みことば090412
あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。(マタイ10:40)
私たちはイエスを信じ、イエスとひとつになった人生を送っています。イエスを信じてひとつになると、天の父ともやがてひとつになることが約束されます。私たちの語ることばやふるまいがイエスを現し、イエスのかおりを放つのです。イエスは父そのものを現します。
みことば090411
この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。(使徒4:10)
イエスを十字架につけたのはだれでしょうか。それは私たちです。イエスに背を向けているすべての人がイエスを十字架につけたのです。でもイエスは人間がそのことに気づいたとき、赦してくださいます。いっしょに父に謝ってくださるのです。
みことば090410
生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。(ヨハネ6:57)
わたし(イエス)のからだはパンです。パンはお腹を満たすめに日々必要なもののことです。つまりパンがからだを養うように、みことばが霊を育てるのです。イエスを食べるというのは、日々みことばを味わいながら、霊の栄養として生きることです。生活の中心はイエスなのです。
みことば090409
人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。(マタイ12:31)
本来神に対してはどのような冒涜も赦されません。けれどもイエスに対しては何でもぶつけてよいのです。イエスだけは私たちと同じ立場をとってくださる神なのです。そのためにイエスは人のかたちをとってまで私たちに接近してくださっているのです。イエスに求める者は決して見放されることはないのです。
みことば090408
まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。(マタイ18:3)
子どもが無力であることを思いおこす必要があります。子どもは親にたよらなければ、まともに生きていくことができません。私たちは常に子どもの立場になって、たよるべきお方がだれであるかを確認するべきです。自分も子どものように無力であることを告白しましょう。
みことば090407
ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。(使徒5:29)
ペテロたちは非常に純粋に思いを訴えました。権力に抵抗するためです。この姿勢が当時のペテロたちに与えられた生き方だったのです。現代を生きる私たちはかならずしも彼らと同じ方法で訴える必要はありません。神はその時々の状況にふさわしい信仰のあり方を示してくださいます。方法はちがう。でも思いは同じです。
みことば090406
また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。(マタイ26:27-28)
イエスの流される血は人々の罪をきよめます。イエスそのものが人々の内側に入り込み、イエスと同じ性質、つまり罪のない性質になるためです。内側にある罪をまったく知らない性質になるためです。
みことば090405
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」(ヨハネ4:14-15)
私たちはついつい現物を欲しがりますが、その現物を供給してくださるお方を得ることがなにより大事であるということに早く気づくべきです。永遠をつかさどるお方であるイエスを得るのです。
みことば090404
自分のために、古くならない財布を作り、朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。(ルカ12:33)
たくさん働いてたくさんたくわえができたからこれでもう安心だという生き方はおそまつです。豊かではありますが、イエスに期待する部分が不足しています。私たちの貯蓄はイエスが管理しており、イエスから適宜支給されるのです。儲けてもよいのです。大事なことはイエスに期待することです。それが大事な財布です。
みことば090403
何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。(マタイ18:18)
ふだん何気なくふるまっている行為はみな天においても映し出されているのです。便宜上、今の世が終わったら次の世に移るという表現をしますが、からだが地上にあるだけで天においても生きているのです。だから天にいるように生きるべきなのです。