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みことば090502

彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」(ヨハネ21:15)
イエスはペテロの今後の立場を語られたのです。イエスは彼に羊飼いとして人々を導くように告げたのです。


みことば090501

八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言われた。(ヨハネ20:26)
不安な日々をすごしているのなら、平安を求めましょう。神の平安さえあれば、のりこえることができます。ひざをかがめ、身を低くして平安を祈るのです。そうすればどんな災難もあなたの上を過ぎ越してくれます。


みことば090430

「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。(マタイ17:20)
自分の信仰の程度はどのくらいなのだろうかと心配になることがありますが、信仰は大きさとか深さで比較することはできません。どちらかというと純粋さ、あるいは単純さが大事です。


みことば090429

言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。(マタイ18:8)

子どもは純粋であり、自分の無力さを知っています。だから親や大人にたよる生き方ができるのです。私たちも子どものように神にたよる生き方をするべきです。大人であっても神の側から見ると、子どものような者であり、無力なのです。そこに気づきましょう。


みことば090428

「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」(ヨハネ9:2)
私たちはなにか不自由な人をみかけると、なぜだろうと原因を知りたがります。けれどもその領域は神だけがご存じなのです。私たちは神がその人を通してなにかをなさろうとしていることだけさとっていれば十分です。それ自体が神のメッセージなのです。それをそのまま受けとめて祈るのです。


みことば090427

自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしています。(ルカ6:33)
神の愛を拡大させるためには自分の思いと一致する人とのおつき合いだけでは足りないのです。とてもむずかしいことではありますが、見込みがないと思えても、神の思いに従順に対処し、信仰的な流れの中で、むしろこちらから交流を求めてみましょう。


みことば090426

主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う。」と言われた主のおことばを思い出した。彼は、外に出て、激しく泣いた。(ルカ22:61-62)
私たちは失敗をします。失敗を防ぐことはむずかしいし、失敗がなくなることはありません。なぜなら私たちが失敗することは必要なことだからです。失敗するその度に神を求めることを思い出すからです。


みことば090425

私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。(2コリ4:5)
イエスが常に中心なのです。私たちは脚色したり、解釈を曲げてイエスを伝えるようなことはせず、ただみことばのままのイエスを紹介するのです。たくさんの情報よりもたしかなみことばだけがたよりです。ふりまわされずにイエスを主とするのです。


みことば090424

しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。(ヤコブ3:8)
どんなに気をつけていても、ことばで失敗することは多いものです。発したことばはとりかえしがつきませんから、十分注意する必要があります。とはいえ、人間の能力は自分を完全に制御することができません。神に祈って未然に防いでいただくのです。失敗を益に変えていただくのです。


みことば090423

肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。(ヨハネ3:6)
肉というのは、人から生まれ、神との関係のないまますごしている状態のことです。人はみな一旦人から生まれますが、イエスに出会うことにより生まれ変わります。そこに関与しているのが聖霊であり、聖霊は私たちの消えかけていた霊を再生してくださるのです。そのときから私たちは、霊で神と交わりながら生きるようになるのです。