気違い部落 | 大正生まれのブログ

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~104歳/全温度チアー/ゴースン・タイガー!共同 「目指せ偏差値マイナス20」推進blog~


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 テレビでやってた『パシフィック・リム』を観ましたよ。録画していたやつですけどね。
 再生後、わずか1秒で観るのが嫌になりました。
 それでも頑張ってみたんですが、10分足らずで耐えられなくなりました。
 いちど観始めた映画は、つまらなくても見とどけるのが身上とするチアーさん。それでもギブアップしてしまったのは、さだまさし原作+田中光敏監督作品の『精霊流し』です――というのを過去記事に書いたことならありましたけどね。あのときは20分耐えました。こんどのは新記録です。・・・いやいや、自分ではよく10分も持ったなぁと思ってるくらいでして。
 そのあと口直しで観た『探偵!ナイトスクープ』の面白いこと面白いこと! (≧▽≦)
 ところが、この話を元脚本家の知人=Kさんに報告したところ「ダメだよ、パシフィクリムは最後まで見てから拷問だったと言うべき作品。視聴率6.9%は伊達じゃない。あんなゴールデンで放映されることは金輪際、共産主義体制なろうとも二度と無い何かの手違い作品はそうそうない!」と、お叱り(?)を受けたのであります。
 なので残りをしぶしぶ再生。苦痛やら怒りやらが堂々巡りで襲ってくる。この拷問は15世紀のルーマニアであった拷問に匹敵する辛さ。どうせ拷問なら『死霊の盆踊り』をゴールデンで流してくれたほうが有難いんですけど。
 とりあえず最後まで観た。
そ、そういうことか。 Kさんの言うことがわかった気がする。その「拷問」が、いよいよ終盤でボスキャラのようになりトドメを刺してきやがったからだ。
 ダメ映画の手本のような作品だったJ・キャメロン監督の『タイタニック』と同等・・・いや、キツさにおいてはそれ以上であった。かえせ、2時間半を! かえせ、太陽を!

 

 

 そんなチアーさんが、近年ではかなり珍しく劇場での映画鑑賞に動いた。ここ数年、すっかり映像モノには失望していたものですが今回は異例。2013年の夏、例外的に「Short Trial Project」へ足を運んだことはあったものの、あのときはお世話になってる妹尾青洸さんがご出演とのことで駆けつけた次第。内容等はいっさい知らないまま観たものです。
 それが今回は、以前からずっと観てみたいと希望していた作品でした。その名も『気違い部落』。1957年(昭和32年)、松竹の作品です。もう問答無用でありましょう。
 10年近く前のこと。日本映画専門チャンネルさんのHPへ、よく放送してほしい作品をリクエストしておりました。たいていのものは検討してくださる日本映画専門チャンネルさんなのですが、この作品に関しては即却下されてしまったものです。
 そう簡単に観れる作品ではないとあらば、なおさら観てみたくなるもの。とはいえ手段もないまま現在に至るわけでござったのじゃ。
 それが今回、なんと劇場で観れるチャンスとのこと。これは行かない手はない! 情報は、伊藤雄之助推しという25歳女性のツイートによるものでした。

 


 3月4日19時15分、1回こっきりの上映であります。場所は神保町シアター。“世界一の本の町”とされる神田すずらん通り商店街を通って。
 しかしその前に西新宿で買い物をしていったため、かなりギリギリに到着することに。超走りました。着いたころには汗だくになっておりました。

 館内へ入ります。やはり映画好きな人たちばかりが集まっているようで、みなさんマナーのよさそうな層で占められています。とてもいい雰囲気。ちなみに全席完売とのことであった。
 この日は上映前、ゲストによるトークショーがありました。人気アイドルグループ嵐のメンバー=光三郎くんのご登場なのでr。光三郎くんの著書『漂流怪人・きだみのる』の刊行記念ということも兼ねてだったのです。
 作品のタイトルについて「使えない言葉で・・・」と、メディアなどでは腫れ物に触るように扱わなくてはならないエピソードに始まり、光三郎くんが雑誌『太陽』(平凡社)の編集部員であった28歳のとき、原作者=きだみのる先生(75歳)と謎の少女ミミくん(7歳)と一緒に取材で各地をまわった際のエピソード等を披露して楽しませてくださった。

 


 さて、いよいよ上映。今日は汗で体内の水分は蒸発し、おしっこに苦しむ心配はなさそうだ。
 じつはKさんが以前この作品を観たことがあったらしく、私がこれを観ようとしてるのを知るや「そんなに期待しないほうがいいよ」と忠告されていた。でも私もこの映画が基本的にほのぼのとした空気で展開されるらしいことは頭に入っていたし、タイトルから連想されるようなきわどい内容のものではないだろうことは予想していた。はたして――。

 


 いきなり解説者X氏(演:森繁久彌)の登場。その後しばらくは彼の声によるナレーションで展開されることに。「自分たちを写した写真を見せられた未開の原住民は、そこに写った仲間の顔は識別できても自分自身の顔は識別できない。気違いも自分のことを気違いとは思わないもので・・・」といった説明。さすが森繁さん。序盤から彼の解説が多用されるのだが、それがまったく邪魔にならない語り口調であった。

 東京の日本橋から西南に十三里半のところに5600人が住む小さな村があり、その一角に「気違い部落」と呼ばれるさらに小さな集落があるという。といっても気違いが住んでいるわけではない。貧乏ななかで色と慾をむき出しにした農民生活が気違い沙汰に見えるので人々はこう呼んでいる。

 X氏(声だけ)はバスに乗ろうとするつもりが目の前でバスが出発してしまい、村に取り残されてしまう。次のバスまで1時間は待たねばならないんだとか。この様子に登場人物がカメラ目線でひと声かけてくる。このように当作品では、登場人物と解説者との掛け合いが何度か繰り返される場面があるのだ。
 仕方なく近くの切り株に腰を降ろして休もうとすると、その切り株には無数の五寸釘が逆向きに打ち込まれていて誰も座れないようにしてある。切り株の前にある家の主人=又一
(演:須賀不二男)の仕業であった。自分の地所には他人がただで休めないようにしているらしい。ここらへんでは、とくによその土地から来た者には心を許さない傾向が強いようだ。

 この集落には14世帯が住んでいる。ここからは当地住民たちの普段の暮らしぶりが描かれる。

・食料店ではインチキして目方を増やす。
・この集落には狂犬病など存在しない。村に迷い込んで来た赤犬は叩き殺され、犬汁として食卓に登場する運命にある。
・娯楽の少ないこの集落では寺で博打がおこなわれる。

 そのもようがコミカルに展開されるくだりに、客席から「クスクス」といった笑い声が起こった。この、爆笑ではなく「クスクス」といった反応が、なんとも心地いい。

 


 この映画の特徴のひとつに、近年の映像モノにはあまり見かけない「登場人物のほとんどが小汚いオッサンかオバハンで占められている」点が挙げられる。そんななかにも一応、若くて美形であると思われる出演者がいた。
 ヒロインは“ミス気違い部落”と称されていたお光(演:水野久美)。この作品の主人公=鉄次の娘という設定なのだが、その父(演:伊藤雄之助)の面影は皆無である。そして彼女とはプラトニックな間柄というポジションに立つのは南光太郎風の前田智徳
 ん、前田智徳はこの時代(昭和32年)には生まれてないはずだが? でも風体が南光太郎で顔は前田智徳に瓜二つにしか見えない・・・。どうでもいいか。

 前田智徳顔の次郎(演:石浜朗)は土地の権力者である良介(演:山形勲)の次男であるが、東京で会社勤めをしていた。しかしこのたびそれを辞め、いまは国会のエレベーターボーイに転職したんだとか。そのうち議員に目をつけてもらい、秘書に採用してもらおうと目論んでるらしい。
 普段から人づきあいを嫌う鉄次は次郎にもぶっきらぼうな口を利くものの、内心では「あの良介の息子にしては、なかなか上出来な息子だ」と感心している部分もあった。


 そんななか、儀太郎の父親(演:玉島愛造)が死んだ。ここからは、この部落を語るには外せない葬式の場面が描かれる。
 村では葬式などの場合、相互扶助のしきたりがあった。村じゅうの男女が手伝うのだ。もちろん男衆は振る舞い酒を楽しむのだが、女衆も女衆で、社交場でもある台所では楽しそうに料理を手伝う様子が描かれる。
 寺で経を読むのは僧侶ではなく、蓄音機のレコードだった。これだとお布施がいらない。解説者X氏いわく「ああ、偉大なる宗教改革・・・」。これには自分も「ナルホド!」と感銘を受けた。素晴らしい発想だ。
 蓄音機は高価であったが、その後の宴会でみんながバカ踊りに興じるための「炭坑節」まで奏でてくれる優れものなのであった。

 

 

 コミカルな描写がメインとなるのはこのへんくらいまで。後半からは、やや重い内容が展開される。
 まぁ厳密には要所で笑いどころもあるのだが、そこは演出の腕の見せどころというべきか。観る者が楽しめるようなサジ加減で徐々にシフトしていく。

 

 

 機屋の因業親爺=良介、高利貸=又一。この二人の親方を中心に集落は統一されている。親方の権力は絶対で、集落の掟は国の法律より優先することさえあった。
 ある日、頑固者の鉄次は、むかし祖父が集落に寄付した神社の境内がまだ登記されていないのを知って、自分の土地だと縄張りをして耕しはじめた。当然、この土地の
木を伐採してひと儲けを目論んでいた村民は困惑する。親分連は鉄次の暴挙に腹を立てたが彼は主張を曲げない。良介一家は鉄次とのつきあいを断った。なんでも屋の三造(演:信欣三)夫婦も、酒好きの仁太郎(演:藤原釜足)、自転車屋の助夫(演:三井弘次)、鉄次の伯父=甚助(演:小川虎之助)までもこれに加わった。寄らば大樹の陰。結局、鉄次の家は村八分にされてしまう。
 これにいちばん困ったのは鉄次の娘=お光と次郎だった。事件のせいで、二人はロミオとジュリエット状態になってしまう。次郎は父に仲直りを迫るが叶わず。駐在(演:伴淳三郎)の骨折りもいっさい無駄だった。
 やがてお光は肺病になった。もともと兆候はあったのであるが、ここへきて悪化したのである。お光の様子を見にきた次郎は「自分は村の人間じゃないから」と説明するも空しく、門前払いで面会は許されず。仕方なく次郎は縁側に土産を置き立ち去る。ブレスレットだった。
 ブレスレットに気づいたお秋がお光に渡す。それはオルゴールが内蔵されたものであった。ブレスレットからは『エリーゼのために』が奏でられた。

 それから数日後、鉄次の家を訪れた次郎はお光を励ましていた。たまたまタバコに火を点けた次郎のライター。ライターにはオルゴールが仕掛けられていたのか、これから流れるものも『エリーゼのために』のメロディだった。同時にお光が握りしめていたブレスレットのオルゴールも鳴り出し音がハモる。思わず二人は微笑み合うのだった。

 

 

 次郎に頼まれた駐在は「ストマイを安く買えるようにしてやる」と鉄次に提案する。医者で注射してもらうと金がかかると難色を示す鉄次に「それだったら戦争中、衛生兵だった自分が教えてやるから、鉄次が自分で打ってやればいいじゃないか」と説得し、鉄次はこれを受け入れることになった。

 


 夏になった。薬は効いた。お光は一時、よくなった。軽い仕事ならこなせるまで回復し次郎を喜ばせたものの、冬を迎えてポックリ死んでしまう。お光は自分が死なせたようなものだと自責の念に駆られる鉄次。鉄次が薬代のもとを取ろうとして、残りをヤミ売りしてしまったからだった。
 それを聞いた巡査は鉄次に怒声を浴びせるものの、次の瞬間、そもそも彼に安く薬を売ったのが悪かったのだと悟る。「自分が農民のことを知らなさすぎたのだ・・・」と落ち込むのであった。

 お光の葬儀に行くべきか、村民は迷った。鉄次と反目し合ってきた経緯もあって、誰もが腰を上げにくかったのだ。
 鉄次も家で迷っていた。葬儀を手伝ってくれる者が誰もいないようでは、お光が不憫だと思っていたからだ。しかし、自ら部落衆に頭を下げることはしたくない。

 村八分、か。本来、村八分とは「冠」「婚」「葬」「建築」「火事」「病気」「水害」「旅行」「出産」「年回忌」のうち「葬」と「火事」を除く八分はつき合いをしてもらえなくなることを指す。
 ところがこの場合、残りの二分すらも危うい状態に陥ってしまったのである。

 鉄次に話し合いを勧める甚助が両者を取り持とうと試みる。が、結局「おまえが頭下げないと手伝わないと言われた・・・」と、辛そうに報告することに。
 怒り狂った鉄次は猟銃を手に取ると「みんなぶち殺してやる!」と叫び飛び出してしまう。必死に止める家族。その甲斐あって「わかったから・・・!」と正気を取り戻す鉄次。そして断腸の思いで「頭を下げてくる」と言い出す鉄次。
 しかし、それを止めたのは誰あろう女房のお秋(演:淡島千景)だった。「自分たちがどんな悪いことをしたのか!」「あんな連中に、こちらから詫びることはない!」「お光の遺体は自分ひとりでも埋葬してみせる!」・・・と。

 翌日。雨のなか、お光の柩が乗せられた荷車を牽く鉄次と、それを押すお秋と息子=保(演:藤木満寿夫)の姿があった。
 その様子を見た村の女衆はさすがにいたたまれなくなり、家の前を通りすぎる荷車の前に飛び出すと、柩に傘を差し掛け、あとで墓参りをさせてもらうと後ろから声をかける。しかし、墓場についたお松は「あんな人たちに埋葬を手伝ってもらったんでは、お光もかぶせてもらう土が重かろう」と、自らの決断を曲げることはしなかった。
 柩と一緒に遺品のブレスレットも埋めてやろうとして手に取ったそのとき、『エリーズのために』が鳴り出すのだった。

 ほとほとこの村に愛想がつき、もう戻ってこないとの決意を固めた次郎。
 東京に発つ直前、鉄次と会った次郎は「いい働き口がある」と鉄次を誘った。「こんな村にいたって百姓は雑木と同じだ。狭い土地に根を下し、木材と養分の取りっこをしたとて何になる。先祖のしてきたことの繰返しでねえか」と。
 だが鉄次にはとどかない。せっかく誘ってくれた次郎にも頑なに言い放つのだった。
「自分は農民だから、ここの土と共に生きる」「ここを捨てたとて、日本じゅうどこでもおなじだんべ」と――。

 

 


 私は面白かったです。舞台になってるのは現在の八王子市である恩方村なんだそうですが、その全景を左から右、右から左・・・と、パンを何度も繰り返す画が個人的には好きでした。あ、これが水野久美の映画デビュー作だったという点もお忘れなく。
 
 雑な言い方をすれば、『アパッチ野球軍』でいうところの、小さな世界で起こったオトナたちのゴタゴタな部分だけを描くとこうなるのかなーという印象ですかね。

 国の法律か、集落の掟か。そこらの視点は自分にも思い当たることはある。たまに実家へ帰ったときに感じることがあるだからだ。
 多くの人も学校や職場で出くわすことがあると思う。頭では「これはダメなこと」だと思いつつも、心や行動がついていかないことが。例えば、サービス残業はいかんと思いながら周りが普通になってしまってるので黙認してしまってたり。
 もっと言えば、日本という島国ぜんぶにも当てはまることはあるかもしれない。
 そういえば最近、もう還暦過ぎのおじさんと知り合った。聞いてビックリしたのだが、この人は私と同じ「さびれた映画館と バーが5、6軒」の町の出身だったのだ。しかも私が10歳まで住んでたところとは徒歩数分で行ける距離に実家があり、当然、小学校も同じ。ハイスクールは父と同じ。そのハイスクールを出てからは町を出て行ったのだそうだ。
 そのおじさんが先日、20年ぶりくらいに帰省したんだとか。親御さんが亡くなったとかで。
 
おじさんは「自分は長男だけど、もう帰る気はない」と言う。「いま町に残っている連中は、いちども外の世界を見たことがない人らばかり。あんなところで・・・」と愚痴っておられた(笑)。
 あー、わかるわかる。いちど出て行った者と、ずっととどまる者。そこには、どっちが正しいというよりも、なんともしがたい壁のようなものがデーンと存在してるのであります。会話してても、どうしても埋められない「何か」を感じざるをえなくなるのです。
『気違い部落』においては、いちばん部落を客観的に見れるのが次郎なんでありますね。当然、自分らのように飛び出して行った者の立場は次郎に近いわけですが。
 かといって、もし自分がそこの世界から出ない選択をしていたら、たぶん・・・。

 鉄次が口にした「どこでもおなじ」。彼が動こうとしないのは言葉のとおりなのか、はたまた意地なのか、それとも――?

 

 

ということで。せっかくだから神田すずらん通り商店街にちなみ、喜美正二郎さんの『すずらん通り』の歌を貼っておきます。


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光三郎くんの本名、すごい強そう。








 

 

 

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