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夢は小説家ですと本気で宣ふブログ

文章の世界に魅入られた小娘が、妄想を書籍化しようと奮闘する日記。


 姉は本当に話すのが下手で、私は会話がつまらなくて、「あかん、今のはあかん。今の話するんやったら順序はこうで」と姉の話し方を矯正しようと試みる。
 そんなエピソードを母に話すと、母は「お姉ちゃんはね、全身で喜怒哀楽を表現するんや」って言う。「歌で、踊りで、お姉ちゃんは身体で表現するんや、昔からそうやった」って言う。
 母が、姉はそれでいいと思ったから姉は話せないようになったのではと思わなくもないが、やはり我が家の身内愛は過剰だと思う。
 何が言いたいかというと、姉よ。君は母に期待されているぞ。君の歌や踊りを、母は君の表現方法と思っているぞ。人並み以上に話せぬ君は、身体全部で表現していく他、道は残されていないのかもしれぬぞ? やりたまえ、舞台女優とやらを。
 そして母はこうも言う。「彩乃はプロになりたいんだから文章が上手いのよ」……文章が上手いと本気で思っているのですか。泣きますよ、私。
 お便りやら、スピーチ原稿やら、私に見直しを要求してくる母。私は文章が好きで学んできた自負はあるけれど、書けないからこうして悩んで、今日も埋まらない原稿用紙を押しのけているというのに。
 ちなみに姉には「書けや、はよ書けや。ごちゃごちゃ言うてんと書けや」と言われた。うるさいわい! 書くもん。ちゃんと、書くもん。
 書きたいけれど書けないのさ。このジレンマ。悶々とする気持ち、分かってとは言わない。分かれ!
 でもまぁ、いつまでもぐだぐだ言ってても代筆者なんていないので書きます。書きますとも!


 三日間、歩きまわって浮腫んで硬くなった足を、祖母が「足に実が入っているようだ」と表現する。巧いと思った。
 祖母が話を続ける最中、私は「足に実が入っている」という表現が昔から謂われている表現なのか、祖母の作りだした独創的な表現なのかが気になって会話どころではなかった。
 足に実が入っている。頭の中に木の実を考えよう。どんぐりでいい。表面は硬い皮に覆われて、鋭い石などで砕いてみる。中身は白く、サラサラとしていて、粉を作るのだ。どんぐりではパンが作れる。子どものとき、よくおままごとで砕いたものだ。
 どんぐりを砕くと、サラリと溶ける。それはさながら足に固まった血や、リンパのようでマッサージして血流を促すことに似ている。いい表現だと思う。
 出典先や、表現の吟味に没頭するあまりに、返事が遅れていたようだ。二度、同じ話を分かりやすく噛み砕いてくれている祖母に、理解している旨と「そうだね、いっぱい歩いたからね」という言葉を返しておく。
 そうして、また本を読んでいるふりをして今得た比喩表現を心のメモ帳に書き写すのだ。

 日常の中に、驚くべき比喩表現が隠れている。まったく、油断できない。お喋りの花は咲き続ける。色鮮やかに、豊かな花弁を広げている。


 アメブロで新着ブログをチェックしていると、至極稀に神様を見つける。花總まりさんだ。

 花總まりさんは宝塚の娘役トップだった人で、一路真輝さんや、姿月あさとさん、和央ようかさん等がトップスターだったときに相手役でした。宝塚の世界ではトップに立つまで10年くらいかかるといわれているのですが(天海祐輝さんは別格です)、花總さんも異例のスピードでトップになりました。
 華麗な容姿と透き通るような澄んだ歌声。エリザベートやハムレットは鳥肌ものの感動があります。

 花總さんが下級生時代に、轟悠さんに「下には悪いものがいっぱいあるから、上を向いて歩くんだよ」と声を掛けて頂いたというブログ記事を読みました。
 私からしたら、花總さんも轟さんも雲の上のようなお人で、そんな話を気軽に読ませていただけるブログという場所に戸惑いすら感じます。
 宝塚の世界も激しい上下関係があります。羨望や嫉妬もあるでしょう。
 花總さんは若くして娘役トップに抜擢されて、長年トップで有り続けました。私が宝塚が好きでよくチェックしていた時期ですら、様々な悪口がありました。当人はより、そんな話を耳にしたことだと思います。
 それでも今もこうして、私たちファンの前に出て来てくださる。強いなと感じるし、綺麗だと思います。

 花總さんのブログをチェックできる、今の幸せを大切にしようと思います。
 久しぶりに宝塚のDVD観ようかな。私が持っているのは紫吹淳さんのものだけれど。(映美くらら、紫吹淳コンビが好物です、余談ですね)
 


 久々のパソコンだ、わーい!
 ブログをパソコンで書こうと思って、パソコン持って行ったのにwi-fi持って行ったのに、山過ぎて繋がりませんでした。畜生。

 久しぶりのパソコン、文字打ちやすいです。これでないと!

 帰宅後一発目! とりあえず車の中で母と生きることについて話していたので、その話でも。

 生きる喜びってなんだろう。
 食べることや、遊ぶこと、子どもを守ること、寝ること。
 いろいろあると思います。

 そして、生きる喜びを得るためにお金が必要で、働いているのだと思います。

 生きる喜びを感じなければ、人は死を選ぶのでしょうか?
 生きることは辛いのか、しんどいのか、難しいのか。
 なんで生きているのか? 生きていなきゃいけないのか?
 死ぬのが怖いのか?

 そもそも、そんなことを考えて生きていないというのが答えかもしれません。
 生きることは基礎代謝と同じで、何も考えなくても呼吸しているように当然のこととして存在しているように思います。

 生きている。

 身体中に空気を巡らし、血液を動かし、筋肉を動かし、歩き、走り、食べて、寝る。
 一日の行動は単調でも、考えていることは違うし、同じ一日は存在しない。
 今日も今日という一日を、時間を、一瞬を大切に生きていこうと思う。

 明日からは、いよいよアルバイトでも探してみます。
 何しようかなぁ。 


 オリンピックですね。
 連日連夜、テレビにかじりついております。
 昨日のレスリングはまさしく人生ドラマでしたね。勝利を軽々しくおめでとうの言葉で彩るのが憚れるくらい、価値ある金メダルでした。

 日本人は筋肉の質も手足の長さも、身体のバランスも、一流になるのは難しい体型なんだと思っていました。ところがどうだ、ひけをとらないどころか脅威になっている。
 結局は自らのポテンシャルなんてもんは、信じて努力していけば覆せるって事でしょう?
 伊調選手は言いました。「続けるのは辛いし、しんどい」
 でも続けたからこそ3連覇があった。そして伊調選手がオリンピックに出始めて12年間、福原愛ちゃんみたいにメダルを夢見たスポーツマンはメダルを手にすることが出来なかった訳だ。
 勝つこと、負けること、続けること、信じること、オリンピックはスポーツという競技の中に完成された人間の姿を見せてくれます。小説に通じるものがあります。描きたいものは人間です。
 ガンバレ ニッポン!!