世界じゅうで数多くの傑作や名作以上に愛され続ける“サイテー映画”の頂点死霊の盆踊り』プラン9・フロム・アウタースペースが、昨年の年末から復活ロードショーしていることで話題になっていた。
 超Z級映画をこの目で見る絶好のチャンス。こんな素敵な機会を逃す手はないと思いつつ、年末年始の上映時期に乗っかることができずにいた私。
 その後は後悔しつつ、地方で上映されてる情報を聞いては指をくわえて地団太を踏む――そんな状況が続いていました。
 ところがこのたび、わりと近場で上映されるという吉報が入ってきたのだ。


 

 よくオジャマさせてもらってる元脚本家・Kさんの職場。ここで『死霊の盆踊り』については毎回のように映画好きのCさんと語り、帰りの車中では毎回のようにKさんとも語る。
 ちなみにKさんは、東京国際映画祭で何の予備知識もなく何の説明もされないまま上映された本作を観た被害者・・・いや体験者のひとりである。
 このときのことをKさんは「100人以上いた観客が次々と離席してゆき、最終的には20人くらいになった」と振り返る。さらに「上映を開始されたのが終電の終わるギリギリくらいの時間で、嫌がらせとしか思えなかった」「当然、帰れない人もいたはずだが、それでも退室させてしまうパワーが、あの映画にはあった」・・・と、まるで戦争体験を思い出す老人のような目で力説するのであります。
 多くの映画好きは『死霊の盆踊り』をビデオで観ていると思われる。私はニコニコ動画だった。しかしKさんは「あれは劇場で観てこそ価値がある」と譲らない。その理由は「早回しできないから」だそうだ。
 いや、私もビデオや動画で観るときは早回しはしない主義ですよ。それは失礼なことですからね。だけど「劇場で観る価値」という点には異論はない。とくに今回の作品は。
「わざわざ『死霊の盆踊り』をお金を出して銀幕で観た」という実績は大いに拍がつくというもの。これだけで何千本、何万本の名作を観た人と同等かそれ以上の映画ツウに割り込めるのです。それまでブロンズランクだった私が一気にダイヤモンドですよ。もう誰にも文句は言わせませんからね!
 こうして私は我が人生に『死霊の盆踊り』を銀幕で観た」という黒歴史・・・じゃなくて輝かしい歴史をきざみ込むため、おそらく『気違い部落』以来じゃないかと思うほど久々となる映画館へと向かったのでありました。

 


 とはいえ、これは単なる肩書き取得のために動いたわけではありません。作品そのものへのリスペクトは絶大なものがありまして。
 思えば私が映画館から離れていったきっかけは『スター・ウォーズ』にありました。スター・ウォーズそのものは、もともと好きなんです。それがある年、スター・ウォーズ三部作にCG加工したものをリバイバル上映するという企画があり、面白そうだと思って観に行ったのです。
 ところが最新技術を使った映像は、私を大いにガッカリさせられるシロモノだったのです。
ショック!
「こんなものが主流になっていくのならば、もうこれからの映画には用はない」
 心底絶望した私は、以後、もっぱら古い映画ばかりを追いかけるようになりました。実際、テレビなどでは新作の映画を観ることもあるんですけども、私にはどれも映画に対して不誠実なものとして映ることの繰り返し。技術の進歩が大事なものを削ぎ落してしまった――これを痛感するだけの感想しか出てこなくなったのです。

 

 

『死霊の盆踊り』(原題:Orgy of the Dead)は1965年に公開されたアメリカ映画なので、まぁそんなに新しくはない。当然、最新技術もない。というか、1965年でもできそうな技術すらない。観客を楽しませようとするテクニックも、見るに耐えうる役者の演技力も、なんにもない。この部門においては10点満点中、0点といってよい。
 反面、情熱というか執念というか志の高さみたいなもの(この表現が正しいのかどうかはわからないが、他に適切な言いまわしが思いつかない
あせる)にかけては10点だ。その方向が正しいかどうかはともかく、とにかくそこだけは感じとることができる。だがこれこそが、私が映画に求めていたものであったような気がしてならない。最新の作品からは感じられない臭いが確実に嗅ぎとれる。
 比率にして0:10。ゼロジュウ。この映画はゼロジュウの映画なのだ。私が映画を観ていていちばん嫌悪する「客に媚びる」要素が、少なくともこの作品には見当たらない。完全に「自分が作りたいものを作る!」に徹している。「他人の評価、クソ食らえ」な姿勢を堂々と貫いてしまう作品なんて、いまどきのエンタメ界ではどこへ行ってもなかなかお目にかかれるものではない。
 ・・・こんな説明で共感する人はいないかもしれないが、とにかく私がこの映画に好感を抱く理由はそういうところにある。もっとも、作品じたいが共感を拒否するような性質を持ってるので、私のような者だけに波長が合ってるのかもしれないけれど。



 ふつうならここでレビューするところでしょうが、それはあまり気がすすまない。一応は有名な作品なので、そういうのを書かれてあるサイトならいくらでもある。わざわざここで書いてもしょうがないであろう。
 それでも「この映画を観てきた」という方々の声で、目につくものを集めてみたのでお楽しみいただきたい。


ビックリマークまずは基礎知識から。かならずお読みください!

 

 


 先ほど「レビューはあまり気がすすまない」と書いたのですが、やっぱりちょこっとだけ、メモ程度に残しておこうと思います。

・英語なのに・・・
 冒頭の男女の会話。
 私はそんなに英語がわかるほうではないのだが、それでもこの出演者らがダイコンだということはわかった。


・「キャー」の棒読み
 主演女優の悲鳴。資料によると彼女なりに練習してきたそうなのだが、練習のしすぎで声が枯れてしまってるだけでなく、なんとも間の悪いキャーになってしまっている。「おいおい、そのタイミングでキャーはないだろう」みたいな。
 ちなみにCさんはこの場面まで見てからビデオの再生をストップしたらしい。つまり脱落組。


・スクリーンで観る功罪

 大画面で見ると、やはり細かい部分までよく見える。
 ロケ現場の土の質感や小道具が置いてある位置とか、どうでもいい箇所まで気になった。そしてモチロン、セットや衣装の学芸会レベルな質感までがよくわかった。


・おそらくは指示されてない表情

 主演女優は3番目のダンサー=黄金女も掛け持ちで演じていたが、寝た状態の黄金女を持ち上げようとするマッチョ男の顔が、思いのほか重かったのかリアルに歪んでいる様子が面白かった。

・フルサイズ

 踊りに使われる音楽は、すべてフルサイズで聴かされる。当然、ダンサーも最後まで踊り切ることになる。

 が、どうしても間が持たない。必然的におなじような動きが繰り返しがちになってしまう。

・踊りのクオリティが・・・
 総勢12名のダンサーたち(数え間違いでなければ)。基本的にみんな体格がよい。腹筋が引き締まっていて肩幅も広い。また前半のダンサーは、それなりに練習してそうな雰囲気を窺わせてくれる。しかし後半のダンサーは一気にクオリティが落ちる。とくに9番目の女! ヘラヘラしながら、ただ胸をプルプル揺らしてるだけ。そのまま曲が終わるまで押し切ってしまうのだ。
 間が持たないにもホドがあるくだりなのだが、なぜかカット割りなどで見る者を飽きさせない配慮は極端に少なく、なんと長まわしで見せつけてくるのである。映画史上、滅多にお目にかかれぬ怖ろしさがそこにあった。
ガーン
 でも個人的には最大の笑いどころ。「ええ加減にせえよ!」的な笑いではあるが。

・あれれ?
 動画で見たときに最も笑ったカットを、なぜか見かけなかった。

 

映画元映写技師=ターザン山本氏も絶賛!


 


 1週間後、同劇場で上映されたのがコレ。
 エドワード・D・ウッド・Jr監督の最高傑作と評されるSFホラー『プラン9・フロム・アウタースペース』。『死霊の盆踊り』では脚本のみを手がけていたエド・ウッド氏が、こちらでは監督も務めている。
 1959年に製作されたモノクロ映画だが、このたびは総天然色版として上映されるというアタマおかしい試みがなされた。
 個人的にはこの作品を観るのは初めてである。動画で見れるのも発見していたのだが、なかなか手つかずにしていたのが吉と出るか凶と出るか。


 

 本作品の大きな特徴としては、重要人物としてキャスティングされていた俳優=ベラ・ルゴシ氏がクランクインしてから数カット撮っただけで急死してしまったことに始まる。ふつうなら違う俳優を呼んで最初から撮り直すか製作そのものを中止にしそうなものを、なぜかそのまま撮影続行してしまったのだそうだ。
 このためエド・ウッドは他の映画用に撮影していたフィルムを勝手に編集したり、立てた代役がまったく似ていない歯科医だったので顔を隠したり後ろを向くなどしてしのぐことの連続とのこと。私にとっての最大の見どころはこの点にあった。
 一応、ストーリーはある。その意味では、ドラマ的要素がほぼ無いに等しい『死霊の盆踊り』と比べると救いはあるのかもしれない。UFOを見るやいなや目的などを調査することもなく迎撃してしまうなど、地球人を見下げた描き方にしているところは私好み。
 ただ、やっぱりいろいろとアレなのである。
汗


 

 


・夜なのに明るい
『死霊の盆踊り』と同様、ひとつのシーンなのに夜と昼がカットごとに入れ替わる。A・C・スティーブン監督といいエド・ウッド監督といい、もしかして彼らはわざとやってるのか?

・渾身の特撮!UFO
 灰皿を吊るしただけと思われるUFOは、思いのほかたくさん出てきた。そして、吊るしている糸がクッキリ映ってるのも確認できた。
 当然である。これがもしCGなどで加工処理されていたら「わかってないなぁ」と苦情が出るところだ。


・強いんだか弱いんだか
 地球人のピストルなど恐れるに足りぬとばかりな態度の宇宙人であったが、シンプルな暴力(パンチ)には脆かった。



『死霊の盆踊り』と『プラン9・フロム・アウタースペース』。私が映画に求めるものがそこにはあった。ティム・バートン氏が絶賛するように、エド・ウッドの手がけた作品は映画に誠実だ。こういう映画が世に存在することに喜びを覚え、こういう映画にようやく時代が追いついてきたのかと思うと涙が出るほど感動を覚える(誇張表現だが)。
『プラン9~』に関しては、もういっぺんモノクロにして上映してほしい。そしたら私は、ふたたび足を運ぶだろう。
 忘れてはならないのが、今回の企画「サイテー映画の大逆襲」にかかわった各劇場の方々。このクオリティにして安価設定などにはせず通常料金で扱った劇場の強気な姿勢は、事故物件なのに家賃を安くしない大家に通ずるものがあり好感を持てた。

 これらの映画を未見の方に告ぐ。ダマされたと思って観ておきなさい。

 

 

 私は欲しい。

 エド・ウッド映画のDVD持参で余命いくばくもない人のもとへ行き、「この映画、おもしろいよっ」とオススメできる強靭なメンタルが。