本記事は当初、ツイッターで簡単に済ませようと思ってたものが長文になってしまったので、こちらへupすることになりました。

 地上波で放送され、録画しといた劇場版『鬼滅の刃』を視聴。同作品の知識はゼロに等しいが、空前の大ヒットといわれる映画とやらはどのようなものか、一応は目を通しておこうかという軽い気持ちで見てみることに。そんなに支持されてるんなら自分のような者でも楽しめるかもしれないと思っての初遭遇でありました。
 予備知識がないということは、まっさらな状態で見れるということ。演者もスタッフも知らない状態で作品を見れるというのはぜい沢なことだ。2時間40分の旅。私は『天井桟敷の人々』や『市民ケーン』を見るときと同等の態勢で視聴にのぞむ。
 しかし、開始早々、見るのが嫌になった。私の嫌いな、血の通わない絵だったからだ。手描きじゃないじゃん(実際は手描きとCGの融合)。CGなんか使うなや、失礼だな。
むかっ
 でも我慢する。黙って見ようと試みる。ところが、いつまで経っても面白くなりそうな気配がしない。ギャグをやってるつもりなのかと思しきシーンも、スベってる感しかしない。
 妖怪(?)の描写にしろ、血の通わない絵だから、ちっともキモチ悪くないではないか。致命的。オイッ、オイッ、この映画、本当に大ヒットしたのか? Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)
 冗談抜きでつまんないから、いったん見るのをやめた。

 残酷描写が話題になっていたので、それは期待していた。じつのところ、そこの確認作業をしてみたかったというのが視聴の大きな動機になっている。いまどき、どこまで攻めた表現ができているのかが気になって。だがその場面はいっこうに訪れない。
 ・・・ん、もしかして、さっきからポツリポツリと出てくるアレのことを指してるのか? アレが残酷認定されてるのか?
汗
 厳密には「こういうことなんだから、残酷ってことなんだろうな」「こういうことなんだから、悲しいってことなんだろうな」というのは理屈では理解できる。しかし、いかんせん血の通わない絵のタッチと画の質感では、理屈は理解できても心までは到底届かない。生々しさが皆無なのである。

 主役側のキャラクターは執拗に自分たちを「人間だ」と主張している。そのわりに彼らの大半が超人的な体力や精神力が備わってるので安易な印象を抱かざるを得ない。強いとか立派な人物を描くのは簡単だから。
 登場人物がやたらと台詞で説明してるのもよくない。例えば主人公(?)が「ずっとここ(夢の中の世界)へいたい!」と葛藤するような場面があった。そこも台詞による説明である。これなんかは映画の演出としては大きなマイナス素材になる。
クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』にも似たような場面があった。オトナ帝国からの脱出を決めた野原一家がクルマを走らせるのだが、運転しているヒロシが一瞬、クルマを止めるのである。台詞による説明はない。
 ここで多くの観客・視聴者は「なんで止まる?」といった疑問を持ったようなのだが、これは読み解く力のある者だけが「葛藤している」と気づくことができるのだ。ことばの説明で見る者全員に理解させようとする映画が標準になってしまえば、見せられる側の読み解く力は育たない。あれでは「客を甘やかす映画」枠だ。そこは突き放すか、もっと視覚だけで心理描写がわかるような演出をつけるかにするべきだった。

 たぶんだけど、この作品を推す人も、この作品を問題視する人も、ろくに映画(テレビで放送されるドラマやアニメも含む)を観てない層なんじゃないかと思ってしまう。驚くような要素はなんにもないですよ。
 言っておくが、日本の映画やアニメには、もっといい作品がいっぱいありますよ。心を傷つけるナイスな作品なら、かつてはいくらでも存在した。それらを観ずしてのレビューならば参考にならないですわ。

 あとで「多すぎ」と苦情が殺到したとされるCMも、ちっとも邪魔には感じなかった。それどころか「続きは明日でいいや」になってしまう。次の展開にワクワクしないからだ。

 残り30分でCMへ入ったところでいったん止めた。なぜか途中から主役になったクラッシャー・バンバン・ビガロのコスプレをした人が死にますよーという場面あたりで。続きはは翌日に見ることに。ここまでは2日に分けて見ているので、これで3日かけてみることになる。

 


 ところがいつも出入りしてる現場へ行ってみると、そこのメンバー同士が「鬼滅、見た?」な会話をしている。以前にも書いたことがあるが、そこは野球好きな面子が揃っていて、私がナイター中継を録画予約してるのにぜんぶ結果を言われる羽目になる場所。この日は月曜日だったから野球の試合はなかったのに、そのかわり映画のネタバレを食らいそうになったのだ。
 タイガースファンのM本さんが
「冷たいと思うかもしれんけど、どこに泣けるとこがあったん?」と言っていた。え、私はまだ途中までですけど、あれ、泣ける映画だったの?
「劇場で見たら周りが泣いてるから、つられて・・・」
「カラスがポイントなの?」
「CMが悪いわ」
 ん、CMのせいじゃないと思うぞ(笑)? とにかく、そんな会話になっちゃってるので、聞かないようにするため外へ出た。

 その後、たまたま来ていたアニメオタクのY下さんと、まだ途中までしか見てないことわりを入れたうえで同映画について少し雑談。

「好みは分かれるとは思います」
「ボクはわかるんですけど、あの作画には相当お金をかけているしガンバってますよ」
「まぁ、ハリウッド映画と張れるかっていうと、そこまでではないですけどね」

 Y下さんはそう言うのですが、いくらガンバってたって響かないものは響かないんですよ。まず、私からすると、お金をかけたものがイイという認識は最初からないんですよね。明らかに低予算でも『チャージマン研』とか、アステカイザーカイザーインしたときの絵のクオリティのほうが感じるものがあると思ってるし、そもそもハリウッド映画はお金が儲かるような作品づくりをしているので薄っぺらさのほうが目につく、というネガティブな印象のほうが強いですし。
 それに、Y下さんはアニメ好きを自負してるわりに『忍風カムイ外伝』すら知らないそうなんです。あと、アニメ以外の映画はどれくらい観てるのかも、かなりあやしい。特定のジャンル・特定のアーティストしか聴かない人が「音楽とは・・・」なんて語っても説得力に乏しくなるのとおなじで、もっぱらロボットと萌え系アニメばかり見てる人の意見を聞いても「もしかしてこの人には、イチから説明しないとダメなのか?」と思うことが多くて。
 そんなだから、はたして彼の見解が参考になるんだろうかというのは大いに感じました。Y下さんは議論のたびに
「好みの問題」で片づけようとするところがあり、私は「ふ~ん」と言いながら聞いてるのですけど、いつも後になってから「やっぱり、なんか違うぞ」と思うパターンになる。
 ちなみにY下さんの年齢はおそらくアラフィフくらいだと思うのですが、いまMXテレビでやってる『仮面ライダー』を人生で初めて見てるところなんだそうです。

 帰宅してから続きを見ました。泣くような場面なんかなかったです。残酷な場面(?)も、言うほどのことはなかったです。
 もしかしてテレビだからカットされたのかと一瞬だけ頭をよぎりましたけど、本放送はノーカットを謳ってたのでそんなはずはありません。ノーカットだから残酷なシーンだってやってくれるんだろう、と判断して見ることにしたのですから。

 視聴後に、ちょっとだけ調べてみましたよ。そしたら、こんなのが出てきました。

「絆」だってさ。
 ああ、つまり、このレベルなんだな、と思った。
 ここでは何度も書いてることですが、これは思考停止ワードの最上格。このワードを使った瞬間、そのライターへの信用度は無に帰してしまう、ダメ~なやつだ。そうかそうか。このレベルなんだな、このレベルなんだな。 ┐(´д`)┌

 あらためて作品の感想をば。
 この映画は終盤まで台詞による説明が多かった。とにかく、どいつもこいつもしゃべりすぎる。長い台詞もいっさい噛まず、文法的にも正確にしゃべっておる。練習でもしてきたかのようにしゃべる、しゃべる(苦笑)。
 バンバンビガロが力尽きようとするときも、前半の主役だったアイツが「ビガロさんは負けてねえ!」的なことを叫ぶ。そのへんは後々、見る者に語らせるくらいのほうがいいのに、その余地を奪ってしまった。
 それ以外にも演出の問題がある。悲しい場面でいちいち泣きすぎ。判で押したように泣く。
えーん ベタにも程があるだろう、と言いたくなる。これも、わかりやすくするためがゆえ、見る者を甘やかした演出だといえる。

 というか、ハッキリ言って「お涙頂戴」にしたかっただけでしょ。底の浅さ丸出しなんですよね。少なくともリアルな表現とは言い難い。
 前にも書いたことはあるが、人は本当に悲しいときには泣かない。泣けるというのは軽傷だから、それほど深刻な状況ではないのである。
 カムイは生まれて初めて安らげる場所にたどり着き、心を許せる人たちとめぐり合えたと思っていたのに、その人たちが残らず惨殺される目に遭ってもメソメソすることはなかった。あの表現のほうが悲しみや怒りの度合いは、より伝わるというものだ。

 バンバンビガロの死に方がキレイすぎる。そしてやっぱり、しゃべりすぎる。胴に穴が空いてるのに(笑)。
 たぶんビガロは理性の塊のような者という位置づけなんだと予想するが、そんな者でも、死に怯え、痛みにのたうち回る姿を晒してほしい。そのほうが人間らしくなる。
「ビガロでも勝てなかったのか」ではなく、「ビガロでも取り乱したのか」という方向へ持って行ってほしかった。心の限界・心の崩壊。そこが見たかった。

 ニオイにまつわる描写がありましたね。「鬼のニオイがする」って、何回も言ってるくだりがありました。
 鬼のニオイ? 漠然としすぎてます。ここは逆に、少しくらい具体性を持たせたほうがよかったんじゃないの。
 ネット情報ですが、劇場上映時には4DX技術を使い物理的にニオイが漂ってくる仕掛けで客を楽しませていたようです。反則技か? それによると、鬼のニオイは「ゴボウのニオイ」「土や草のニオイ」という声が多かったとか。てっきり獣臭寄りなのかと思いきや、わりとマイルドなのね。
 ビガロさんは「爽やかなミントのニオイ」だって。死ぬか生きるかの戦いをしてるんだったら、そこは汗と血のニオイでいいんじゃないか?
『オトナ帝国』では“懐かしい匂い”というのがパワーワードとして扱われていました。嗅覚はもっとも記憶に訴える要素であり、とくにノスタルジーをテーマとする作品にはもってこいな素材。そしてそれがどんなものか具体的な説明はしなくても、見てる者それぞれに匂いを描かせるには説明なんて不要。上手い演出だった。
『カムイ』においては犬万(いぬまん)と呼ばれるアイテムを使って犬をコントロールしようとする描写が何度もあります。犬万とはミミズなどを天日に干し、練って発酵させたもの。これが猫でいうマタタビのような効果があるとのことで、カムイはこれを全身に塗ったくるなどして犬どもをおびき寄せることがあります。それがさまざまな戦法として役立つのだと。
 犬万がとんでもない激臭であることは想像に難くないでしょう。でも野性的な世界を描く作風なので、そうなるのも必然。しかし激臭を想像しながら見るというのも、ある意味ではぜい沢なことではある。
『オトナ帝国』も『カムイ』も、余計な仕掛けなんかなくたって嗅覚に訴えることができた。だけどもしも、いつかまた『オトナ帝国』を劇場でやることになるのであればヒロシの靴下のニオイを、そして『カムイ』を劇場で上映するのであれば犬万のニオイを、ぜひ4DXで再現していただきたいです。


 

 笑いの入れ方が全体的に下手。なんでそんなにコミカルなカットを入れたいのかと首を捻りたくなる瞬間だらけであった。
 まず、ギャグの一つひとつが面白くない。よくある、サムくなる系のノリだったのも「ああ、このレベルなのね」と感じさせてしまっていた。
 タイミング的にも「そこで笑いにする必要があるのか?」とツッコミを入れたくなる箇所が何度も何度も。それはビガロが死ぬ場面にすら使われていた。なぜかコミカルタッチな絵を挟んでいる箇所があるのだ。
 例えば『人造人間キカイダー』であれば、話が重くなりすぎるのを抑えるために随所にハンペンを起用し、しかも演者がチャプリンさながらの動きで応えるので作品全体の印象をちょうどいい具合に変えるほどの役割を果たしていた。あれは必然性のある笑いなのだ。
『オトナ帝国』での笑いは、シリアスになりすぎる前の絶妙なタイミングでかまし、見る者に「おいおい、マジになるなよ。これ『クレしん』だぜ」というかんじの粋な使い方をしており、大いに感心させられたものだ。
 ビガロの死はシリアスで通してよかったのではないだろうか。もっと「死」というものを味わわす――そこに重きを置くべきだったのでは? あれだけ長台詞をかましといたのに、軽くしてどうする。



 とにかく感情移入できる登場人物は誰ひとりとしていなかった。人物が、感情移入に至るまでの描き方をされていない。そもそも人間側は基本、どれも人格者として描かれてるので感情移入のできる余地がないのだ。人のカラダをしているイノシシが時おり奇異なことをしそうになるが、暴走したとまではいかなくて、結局は「イイやつ」止まり。
 妖怪側も・・・え、あれって鬼なんですか? えーと、金棒は持っていましたっけ? まぁいいや。でもそれ、鬼でなきゃいけないの? あれくらいの屈折具合なら人間でもよさそうなもんなんだが? 人間にはできない特殊能力が使えなきゃいけませんかね?
 いろいろと不満が積もりますけれども、各キャラクターにはそれぞれに設定があるらしい。あるらしいのだけど、どうも薄味で・・・。そもそも血の通わない絵にしてる時点で、演出をどうやっても感情移入は無理だったんだろうなぁ。

 演者もなぁ。とくにガツンとくるような声の人はいませんでしたわ。声優の仕事しかしてないのかなーと思わす人が大半で(なかには役者経験のある人も、いるにはいましたが)。
 正直、イマ風の、ツルンとしてて、誰がやっても一緒というか、イケボ止まりだなーと思わす声が大半でした。

 


 繰り返すが、とにかくよくしゃべる映画でした。命をかけて戦ってる最中でさえ長台詞であり、練習してきたかのように隙のない文脈と活舌のよさでしゃべりまくる(苦笑)。
 よほど間違った解釈をされたくないのか、台詞による説明だらけで、少なくとも文学的な楽しみ方をされるのは拒否してるんだろうと思われる。
 また、全体的に「名言を量産してやろう」といった、あざとさが透けて窺えるのも、大きくシラケさす要因になっていた。
シラー
 結局のところ「希望」とか「未来」とか「人間って、いいでしょ」的なワードが浮かぶ、ありがちなパターンで収めようとしている。時代に沿ったといいますか、イイお話にしようとしてる意図が感じられ、も~う薄っぺらくて。ぬるい!  弱い!
 そういうのならいま、いくらでもある。よってこれが凡作ではないとは、どうしても言えない。言いようがない。
 暴力を前面に出す映画ならば、もっと悪意に満ちた作品にしてくれ。これでは見たあとで吐き気をもよおすような、おどろおどろしさが伝わらない。連日悪夢にうなされるようなトラウマも植えつけられっこない。
 この程度で暴力描写がどうのと騒いでる連中も、ろくに映画を見ていないってことなんだろう。どこが残酷なのよ? どこがグロいのよ? 家族で安心して見れる娯楽映画じゃないか。とりあえず、少なくとも『カムイ』くらいは見といてよ。『仁義の墓場』でもいいですよ。あのへんのを見といたら、そんじょそこいらの暴力描写では驚かないです。

 

 ネットを見てるうちに衝撃的な情報が。なんと、同作品にはテレビアニメ版も存在していたらしい。このたび見た『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』は、原作コミックスでいうところの第7巻および第8巻の収録分に相当だと? 途中だけだったの!? どおりで抜けてるものがいっぱいあると感じたわけだ。そりゃ人物の描写も薄くなるはずだわ。
 途中で主役がバンバンビガロに変わる唐突さも、なんであいつがバンバンビガロのコスプレをすることになったのかのシークエンスも、それまでの話を見とかなきゃわからなくて当然ってことですか。
ショック!
 15年ほど前、やっぱり知識ゼロで『劇場版 鋼の錬金術師』とやらを見たときなんかは意味がわからなすぎてチンプンカンプンで終わったことがあったけど、あれみたいなもんか(あとで「いきなりアレを見ても楽しめません」って言われた)。
 でもね、意味がわからないからダメだというのじゃないんですよ。この作品には映画として足らないものがいっぱいあるんです。『鬼滅』にはなくて『死霊の盆踊り』にあるものが・・・・・・そんなこと、いまさらいちいち説明なんかしたくないですよ。
むっ

 

 で、テレビアニメ版も台詞で説明しまくるのね(笑)。

 もうケッコウです。だいたいわかったから。テレビのほうも、劇場版に続編が作られても、私は遠慮しときますので。あせる

 


 ことわっておきますが、これでもイイところをみつけようとはしたんです。でもダメでした。ひとつもありませんでした。
 映画に点数なんかつけるのはよくないというのが私の考えなんですが、これしか言いようがないので仕方なく申し上げます。0点!

 

 

 以前だったら「よくもこんなもの見せやがったな!プンプン」と怒りをぶちまけてたところですが、もう現代はこんなのばっかりなので「またか」と呆れるくらいでオシマイにします。