ヒーリングルーム Angel touch

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ヒーリングルームAngel touchのブログです。
【より善く生きるためのヒント】
として、
癒しのステップに役立つヒントを綴っていきます。

毎週木曜日更新(予定)


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先日、「窃盗症」の元マラソン選手の方のニュースがありました。
あまり聞き慣れない病気ですが、
このような病気になる要因の一つとして、
長期に渡る過度のストレスや幼少期の親子関係の問題が指摘されていました。

 


このような件に限らず、
色んな問題を紐解いていけば、
最終的には殆どの問題が親子関係の問題から派生していると言っても過言ではありません。


それはなぜかというと、
私たちは皆、両親がこの世界の人々の「原型」だからです。

最初に対峙する女性は母親であり、男性は父親です。

それ故に、
母親は女性の象徴、
父親は男性の象徴となります。


自分が幼い頃にインプットされた両親それぞれのイメージは、
世界における「人とはどういうものなのか」
という原型として心の奥に刷り込まれます。

そしてそれに沿った世界が繰り広げられていくのです。


◆    ◇    ◆    ◇    ◆     ◇    ◆   

「お母さんを好きになれない」
ということを悩み、
更には
「お母さんを好きになれない自分を好きになれない、

自分はダメな子だ」
とお話しされた方がいました。


私たちは、
「この世界で生きていくには、
自分をこの世界に受け入れてもらわなければならない」と考えます。


そのため、
まずは自分がいる世界の人間の象徴である「両親」にいかに受け入れてもらうか

ということに重点を置くのです。

大人になってもその意識から抜け出すことができず、
「親に自分をいかに認めてもらうか」
ということが行動の根底にある人も少なくありません。

もし、
その想いに駆られているのだとしたら、それは

 

「親をから認めてもらっていない、
でも(だからこそ)どうにか認めてもらいたい」

 

という意識がある、ということになります。

世界の象徴に認めてもらえないのであれば、
生きていくことに危機感を感じてしまったり、
自分に自信が持てないのは仕方のないことなのかもしれませんが、

結果として

「うまく生きられない」

という想いが募ることになります。



一方、大人になるに連れてマインドは育っていくため、
思考力が優位に立つようになり、
思考で感情をコントロールしよう、
という動きが出てきます。

すると
「親に感謝しなければ、
子どもとして役割を果たさなければ」
というごく一般的な意識が膨らんできます。

 


ここにジレンマが生まれてくるのです。



そりゃあね、
感謝し合える、お互いを認め合える親子関係は理想だと思います。

しかし。
単純に考えて、
自分を認めてくれないような、
受け入れてくれないような人に対して、
感謝ができるでしょうか…?

普通はできないですよね。
聖人君子じゃないんですから。

でも、「親だから」、
感謝しなきゃいけない、
と思うわけです。

根底には
認めてもらえなかったとか
愛してもらえなかったとか
自分のやりたいようにさせてもらえなかったとか

辛く悲しい気持ちを抱えたままなのにも関わらず、です。


しかし、
「感謝」というのは頭でするものではありません。
自然に「湧き出てくる」もので、
頭で「しよう」と思ってするものではないのです。


そもそも感謝が自然に湧いてくる状態になっていないのに、
必死で無理やりそうしようとしている。

そして「うまくできない」
と悩み、できない自分に自己嫌悪する。

できなくて当たり前なのに。


まずは
「自然に感謝できる状態になるような自分になること」
に取り組まなければならないのです。


それは本当の意味で大人になることであり、
感情面が成長して自立することで達成できます。


ところが、それができていない状態であるほど、
「親に認めてもらいたい」という思いが強くなるために、
なんとか感謝をアピールして、
親が認めてくれる良い子になりたい、ということに捉われるのです。
  
それだけ、
「世界の象徴」に認めてもらえるかどうかというのは、
自分自身の存在意義や自己肯定感に関係しているといえます。


◆    ◇    ◆    ◇    ◆     ◇    ◆   


一方、親の側は
「子どもに感謝されたい」
「子どもは親に感謝するべき」
「(自分たちの望む)良い子でいてほしい」
という想いを抱えており、
無言のプレッシャーを子どもに発信しています。

それは、親である人たちも、
ありのままの自分を認めることができず、
子どもに感謝されて親として尊敬してもらうことによって、自分の存在意義を確かめようとしているからです。

程度の差はあれど、誰にでもこういう部分はあります。

ただ。

私自身も親として子育てを経験したからこそ思うことがあります。


親は子どもに「感謝」を強要してはいけない、

ということです。


産んであげた、
育ててやった、
と押しつけるのはナンセンス、

と、私は思います。


そもそも、私たちは自分たちが自らそうしたいと思って、
子どもを作り、産んだのです。

親になる側の私たちが選択したことなのです。
(子どもの魂が親を選んでくる、という話はまた別の話)

好きで産んだのだから、
自分たちなりにできる限りのことをして育てて「当たり前」なのだと、私は思います。

感謝されるためにやっているわけではないはずです。

本当の愛は見返りを求めません。
感謝も同じことだと思います。


しかも、子どもがちゃんと成長し、心が大人になれば、
親に対して自然に感謝をするようになるのですから、要求するものではないのです。

子どもがいかに精神的に自立した大人になるかは、

親がどう働きかけたかということが大きな影響を与えるのですから、
もしも「子どもに感謝してほしい」と思うのであればなおさら、
子どもがしっかりと自立した大人に育つように働きかけなければなりません

しかし、こちらもまた子どもの側と同じで
自立した大人になっていない親であればあるほど、
「感謝される」ことで自分の存在意義を確かめようとするが故に、
子どもにこういうことを要求しがちなのです。



でも。

もはや子どもを自分たちの「道具」にする時代は終わった、と感じます。

育ててやったとか
面倒見てやったとか

だから感謝しろとか
親の面倒を見ろとか

子どもに押しつけるのではなく、
自らが自分の人生に責任を持ち、
幸せになっていくことに意識を向けなければならないのではないかと感じます。

子どもに感謝されるかどうか、大事にされるかどうかではないのです。

子どもは子どもの人生を全うしてくれることが一番大事なことではないでしょうか。



子どもは子どもで、
感謝とは「ねばならない」でするものではないことを知り、
一番の親孝行は自分自身が幸せに、自分らしく生きていけるようになることを知る必要があります。

歪んだ価値観を持った親にいつまでも
「わかってほしい 」
「いつかわかってくれる」
「わかって欲しいから親の望む子になる」

とやっていても、
その願いは叶わないのです。

自分はもう大人だ、という自覚があるならなおさら、親離れをして自分の問題を解決していくしかありません。

お互いが自立するべき時が来ています。

自分の人生の責任を、自分以外の誰かに押し付けるのはやめて、
自分でもう一度創り出すことを選択しましょう。

自分自身がどこかに頼ることなく自分の力で幸せになれれば、

お互いに「感謝し感謝される」素敵な親子になれるのではないかと思います。
 

 

 

(画像はネットよりお借り)


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今年は暖かいのでまだ流行のニュースは出ていませんが、 
こんな話題が出てくる季節になりましたね。

ちょうど一年前くらいに書いたこちらの記事。
クライアントのみなさんには基礎知識として参考にしていただいています。

「インフルエンザは風邪」です。
脳症や重症化が怖いなら、
ワクチンを打つ前に、
まず調べて、知りましょう。

インフルエンザとはどういうもので、
脳症や重症化するケースとはどういうものなのか。

普通の風邪でもインフルエンザでも、
やたらに解熱剤を使えば、
脳症の危険も出てきます。

こちらの本はオススメです。
参考文献
浜六郎著
医療ビジランスセンター





そしてあなたもぜひ、
健康レベルと病気の関係を知ってください。

   

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私たちは皆、
自分自身がつくりあげた

「正しさ」や「こうあるべき」

という想いの中で生きている。

誰もが「これがアタリマエ」と思っていることがある。

みんな自分が基準だから、
自分が経験してきた中での「当たり前」があり、

ついそれが、「みんなにも共通している」と思ってしまい、

他人にも「アタリマエだよね???」と、押し付けてしまいがち、

 

なのですが、、、

実際には、
それが正しいかどうかは別の話。
他の人と同じ感覚かどうかも別の話。



でも、自分の正しさからはみ出た出来事が起きると、

人は怒りを感じるようになっています。

だから私たちは、
「怒りを正当化できた時」にだけ、
腹を立てるのです。


「私たちは無意識に怒りをコントロールしている」
という話をすると、
多くのクライアントさんたちは、
最初は「え〜」とちょっと驚きます。

でも、説明すると
「なるほど(^_^;)」
というのです。

◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇

私たちは
「怒っても良いと思っている相手」で、
「怒りを表現するのに十分な正当性がある」場合、

つまり相手に対して

自分が「こちらが正しいのだ」と、

ある意味「上」の立ち位置にいると思った時、

怒りを表現します。


そうでない場合は表現できません。

自信がなかったり、
相手が怖かったり、偉い人だったりすると、
表現することはできないのです。

でも、内側では怒りを感じていたなら、
表現できなかったものは心の奥に蓄積されていくことになります。

溜め込んだものは、どうなるか…?

もちろん、病気として表現していく可能性は高いです。

一方で、

他の「怒りを表現してもよいと思えるタイミング」に、

蓄積されたものも一緒に「噴出」する、

ということをやります。

火山噴火みたいですね(笑)

つまり、腹を立てているとき、
その怒りの本質は、
目の前の出来事に対しての怒りではない場合がある

ということ。

「ついでにゴミ出しをするが、
ついでのものの方がだいぶ大きい」


という現象です。

誰もがそういうものを持っています。

夫や妻に対する怒りとかね…(笑)

皆さんも、
何か思い当たるものがあるのではないでしょうか。

でも。
「そちらの常識はこちらの非常識」

人それぞれ、違うのです。
だから、いくら「私がこんなに言っているのに!」と思っても、それは通じない。

通じないことで、更に怒りが募っていきます。

残念ながら、そういったシチュエーションにおいて、
「私の正しさ」を全面的に受け入れてもらえることはないのです。

パートナーと喧嘩ばかりしている方が、
「私の言っていることを分かってもらえない」
と言い続けていました。


…で、そうだったとして、

この方は最終的には、なにが欲しいのでしょうか?

「僕が悪かった、君が全部正しい」
という言葉でしょうか?

残念ながら、それは絶対に、起こりません。

分かってくれない、はお互い様だからです。


仲良くしたい、うまくやりたい、良い関係を築きたいなら、
そのことにフォーカスするしか道はありません。

 

「いかにわかってもらえないか」から離れて、

意識を切り替えていかなければなりません。

正しさをふりかざしていても、平和は訪れないし、

あなたが欲しいものも手に入らないのです。

思春期の反抗期の子を相手にしている時も同じですね。
親からの正しさを振りかざしたところで、
うまくコミュニケーションを取れるようになどなりません。

ますます遠ざかるだけです。
 

 


世界は私たちのちっぽけな意識からは程遠い、大きなエネルギーで動いている。

私たちから見たら間違っているように見える、
あれもこれも、
本当にそうかはわからないのです。

私が正しい、こうあるべき、
と思っているあんなことやこんなことも、
もしかしたらそうではないのかもしれない。

科学や医学でも、定説は覆されていきますよね。

国によって「正しさ」「常識」も違います。

 

同じ国で同じ日本人でも、人それぞれ違うのです。

 

結局、
私たちは「何も分かっていない」のです。

 

わかっているのは、それだけです。

 

(ややこしいですね)

 

 


そんな風に、視点をちょっとずらすことができて、

今までより少しだけでも謙虚になれた時、
あなたの「怒り」は別のものに変容していくかも、しれません。

 

 

(画像はネットよりお借り)






 


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前回、
「人生のアハ体験」というお話をしました。

まるで電気が走ってバ~ッと明るくなったような気づきが起きると同時に、ちょっと残念な気持ちにも陥るような体験。

そんな、
打ち上げ花火が上がったかのような体験の後は、

何が起きるのでしょうか…?

 


残念ながら、
魔法のように自分の世界がガラリと一変するわけではありません(笑)

でも、ジワジワとなにかが変わっていきます。

そしてある時ふと

 

「あれ…?なんか、前と違う」

 

と思うことがやってくるのです。

今まで当たり前だったパターンとは違う感覚になっていたり、
違う行動をしていることに気づきます。

やるのが苦手だったことを

いつの間にか普通に当たり前のようにやっていたり。

いつも気にしていたことが、
気にならずに過ごしていたことに気づいたり。


朝起きると何故かいつも「不快な気分」を探しては、
「自分の機嫌を悪くしていた」ことに気づいた方が、

 

いつの間にかそんなことはしなくなっていた、

 

とお話してくれたことがありました。

そして
「ある意味、”暇”だったんだ、
暇だから悩みを探し、悩んでいたんだ、
と気づいた」

 

と教えてくれました。

「心に隙間ができるのが怖かったのかも」
と。

これは大きな大きな変化ですが、
本人にとっては「いつの間にか」なんですよね。
 

 


そう。
悩まなくなると、
心が空いてしまう。

すると心の奥に押し込めていた何かが浮上してくるのです。

不安やイライラ、恐怖、悲しみ、怒り。

私たちは、

感じたくないものを押し込めている時、
それを見ないで済むように「忙しく」するというパターンがあるのです。


静かにしていたら、心のザワザワが気になってしまうから。

心にスペースがあるのは、
余裕があって良いことのはずなのに、
それを避けてしまう。

この方も、
「不快な気分」を手放してしまったら浮上してくるであろう、

他の「何か」を見たくなかったのかもしれません。

だからこそ、

不快な気分や悩みを探しては、

心の隙間を埋めておくのが「いつものパターン」だった。

それは何十年も続けていた、染み込んだ行動だったのですから、
そこから抜け出るのは、すごく大きな変革です。

ある意味、「事件」です(笑)


でも、それが起きるときには

「あれ?いつの間にかそうなってる…」

と思うくらい自然なのです。


不思議なものですね。


セッションで私に指摘されてようやく
「言われてみればそうだ」
と気づく方もいます。

自然にできるようになってしまった分、
変われたことに実感がなく、
気づかぬうちに「別の問題」に視点が移行してしまっているのです。

 

 


身体の症状もそうです。

 

例えば、
「熱が出ている、頭が痛い」と訴えていた人が、

 

しばらくすると
「おなかの調子が悪い、気持ち悪い」とだけ訴えてきます。

ところで、
最初の熱や頭痛はどうなったのでしょう??

確かめてみると
「熱は下がった、頭痛は良くなった」と言ったりします。

そうならば、

まず、「最初に困っていたことが良くなった」ということに注目しなければなりません。

でも、そこは「症状が消えるのが当たり前」で、

良くなったとたんに「どうでもよいこと」になる。

そしてすぐに「他に困ったこと」を探し始める。

ずっと「困った困った」と言い続ける人には、そういう方が多いのです。


私たちは「問題を見続ける」のが好きなんですね…きっと(笑)



それでも、
何かにひとつ気づくと、
芋づる式にそちらに流れていきます。

あれ?
これも?
…あれも?それも??


そんな芋づる式の連鎖反応が起きるのが、
「アハ体験その後」
というわけです。

芋づる式連鎖反応は、しばらく続きます。

その間は、何にもしなくてもそれは起こりますから、

「何にもしない」を心がけてください。


くまのプーさんになりましょう。


実は結構、難しいんですよ(笑)

プーさんて、すごいですね。

 

 

みなさんも心がけてみてください。

 

 

(画像はネットよりお借り)

 





 


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自分を変えていこうと思って、

色々一生懸命取り組んでいても、 


なかなか「突破」できないなぁ・・・、 


と感じている人は多いかもしれません。

 

 

それでも取り組み続けるしかない、
というのが厳しいところなのですが、

 

そんな中で、それはある日突然やってきます。

 

ふとしたきっかけで、 


『気づきが波のように押し寄せるタイミング』

 

があるのです。

 

 

今まで色々と取り組んだり、

学んだりして得ていたものは、

点々とあちこちに散らばったようになっていた。

 

それがとあるタイミングで全部繋がり、
電気が走ったような衝撃が走る。

 

「そうか、そうだったのか!」 


と、色んな事が腑に落ちます。

 

それはすごくすっきり、
ストーンと腑に落ちて、
感動する出来事です。

 

「アハ体験」みたいですね(笑)

 

 

…と同時に、
今まであれもこれも(あの時やその時に)
聞いたり言われたり学んだりしていたのに、


「なんで気づかなかったんだろう~・・・」 


と、ちょっと悔しいような、
愕然とするような、
自己嫌悪にも似たような感情も生まれてきます。

 

自分のパターンをなかなか変えられなかった、ということがあればあるほど、 


そのカラクリに気づいた感動と、
「今まで変われなかった」という悔しさとが同居して、

 

「まだまだわかって(できて)いなかったんだ…」

 

と、複雑な気持ちになるかもしれません。

 

 

 

でも、それでいいんです。
それが、人生なのです。
みんなそうなのです。

 

 

人生は、螺旋階段のように進んでいくもの。


ぐるぐる同じ場所を回っているかのように見えることが定期的に起こります。

 

でも、よく見渡すと、前とは何かが違うはず。

 

学んできているからです。

 

それでも歩みを止めないで進んでいくことで、
またそのうち人生の「アハ体験」がやってくる。

 

 

と同時にちょっと愕然として、
また取り組んで(進んで)いく。


一度に全部はできないから。

 

 

 

私たちは、実は困難を乗り越えながら何かを学ぶためにこの世界に来ているので、
いっぺんにわかって楽に頂上まで行けてしまったら、


「つまらない」


のです。

 

 

いや、そんなことない!早く片付けたいもん!

 

という気持ちはわかりますが…、
魂はそうではなかったりします(笑)

 

ゲームにもステージが何個もありますよね。


簡単なところだけでゲームが終わったら
「つまらない、やりがいがない」
と思うでしょう。

 

「もうちょい難しいやつやりたい」


と思うはずです。

 

それと同じなのです。

 

 

だから、「アハ体験」は、
ステージを一つクリアしたようなもの。

 

「まだあった〜」
「ここが問題だったのか」


というのは、
次のステージの「課題」です。

 

それに気づけたことが素晴らしいことなのです。

 

 


…というわけで、

アハ体験を通過したら、
次のステージを楽しみながら進んでいきましょう。

 

宝探しゲームみたいに楽しめるようになったら、


あなたの頂上はもうすぐかも…しれませんねウインクキラキラ

 

 

 

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