みことば090313
ひとりの正しい者のもつわずかなものは、多くの悪者の豊かさにまさる。(詩篇37:16)
ひとりの正しい者とはだれでしょうか。それは主イエス・キリストであり、イエスに続く私たちのことです。ただし私たち自身は決して正しい者ではありません。イエスに一致し、一体化することで正しい者とみなされるのです。ですから私たちはイエスから離れるわけにはいかないのです。イエス抜きに正しさは語れないのです。
みことば090312
ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。(使徒5:29)
大事なことであればあるほど、神の思いをさぐりながら、選択~決定をくり返してゆく必要があります。世を生きる上で、人に従わなければならない場面はたくさんありますが、私たちの目指すところは、あくまで神の思いをさぐることです。私たちは正しいことを選ぶのではなくて、神が指し示す事柄を選ぶのです。
みことば090311
イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」(ヨハネ5:17)
神は休まずに働いておられます。神は人間とちがって疲れることがありません。私たちが安心して生きいられるのは神が守ってくださっているおかげです。これこそがまことの親子関係です。神は私たちのことを夜昼なくご覧になっており、必要なときに必要なことばを与えてくださるのです。
みことば090310
私は、敵対するすべての者から、非難されました。わけても、私の隣人から。私の親友には恐れられ、外で私に会う者は、私を避けて逃げ去ります。(詩篇31:11)
これはダビデの祈りです。彼がいかに孤独であったかがよくわかります。また彼がまわりのだれよりも主を求めていたこともわかります。ダビデのように私たちも主イエスに愚痴を言い、自分のことを何としても守っていただけるよう、祈るべきなのです。
みことば090309
しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。(マタイ8:8)
ことばはその人の霊を入れてはこぶ容器のようなものです。イエスのように権威あるお方の霊を入れてはこべば、その権威を届けることができます。ことば自体に意味があるのではなくて、中身に意味があるのです。
みことば090308
みことば090307
立って、父のところに行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」(ルカ15:18-19)
ふとしたことから自分のしてきた過ちの大きさにおどろかされることがあります。だれにあやまっていいのかわからないこともあります。あやまる先は、天の父、すなわち神さまです。
みことば090306
また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。(ピリピ4:19)
人が十分に満たされている存在なのであれば、神の出番はありません。けれども人間は欠けばかりですから、すべての人は神を求める必要があるのです。神を求めるのは弱い人間のすることだと言ってののしる人がいますが、まったくそのとおり。私たちは弱いからこそ神が必要なのです。
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みことば090305
互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。(ロマ12:16)
良いことも悪いことも神抜きでとらえてはなりません。たとえば謙虚であることはすばらしいのですが、その態度をほめるのは人ですか。人からほめられて嬉しいのはわかりますが、それだけでは満たされません。むしろ空虚です。神のため、神に仕える思いがふくらみますように。
みことば090304
人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。(ヨハネ15:13-14)
イエスは人を救うためにいのちを捨てたのです。それは歴史認識では2000年前の出来事ではありますが、その瞬間はいまだに有効です。つまり、今あなたがイエスに救いを求めるならば、今救われるのです。
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イエスは人とともに人らしく生きました。
肉体を持っていることは弱さを持っているということです。
弱さの中で、天の父に祈りながら生きたのです。
これこそ人のお手本です。