

自分の部屋に駆け戻った。


布団をかぶって、がたがたと震えた。

消えてしまいたいと思った。

死にたい死にたい死にたい

その言葉ばかりが頭の中で連呼される。


私は思わず、その言葉を、友人にメールした。


駅までは毎日祖父が車で送ってくれていた。

その日も、祖父はいつも通りに車に乗った。

私の嘔吐には触れず、何もなかったかのように

普段通りに振る舞うのだった。


駅から同じ電車に乗る友人は、

私のことが心配でたまらない様子で待っていてくれた。

ここで、私は初めて、

友人に自分の病気を打ち明けることになる。


私の話を聞き終えた友人は、

気づかなくてごめん、と言った。

彼女の家は代々医者だった。

しかし彼女は親の敷いたレールの上を歩くのは嫌だと

医者にだけはならないと断言していた。


その彼女が

私、医者になる

と言った。


医者になって、華を絶対に治してみせる。


そう言ってくれたのだった。

紹介された大学病院へは、一人で行った。


待合室には、一目で拒食症とわかる女の子や

やはり摂食障害であろう若い女性がいた。

若い女医さんは私を一目見て、次に紹介状を見、

事務的に少し問診した後、薬を出すと言った。

私は、薬もどうせ吐いてしまうと思いながらも

何も言わずにうなずいた。

丸一日かけて来たが、診察はわずか10分程度だった。


処方された薬は、まったく吸収されずに吐かれた。

胃はいつもほとんど空っぽの状態だった。

少しでも食べればすぐに吐く。

やがて薬など飲まなくなった。

医師など信じられないと思った。

母には通院していると嘘をつき

毎月交通費だけを受け取り、

そのお金で過食する日々が続いた。


もうトイレには吐けないと思った私は

どんどん異常な行動を取り始める。

家に隣接する祖父母の畑の隅に

夜中に穴を掘って嘔吐したりした。



本当に、自分は何をしているのかと思う。

自分で自分がわからない。

衝動が抑えられない。

食べたい。吐きたい。

その思いがいつまでも頭から離れない。


学校での時間は、かろうじて過食せずに過ごせていた。

友人との食事の時も、合わせることができた。

しかし、お昼も、お菓子も、後にすべて吐いてしまう。

一人前の量というのがさっぱりわからないのだ。

味というのもさっぱりわからないのだ。


ただただ、一日3回普通に食事がしたい。

それが私の悲願となっていく。

そんな日が来るとは、到底思えなかった。