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夢は小説家ですと本気で宣ふブログ

文章の世界に魅入られた小娘が、妄想を書籍化しようと奮闘する日記。



 新宿の路上で猫が売られていた。
 ゲージが1つ置いてあって、ダンボールで蓋をされている。ゲージにはリードが結ばれていて、5匹程の猫が繋がれている。脇に2人の大人が座り込んでいる。
 猫は床に寝っ転がって日向ぼっこをしているようであった。
 猫は散歩に出されていたのだろうか? いや、売られていたのだろう。

 猫は「自由」と表現される。勝手気ままに歩きまわり、手を差し出せば素知らぬ顔でそっぽを向き、すり抜ける。と、思ったら身をすり寄せて「にゃあ」と鳴く。
 
 誰かにとっては、愛玩動物であり、人生のパートナーであり、我が子であり、商売道具であり、害獣である。

 以前、姉に「人間が一番高等な動物だと思っているのは人間だけだ」と言って、不思議がられたことがある。まずそんなことは考えないらしい。
 それは人の価値観で、人間と猫の関係をどちらが上かと種族争いするならば、人間が圧勝すると思う。現段階ではどう足掻いても人間が上で、人間以上に強い種族は現れていないように思う。それでもボルト選手が塗り替えていくように人間もまた進化しているとは思う。

 あの猫は死ぬまで繋がれて、死にそうになったら捨てられるのであろうか。きっとそうなのだろう、そして私は救おうとは思わない。路上で売られた猫を獣医にかけて「病気していない」と診断されても、きっと私は飼わない。それが私と猫との距離感だ。
 猫が路上で売られているのを見て、誰かに話したくなっただけだ。古本を売るように並べられた猫を見て、こんなことをする人がいるのかと学んだだけだ。

 猫を売買する人を通り過ぎ、私は面接を受けに行った。仕事を手に入れた。

 不愉快なものを見た。その程度の感想で、生きていく。
 
 


 「壊れそうな心がブロークンだよ!」と発言する姉を持っています妹です。
 ついに! ついに! 姉の話し方では何が言いたいのかが分からないというのを、理解させたうえで矯正することに成功しました! 今日は、その全容をお話したいと思います。(拍手)

【矯正前】
「昨日、うまいもの市場に行ったんだよ、渋谷のね。すごい、おいしかった! ちょっと高かったけど」


【指摘項目】
「私は、うまいもの市場が何を売っているところで、君が何を食べて、何と比較して高かったのかが分からないから、今の会話理解できない」

「なるほど」

【矯正後】
「昨日、渋谷のうまいもの市場に行ったの。うまいもの市場っていうのは秋田のきりたんぽとか、兵庫県の肉とか、名古屋コーチンとか日本の名産を売ってるんだけど、昨日は青森でね、おでんを食べたんだけど、味噌がおいしかったの。なんか、生姜とか味りんとか醤油とか入ってるんだけど。こうじ味噌? おでんに780円は高いなって思ったけど美味しかったよ! あとは馬刺しも美味しくて、いま肉刺しってやってないところが多いらしくて、久しぶりに食べたら美味しかったよ」


【ツッコミ】
「うん、まぁ何が言いたいのかは分かった。でも日本の名産品っていえば分かるし(兵庫の肉って何やねん。牛肉か? 神戸牛か? っていうツッコミは今はなし)(こうじ味噌はちゃうやろっていうのも今はなし)、肉刺し提供していた店の店長に肉刺し禁止の話すんなや。君より詳しいから、あとその話今関係なかったからいらん」


 というわけで、私だったらこう言う。

【完成版】
「昨日、渋谷のうまいもの市場に行ったの。日本の名産を売ってるんだけど、今は青森で、昨日はおでんを食べたんだ。生姜の入った味噌ダレで食べるんだけど、生姜が入ってるってすごいよね。おいしかったよ! まぁ、値段は780円と高めなんだけど、食べる価値はあるね」


【変更点】
・青森と東京のおでんの違い「生姜」を強調する
・おでんの味をおススメしたいので、そこは厚く、あとの説明は簡略化する


 という、ところでしょうか。
 今まで、姉は主語が抜けているから何が言いたいのか分からないと言われ続けたそうだ。

 それは、違う!

 姉には、修飾語が抜けているのだ!
 
 姉の友人は皆「なんで?」星人なのだろうか。ならば我点がいく。
 姉の話には、なんで美味しいのかが抜けているので、味のイメージや映像が浮かばない。なんでと聞くことによって、美味しいものがどんな形で何味か分かり、ようやく姉の話したいことが理解できる。

 このようなエピソードがある。
「赤いじゅうたんがね、後ろ姿がいいんだよ」
 私は一切姉が言いたいことが理解できなかったが、姉の友人が言う。
「ああ、赤いじゅうたんのイブニングドレスの女優の背中が開いた服の背中がいいんだね」
 ……私にとってそれは衝撃だった。そして姉は「友人は通訳してくれるの」と言った。お前、何人だよ。早く日本に帰っておいで。
 
 まだ、足りない。だが、姉の日本語レベルも亀速度で人間に近付いている。長期戦になるのは分かっている。早く人間にしてあげなくては!


 漫画にはまったのは中1のときです。それまでは少年漫画は男しか読んじゃいけないと思っていました。少女漫画は、髪飾り派でした。
 否定的なことを書くつもりはありませんが、夏休みなので徹底的に検索避けしながら文章にしようと思っています。
 お暇な方、お付き合いくださいませ。

 10年、ヲタクやってると、やはり未完の名作になってしまうと揶揄してしまう漫画もたくさんあります。話したいのは二人の漫画家さんの話です。

 一人は、歴史漫画を描いておられました。ええ、そうです私の大好きな幕末に活躍したあの方々を題材にした漫画です。
 その漫画家さんは、史実をなぞりつつ独自性を加えて漫画を描いておられました。しかし、あまりに残酷な死の事実の数々に直面できなくなってしまい、続きを描くことが出来なくなってしまいました。真意は定かでありませんが、私はそう認識しています。
 同調すると表現すればいいのでしょうか? キャラクターとはいえ、やはり創作者にとっては現実の人間も二次元の人間も同等に愛しいものです。
 手に掛けなけらばならないことは、現実の人間を殺めることと違いますでしょうか? 現実には違います。しかしやはり創作者の心の中では「殺めてしまった」苦悩はついてまわるのだと思います。

 もう一人の漫画家さんは病気をしました。今では仮の顎をつけていないと喋れないし飲食も出来ないのだとブログで知りました。しかしこの方は、エピローグに向けて今もペンを握り続けていらっしゃいます。

 どちらの漫画家さんも、中学時代から大好きで今でもコミックスが出るのを待ちわびている作家さんです。将来的には漫画も揃えて、両方に貢献したいと思わずには居られません。

 世は無情ですね。
 描きたいのに描けなくなってしまう、身体や心に負荷をかけられる。でも、無情な世の中は今に始まったことじゃありません。今日も人は死ぬし、生まれます。
 朝っぱらから重い内容ですいません。寝てないです。今日は眠気吹っ飛んだんで、このまま活動します。ニートは時間に縛られません。今だけですけどね。


 世の中には不思議なことに、「最後まで読んでくれる」という人がいます。
 使命感なんでしょうか? 面白いからでしょうか?
 だが、しかし最後まで読んでくれる人というのは、やはり存在している。

 これは、私が23年間生きてきた気付きです。

 どんなにつまらない映画も、本も、日記も最後まで読んでくれる人というのは存在します。ああ、そうか、美味しくないお酒も料理も、飲んで食べてくれる人がいます。
 二者択一の世界、食べない人もいれば食べる人もいる。有名な言葉では捨てる人もいれば拾う神もいるっていうのがありますね。
 まぁ、少数派というものも存在していますから皆が嫌いなものを好きという人もいるわけだ。

 この間、母と祖母と神戸のハーブ園に行きました。
 ABCDに分けられた香りで人格判断をしてくれるというものでした。好きな香りは三人とも違いました。個性の話でしょうか、好みの話でしょうか?
 今回の場合は、人それぞれという話です。

 だから、やはり面白くないと思っている話を面白いと読んでくれる人もいる訳で、応援してくれる人がいる訳です。

 ああ、そういえばRADのπって曲にそういう歌があったな。歌詞を書いてしまうと著作権に引っ掛かるので、内容だけ。どうやっても好きになれない人がいるけど、その人もどっかの誰かにとってかけがえのない人でっていうの。そうなんだよね、私が嫌いって言ってる人も誰かからしたら大事な人なの。
 だからまぁ、何が言いたいかって言うと、タイトルで最後まで読みましょうなんて言ったのは、読まなくていいよって副音声が含まれているのさ。そうやって読んでくれる人に感謝して、やっぱり最後の「。」まで血の通った文章を書きたいと思っただけです。


 最近の芸能人は弱い。うそ、本当は昔から弱かったのかも。同じ人間だものね。
 でも例えば、子を産んで育てる恐怖に「怖い」ということで賛同を得ているママタレントだったり、私も昔いじめられてたよと発言してネットニュースに流れたりするアイドルだったり、私には弱いところを曝け出すことで、同情を買いたいと思っているようにしか思えない瞬間があるんだよな。
 そう、演じている人格があるとする。私はか弱い女の子で、この醜い社会で自分の居場所を懸命に探して、なんとか立っているんだと主張する。「僕もだよ」とファンは言う。「一緒に頑張って行こうね」と女の子は言う。うそだ、一緒になんて嘘。だって欲しいのはファンが買ってくれる自分のプロマイドだったりCDを買うお金なわけでしょ? 一緒にと発言して夢を売る。まぁ、商売ですから多少の嘘もご愛きょうだよね。
 それでも演技を見るうえで、私は時々その人のブログなんかが気になってしまう時があるんだよな。有名ブロガ―さんがドラマにでていて演技をしているんだけれど、内容じゃなくて「あの人、こないだ海行ってたな」とか関係ないことを考えている。
 それはドラマを視聴するうえで邪魔になるのか、それともその人をよく知ることで喜びを感じたりするのだろうか。
 自分を売り込むという上では、ブログなんかはとってもいい場所。私もあやかりたいと思っている。
 でも、やっぱりどうなんだろうと思ったりもする。
 そしてやっぱりニュースにしてもらおうと内容を選んでいる姿があるように思う。
 まぁ、文句言うなら見んなっていうのが今の社会。私の一意見も情報社会じゃ、埋まって葬られて消えていく。
 だから、こんなことを言い出して私は何も言わなかったフリして普通に寝る。
 だって、それが今の社会なんでしょう?