アンジです。

2013年夏。
人間ドックにて左胸に怪しい影を発見。
いっぱい検査をして悪性腫瘍であることがわかりました。

そして、今。
入院…手術を終え、1週間が経ち、
やっと自分と向き合えるかな…と思い、
ブログにまとめておこうと思います。

日記帳!?とか思ったけど、
絶対三日坊主になります。

ペンで書くよりもキーボードの方が続けられそうなので…(苦笑)。
自分のため、振り返るため、
前を向いて進むためのブログにしようと思います。

三十数年間、生きてきた訳で、
いろいろ山あり谷ありだったけど、
のほほんと楽しく過ごしてきました。
自己紹介というか、これまでの私が知りたい方は
これまでのブログちら見してください。

→ ★anji★CAFE+★ 1号店です。

1号店は元気なブログにしておきたいので、
コメント等ある方は、
この自己紹介へのコメントにしてください。お願いします。

この病気になって、「アンジ」って名前…と思ったけど、
ずっと使ってきた名前なのでそのまま使っていきます。
由来は有名な女優さんじゃありません。

ずっと昔、雑誌にのっていた日本人のモデルさんか
カットモデルさんがいて、素敵だなって思ってた名前で
その後、うちの犬につけた名前です。
で、SNS始める時の自分の名前にした訳で…。

今となっては、あらら です。

な、感じのアンジです。

(日付さかのぼっているので、ブログの順序がおかしくなってます。)
9月20日。(術後1日目)
昨日1日何も食べてなかったので、
おなかぺっこぺこ。
朝ごはんを首を長くしてまってました。
ペロリ☆完食。
食べれるって嬉しい。

この日はまずはレントゲンを撮り、次に麻酔科で診察。
ちょっと横になってただけなのに、立ち上がるとフラッとするもんだね。
看護婦さんがフラッしてるアンジを車椅子に乗せ、ビュ~~~~ンと連れて行ってくれました。
…車椅子の体感スピードってすごい。若干怖かった。人を乗せて車椅子を押すときは気を付けよっと。

点滴や尿管の管が外れ午後からは何とか動けるようになりました。

午後、友達がお見舞いに来てくれました。
なんかほっとした。
個室で良かった。いろいろしゃべって。。。
(毎朝、頑張れメールをくれる子です。)

その後、弟が頼んでおいたDVDを借りてきてくれました。

で、職場の上司も来てくれて…。
「元気そうでよかったよ」と笑顔をくれました。
人間ドック再検査後、毎朝泣いてるアンジを見てたからね。
本当に心配かけちゃってます。
でも、心からありがとうです。

21日。(術後2日目)
なんか、タポンタポン水が溜まってます。
「そのうち体に吸収される」とは言われましたが、
腕を動かすとチャポンチャポン音がするほど…。
大丈夫かな…。
ま、痛みはありません。

昼。
元同僚がお見舞いに来てくれました。
同期の子と、後輩です。
個室でほんとに良かった…。
ず~~~~~~っと、ワーワー言いながら
職業柄、大きな声で喋りまくり…。
これ、大部屋じゃ大迷惑。
いや、個室でも、隣の人に迷惑かけたんじゃないか…と思うほど。
(外出して留守だったので良かったのですが…。)

ほんとに、ありがたい。
「きっと入院中ヒマだと思って~」って。
支えてもらってます。


夜。消灯時間後。

あれ…。

なんかかゆい。


昨日も背中がちょっとかゆかったけど。


あれれ大変。
足が赤い。

弾性ストッキングの跡に上手に発疹。
+太ももや背中にもブツブツ。

汗かいたからかな。
昨日の夜。動けんかったからかな?

看護師さんに伝えると、
「あ、出ちゃった?
 弾性ストッキングでかぶれちゃう人多いんだよ~」って。

もう先生は帰っちゃったので、とりあえず冷却剤で冷やして一晩すごしました。
(ここから1週間くらい痒さとのたたかいでした。)

なんてデリケートなんざましょ。
アンジ、こんなんだっけ?

結構健康体で過ごしてきたのに…。
小中学校皆勤賞だし…。



22日。
あっけなく退院。
日曜日なので先生たちはお休みです。
退院手続きも後日。
「あ、支度できたら好きな時間に帰っていいですよ」って。

イメージしてた『退院』と大違い…(笑)。

なんか、一応、「ありがとうございました」をその辺にいた看護師さんに伝え、病院を後にしました。

ああああああああ、家での生活か…。
ちょっぴり不安。

まだ、胸はタポンタポンしてます。
さて。

いよいよ手術日です。
アンジは午後からってことでした。

昨日の手術の説明の時に
「すいません。痛みにかなり弱いです。」
「麻酔から覚めたらどんなんですか?」
「ってか、麻酔って痛いです?」
って痛みに対しての質問攻め。

そしたら、T先生。(←めっちゃカワイイです。)
「たぶん、その前にやる検査の注射が1番痛いかも…」って。

ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ。

何すか?そのおっそろしい注射って…。



午前中に
それをしなくちゃいけません。

放射線科まで一緒に行ってくれたI先生。(←こっちの先生もカワイイ。)
アンジ「今からの注射ってすごく痛いって聞いたんですけど…」
I先生「あ゛~~~~~ってなるかも」
アンジ「あ゛~~~~~!!ですか…」

そして機械の上に横になり、
I先生はサクサクッっと4回勢いで注射してくれました。

うん。痛かった。
今考えても、これが1番痛い。

リンパの流れを見るって言ってた。
注射した時に撮影。
(胸の上に何か乗せて…。これ、途中で落ちたんですけどwww。)

そして時間を置いてもう1度撮影。
(また、乗せたやつ、途中で落ちた。)

そんなこんなしてる時に
技師「あ、アンジさん、
    なんか最初のオペ早く終わったらしく、
    12:15からやるみたいです。
    今、11:45なんですけど…」
アンジ「え、心の準備できてません…」
技師「もうちょっと検査あるから、頑張って」
アンジ「あ。はい。」

で。そのあとまた別の機械の上に横になり
グルグルグルグル撮影。

(えええええ。間に合うの?)

急いで病室に戻ると看護師さんがスタンバイ。

(うううう。トイレもゆっくり行けないじゃん。)

血圧や体温を計り、
弾性ストッキングをするするっと履き、
「はい!行きますよ!」って
強制連行…。。。

てくてく歩いていくうちに、
だんだん怖くなってきた。

手術室。こわい。

バタバタしてて
何だかよくわかんないけど
ただただこわい。

手術台に上がるのも自分で。

「名前を教えてください。」って。

もう涙声でした。
涙ぽろぽろ伝えました。

「生年月日は?」

答えると
介助していた看護師さんが、
手首の患者バンドを2度見。
「え、私と一緒の誕生日!歳は違うけど…www」って。
こんな一言が嬉しかった。
いい大人が背中さすってもらいながら横になりました。

まだ涙が止まんない。
手術したくないわけじゃないの。
ほんとただこわいってだけで…。

酸素のマスクを付けられ、
「どうやって息したらいいですか?」って聞いてしまうほど
テンパってました。

後ろの方で先生が準備してて、
涙が止まらないアンジに
「大丈夫だよ」って声をかけてくれました。

やっぱ言葉って大切。

そして、点滴の針が入り
同じ誕生日の看護師さんが
「麻酔入るときに血管痛があるかもです」って。

それっきり、意識はありません。

手術終了。

喉に入ってた管の違和感に
ゲホッてなって起きました。

で、しばらくしたら震えがすごくって
ガクガクガクガクずっとしてた。

病室に戻り、看護師さんが電気毛布や
足のマッサージの機械を付けてくれたり。

その後は震えがおさまりました。

今度は暑くて暑くて。
汗ダクダク。

体が忙しい。

病室でぼ~っとしてたら
先生が回ってきてくれました。

いろいろ管とかついてるので
どう動いていいかわからずに固まっていたアンジを見て、
「そんなに重病そうにしてなくていいよっ。」と先生。
「体、動かしていいから」
さらっと一言。

(って、お~~~い。どう動けって言うんだ~~~い。)

って感じでした。

変な風に昼間寝ちゃってるので、
夜が長かった…。

ひたすら弟から拝借した宇宙兄弟読んでました…。

見回りに来てくれる看護師さんに
「寝れないですよね…」って、声を掛けてもらったり。
「個室だから、電気も付けてて大丈夫です」って教えてもらったり。
はぁ。個室でよかった。

うとうとしつつ、寝たり起きたりの一夜でした。

痛みどめも、
座薬とか注射とかあるから心配しないでねって言われたけど、
説明の時にT先生に「えっ;」って言ったら
点滴にも入れることできるらしく、そうしてもらったから、
術後の痛み、この時点でゼロです。




9月18日入院。
荷物を持って病棟へ。
施設の説明を他の入院患者さんと聞いてる時に、
事務の人「あ、アンジさん、今日、忙しいですよ」って。
アンジ「え。」

風邪ひいちゃいけないし、
なんか微妙に頭痛いし、
無理するとすぐに体調崩すので…、
大丈夫かな??と。

ほんとに忙しかった。
ほっとできたのは夕飯後ぐらい。

いろいろ書類にサインしたり、
残りの検査したり、
説明を受けたり。
サインしたり、サインしたり、サインしたり。。。
いっぱい文書読まされて、
も~い~です!って思った。
(何かあったときのための同意書の山。)



あとは、
先生の研究のお手伝いをしたり。
なんかね。
マンモじゃない検査方法の機会の研究中だとさ。
痛くなく検査できる方法なんて、
協力します。
みんなはさまれるのイヤだよね。





ぐったり。

手術の心配も何も…
考えてる時間もなかったよ。

病院にきたら、
何か安心した。
治してもらえるって思えて。

手術前日ってことで
眠れない人もいるらしく
「睡眠導入剤出てますけど~」
って持ってきてくれたけど
即答「寝れます!!!」www。

zzz。

寝ました。


入院の申し込みをしてた時は
心配MAXの不安定さ。
一人部屋なんて無理!!!って思ってましたが、
前向きになれたアンジは
個室にすることにしました。
手術して、
心も体もゆっくり休もうって。
おかげで周りを気にすることなく、
自分の部屋だと思って過ごせました。


さあ、明日。手術です。






9月4日。
MR検査です。

アンジ、これダメです。
筒の中、しかもうつ伏せ…。
顔は枕みたいなとこにうずめれるのだけど
「耳栓しますよ~」って。

あ。


無理です~~~~~~~~~~。

閉所恐怖症?っていうか
三半規管が弱いというか…
外部からの圧力に弱いです。

うつ伏せのまま
「すいません~~~~!無理です!」って。
アンジ「耳栓外したらどうなります?」
技師「めっちゃうるさいかもです。」
アンジ「無しでもできます?」
技師「できますよ。」
アンジ「うるさくても我慢します。」

筒の中。壁の圧迫感もすご~く嫌だった。
なが~い30分程の時間。
しかも、工事現場?工場?の中のような
大音響のサイレン。

途中から、
テクノでも聞いているかのように
サイレン音でリズム取り始めたアンジ。
もう、おかしいです。
でもそうでもしないと、
一刻も早くここから出して~~!って
発狂しそうだった。

私の前には小学生の男の子がやってた。
あの子も頑張ったんだから…
私も頑張らなきゃ…って言い聞かせ。


検査は気力、体力使います。
やっぱ食べてパワーつけないと、
体調崩しちゃう…。



9月6日。

もう一度エコーで詳しく検査。
あら?
ささっと終わらない。
そしたら、あれ…リンパがちょっと腫れてるかも…って。

きゃ~~~~~~~~~~~~~。

また、不安の波に飲み込まれました。

診察のあと、
他のしこりも一応見ておこうということで、
細胞診をあちこち。
と、
リンパが怪しかったので、
リンパの方も細胞診。

あああああああああああ。

また、不安な結果待ちの日々が始まりました。
(前向きな気持ちと不安な気持ちの行ったり来たり。)
 →ここを抜け出すpowerになったイロイロ
  また書き出します。

結果を聞きに9月10日。
もうね、転移の事しか頭になくて。

でも、
「見つかったら治す!
 無かったらラッキー!」って思うことにした。
繰り返し繰り返し自分に言い聞かせて診察室へ。


先生
「とりあえず、リンパに転移はありませんでした。
 他のしこりも今のところ悪性ではありません。
 乳腺の中での広がりも、わかっている部分だけかな。




 ただ、



(え。。。。。。。。。。ただ????)





 メインの場所が非浸潤かそれよりも広がってるかは微妙なところです。」

アンジ「はい。」

…見つかったら治す。それだけ!!!

そして、入院、手術の正式な日程が出ました。


最初の細胞診結果の時点で日程はおさえてあったので、
9月18日入院。
9月19日手術となりました。


9月17日までは仕事します。




…………



アンジ、実は子どもとかかわる仕事をしています。
この病気がわかり、行事やイベントの多い2学期に
休みをもらうことになってしまいました。

すべてではありませんが、
今の状況を話せる部分まで保護者や子どもたちに
伝えようと思いました。


子どもたち…
不安にならないように
病気を治すことや
私が休む日を伝えました。
カレンダーに印をつけました。

入院後の休みを付け加えると、
見ていた男の子が
「え、そんなに…。」って。

「ごめんね~。」
あ、やっぱり無理させちゃう…。
でも子どもたちから「頑張ってね!」って
いっぱいパワーもらいました。

保護者の皆様…
ちゃんと伝えようとしたのですが
涙が出てきてしまいました。
年齢の近いお母さんたち。
一緒に泣いてくれた人もいました。
後日、連絡ノートにお手紙を書いてくれた人もいました。
お家で話したのかな?
いつもは来ないお父さんが
私の様子を心配そうに見に来てくれたり、
「頑張ってね!」ってPTA会長さんがわざわざ言いにきてくれたり。

人とかかわる仕事をしているからこそ、
たくさんの人に迷惑をかけることになっちゃうけど
たくさんの人から「がんばって!」の温かい気持ちをもらうことができました。

検査結果まで、病気を受け止めるまで
ツライ涙もいっぱい流したけど、

周りのたくさんの人からの温かい気持ちに
アリガトウの涙もいっぱいでした。

早く治して、仕事したい。
子どもたちの所に帰りたい。
私、この仕事やっぱり好きだ。

普通に生活して、
普通に仕事できるって
本当は1番シアワセなのかもしれないって思いました。

「今まで、突き進んできたから、きっと休憩時間をくれたんだよ」って
私の上司に伝えてくれた保護者もいます。

1度立ち止まったから見える景色なのかも…です。



さあ。
入院準備。

病院からもらった冊子と、
掲示板とかで集めた情報をもとに
準備しました。