ヒーリングルーム Angel touch

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ヒーリングルームAngel touchのブログです。
【より善く生きるためのヒント】
として、
癒しのステップに役立つヒントを綴っていきます。

 

いつも当ブログをお読みくださりありがとうございます。

 

皆さま、お正月はいかがお過ごしでしたか?

あっという間に1月も後半になろうとしていますね。

 

昨年から家族の介護などもあり、

なかなかブログをゆっくり書く時間が取れず、

時々の更新になってしまっておりますが、

今年もできるだけ皆さんのお役に立つ記事をアップしていきたいと思います。

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

さて。

今回は

「スピリチュアルに間違った形でハマらない」ための視点、

第三弾です。

 

私が今の仕事を始めたのは20年近く前のことですが、

その頃はまだまだスピリチュアルな話題や言葉は抵抗を感じる方も多い世の中でした。

 

昨今はスピリチュアルな知識や考え方を普通に話せる世の中になり、それはとても良いことだと感じています。

「エネルギー」とか「魂」という話題だけで「アヤシイ」と言われるような風潮だったことを考えると、驚くべき変化だなという印象です。

 

スピリチュアル関連の言葉が当たり前に使われるようになり、

クライアントさんがご相談に来られた際にも、

色々なことがだいぶ説明しやすくなりました。

 

一方で、

スピリチュアルな言葉だけが独り歩きし、

意味を勘違いされている方も多い、という面もあります。

その勘違いを修正して再認識していただくのに苦労するシチュエーションは増えました(苦笑)

 

 

その中の一つは

「スピリチュアルな知識を自分を卑下したり否定するために使ってしまう」

という状況です。

 

例えば「世界は自分が作っている」という話。

 

これはこのブログでも何度も書いています。

確かにこの世界は映し鏡です。

自分の心の中が映し出された世界であり、

自分で創っている世界です。

 

しかしこの考え方は、

苦しい出来事や辛い出来事があった時に

「私が創っているんだから仕方がない、

私が望んでいるんだ、私が悪いんだ」

と考えるためのものではありません。

 

そんな考え方は一番してはいけない思考なのですが、

なぜかそういう風にこの知識を使っては、

自分を責め続けている方が多いのです。

 

あるいは引き寄せの法則。

嫌なことや辛いことが起きた時に

「これは私が引き寄せたのだから仕方がない」と考える。

 

誰かに意地悪をされたりひどいことを言われた時に

「過去世で私がそうやったからやり返されたのだ」とか

「私がそういう意地悪な人間だということなのかも」

と考える。

 

残念ながら、そういうことではありません(苦笑)

 

 

(使い方間違えとるで)

 

 

 

スピリチュアルな知識は、

自分がより良くなるため、

より幸せに生きられるようになるために活かすものです。

 

目の前にある現実は変えていくことができるし、

自分自身も変えていくことができる、

ということを顕現するために使うものです。

 

決して自分を追い詰めたり卑下したりするために使うものではありません。

 

しかし、いつのまにか勘違いして、

自分を責め続けてる材料にしている人が多いのは、

まだまだ私たちの本質的な理解が足りず、

精神的な成長度が足らないということなのかもしれません。

 

特にヒーリングなどを学んでいるヒーラーさん、

セラピストさんにその傾向が多いと感じます。

ヒーリングに興味があるということは、

「修行中」ということですから、

勘違いも起こりやすいのかもしれませんが…。

(これもなぜかそういうものを学んでいる人の方が「上」みたいに勘違いしている方、多いですが、大きな間違いです)

 

 

そもそも、

自分と仲良くできない人が、

現実をうまく創造できるでしょうか?

そんなはずはないですよね。

 

それを伝えているはずのヒーラーやセラピストが、

うまくいかないことがあると自分の知識をフル活用して自分を責め、さらに自分がうまくいかない方向へと自分を押しやってしまうなんて、おかしな話だと思いませんか?

 

今、もし何かうまくいかないことがあるのであれば、

それは自分を大事にできるようになるために起きている出来事であって、

「こんなことが起こるのは自分がそれを望んでいるからだ」と、

薄い笑顔でがんじがらめになるために起きているのではないのです。

 

それは完全に「使い方」を間違えています。

 

嫌なことは嫌だと言い、

自分を尊重してくれない人からは離れて、

怒るべき時には怒って自分を護らなければ、

健康な心の持ち主とは言えません。

 

 

現実は修正ポイントに「気づくため」にあるもの。

気づいたら変えればいいだけ。

ただそれだけなのです。

そこに甘んじろと言われているのではないのです。

スピリチュアルな知識は、その変え方を知るために使うものなのです。

 

もちろん、無意識の抵抗や葛藤があり、

変えるのは難しい面もあります。

でも、そこにも気づいていき、

変えていければ良いのであり、

「自分で引き寄せているんだから仕方がない」と

あきらめるのは、大きな間違いです。

 

しかし、私たちは、

一度「これはこういうことだ」と思い込んでしまうと

どうしてもそこに戻ってしまいがちです。

 

わかったつもりでもつい、

自分を責める思考へと戻ってしまいます。

 

だからこそ、その癖に気づけるようにしておかなければなりません。

 

 

 

(ナニカが違うんだニャ)

 

 

 

 

もう一つ、

ちょっと複雑ですが、

自分を護るために皆さんに知っておいていただきたい状況があります。

 

自分の方があなたよりもレベルが「上」だと思っているような人が、

自分の問題をあなたの問題にすり替えて、

あなたに罪悪感や自信のなさを植え付けようとしていることに気づいたら、

その人からはできるだけ早く離れてください。

 

 

スピリチュアルな学びを進めていき、

「自分はわかっている」という意識が芽生えてしまうと、

自分の問題を受け止めるのを避けるようになる傾向があります。

 

特にそれを自分より「格下」だと思っている人

(本当は上も下もないのですが)に指摘された時、

 

それを受け入れたくないが故に

今まで培ってきた知識やスキルを巧みに使って

「それはあなたの問題を私にぶつけているのだ」と、

問題を相手の問題にすり替えることがあるのです。

 

そこにあるのは恐怖と不安、自信のなさです。

それを認めるのが怖いので、

「私の問題ではない」ことにしたい、という現象が起こります。

 

もちろん、本人はそんな状況だとは考えていません。

本当に相手の問題だと思い込んでいるのです。

 

だからこそ、

もしもその現象を見たら、

その人からは離れなければなりません。できるだけ早く。

 

このような段階に来ている人は非常に巧みであり、

その人の問題をあなたが代わりに背負わされることになってしまうからです。

 

忘れてはいけないのは

誰でもそれを「やる側」「やられる側」、

どちらの立場にも立つ可能性があり、

だからこそ、誰もが注意しなければならないという点です。

 

特にヒーラーやセラピストの方々はこういうことがないように、

クライアントに対して自分の問題を投影しないよう気をつけていなければなりません。

 

なぜならこれは

「ヒーラーとして絶対にやってはいけないこと」だからです。

 

そしてこういった状況は、

前半に書いた

「スピリチュアルな知識を自分を卑下したり否定するために使ってしまう」

という現象を引き寄せることにもなりかねません。

 

だからこそ、

どんなにすごい人(すごそうな人)から言われたことであっても、

自分を卑下したり否定したりする思考に関しては

 

「本当にそうだろうか?」

 

と、冷静に見つめ直して欲しいのです。

 

 

繰り返しますが

スピリチュアルな知識は、

自分に優しくなるため、

自分自身や自分の人生をより良くするために活用するものです。

 

スピリチュアルな知識によって自分を責めたり、

追い詰められていると感じた時には、

「その使い方は間違いである」と気づいてください。

 

そんな風になってしまうくらいなら、

スピリチュアルな知識にこだわらない方が良いのです。

 

私たちは幸せに、自分らしく生きていけるようになるために、

様々な経験をして学んでいるのですから。

 

あなたが学んだスピリチュアルな知識が、

あなたの人生を豊かにするために活用されるものでありますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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~いつもお読みくださる皆さま、

 シェアしてくださる皆さま、本当にありがとうございます~

 

 

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2026年がより良い一年でありますように☆

 

 

 

 

いつも当ブログをお読みくださりありがとうございます。

 

流行っておりますね~インフルエンザ。

 

発熱や風邪、インフルエンザについては何度か記事にしていますが、改めて大事なことをお伝えしたいと思います。

 

まず、

みなさんに忘れないでほしいのは

「体に必要のない熱は出ない」という真実。

 

身体は自分の生体の強さや状況に応じて必要な高さを出しているのであり、よほどの理由がない限り無理やり下げて良い熱などありません。

 

そもそも熱を悪者にし、

すぐに下げなければならない、

高熱になってはいけないとするのは誤った知識です。

 

無理に下げるようなことをすれば

免疫力は下がり、かえって長引きます。

身体に熱が必要ならば、

薬で下げたとて再び上がりますが、

それは悪い現象ではなく身体に必要だから起こっているものです。

 

しかし無理に熱を下げ、また上げるという動きをすることで

急激に体力が奪われ、結果として「病気と闘う力」が減ってしまいます。

その結果、当然ですが治りにくくなります。

バイキンを煮沸消毒しようとしているのに

沸騰させなかったらバイキンはなかなか死んでくれませんよね。

 

それと同じです。

 

 

熱は悪者ではありません。

むしろ熱を出せることは身体にとって素晴らしい反応なのです。

 

そしてインフルエンザは特別な病気ではありません。

風邪です。

重い持病があるなど、特別な事情がない限り、

普段元気な方は1週間寝込む覚悟をすればいいだけ。

 

たまには身体が大掃除をしている、と考えればいいだけ。

 

やむを得ない事情があって薬を摂るのだとしても、

薬が病気を治すわけではないことをしっかりと認識しておきましょう。

 

そして体の症状をむやみに薬で抑圧すれば、

別の場所(精神感情面)に影響を及ぼします。

特に急激に症状を抑え込む強い薬を飲んだら、それだけ悪影響が怒るのは当たり前。

 

抗インフルエンザ薬を飲んで飛び降りた人のニュースを見たことがあるはずです。

そのため、

「薬を飲ませたら子供から目を離さないでください」

と言われたりします。

 

そんなリスクを背負ってまで薬を飲ませる必要があるでしょうか?

 

薬を摂ることで何をしようとしているのか、良く考えましょう。

 

自分が欲しい結果とは真逆の結果をもたらす行為なのかもしれないのですから。

 

インフルエンザや高熱を怖がるのは、 

病気と体についての知識がないからです。

風邪を引いた時のプロセスを知らず、

身体や病気に関する知識を身につけないでただ怖がっているから

薬に頼ろうとするのです。

 

インフルエンザは、そんなリスクがある薬が必要なものではありません。

お子さんがいる場合、お母さん方は脳症やけいれんを心配しますが、無用な薬を飲ませて無理に熱を下げようとすればそのリスクは上がります。

脳炎や髄膜炎は解熱剤が影響しているという論文もあります。

薬を飲んで症状を抑えても、

総合的に見て身体にとって良いことが起こるわけではないのです。

むしろ免疫力が下がり、

その後も風邪を引きやすくなったり、

別の病気にかかりやすくなるリスクが高まります。

 

それが事実です。

 

それでも良いと思うなら、

薬を使って積極的に治すので良いと思います。

 

 

(寝るのが一番!)

 

 

 

 

さて。

そもそもこんなに大流行しているのはなぜだと思いますか?

多くの人の免疫が下がっているからです。

 

やたらにあれもこれもワクチンを打ち、

打つたびに実際には自分の免疫力を下げている。

(自分の免疫力を下げてまで打つ必要があるものかどうか、

よく考えましょう。)

 

でも、それでもあなたの体は文句ひとつ言わず、

なんとかより良くなろう、より強くなろう、

身体の中にある毒素をできるだけ排出して、健康になろうとします。

 

その結果、熱を出すのです。

 

熱で不要なものを燃やし、体の大掃除をしようとしています。

 

もちろん、大掃除はエネルギーがなければできません。

だから、高熱を出せる人はエネルギーがある人なのです。

大掃除をするエネルギーがあり、

体をより良くしようとするエネルギーがある人なのです。

その力ない人は高熱は出せません。

 

それを知っただけでも、

高熱が出たらまず身体に感謝できるのではないでしょうか?

 

 

あなたができることは免疫力を上げること。

熱が出たら体に感謝すること。

余計な薬を飲まずに治癒力を尊重して治すこと。

 

休むことを避けようとせず、

身体がそうなった時には

「休まなければいけない時」なのだと受け入れましょう。

 

あなた以外に、あなたの身体を守れる人はいないのです。

 

ぜひ、以下の記事を参考にしていただき、

熱や風邪についての知識をブラッシュアップしてくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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~いつもお読みくださる皆さま、

 シェアしてくださる皆さま、本当にありがとうございます~

 

 

 

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(クリスマスだニャ)

 

 

いつも当ブログをお読みくださりありがとうございます。

 

 

 

今回は、私たちを日々悩ませている思考についてのお話です。

 

私たちの中から湧いて出てやまない「思考」。

意識しているしていないに関わらず、

私たちは常に何かしら考えており、

その思考が、目の前の現実を判断し続けています。

 

それがまるで真実であるかのように。

 

もし、あなたの脳内を支配する思考が幸せなものならば、

問題は何もありません。

 

でも、それがストレスになる思考であれば、

あなたはそれによって自分の世界を幸せではないもの、

不幸なものだと認定するようになる。

 

 

あの人はこうだ、私はこうだ

これがあるから私は幸せではない

あれがあるから心配だ

私は(あの人は)こうあるべきだ

こうするべきだ

などなど。

 

それが真実であるかどうかにかかわらず、

私たちの脳内を支配している「その思考」が、

私たちを苦しめていきます。

 

ではもし、

その思考が全くなかったら?

 

そんな考えは、あなたの中に1ミリも存在しなかったとしたら?

 

あなたはどうなれるのでしょうか。

 

 

 

(アタシはネコだという思考がなかったら…)

 

 

 

バイロン・ケイティのザ・ワークは、

シンプルな問いかけにより 

私たちが「本当だと思い込んでいる思考」について探求するワークです。

 

あなたがもし、苦しんでいて、

その苦しみから解放されたいなら、

それについて探求することができます。

 

状況や相手を変えるのではなく、

自分の思考の探求によって、視点を変え、

内側に起こる気づきが自分自身を穏やかにしてくれるワークです。

 

 

 

それは本当でしょうか?

 

それが本当だと信じている時、

あなたは自分をどのように扱うのでしょうか?

 

その思考がなかったら、あなたはどうなりますか?

 

 

 

内側にあるその思考を探求すると、

想いも書けない気づきを得られます。

 

本当の問題はそれではない、

と気づけるのです。

 

 

ケイティは、

目の前に拳銃を突きつけられた時でさえ、

その問いかけができると言います。

 

「その時、問題はどこにあるのか?」

「ここ(マインド)です」

 

 

 

 

私たちが誰かや何かに対して

「それが問題なのだ」とするのは、

私たちがそのままでは幸せでいられないからであり、

心穏かに自分の人生を生きられないからです。

 

しかし本当は「それ」が問題なのではありません。

現実そのものではなく、

それに伴う「心の状態」が問題なのです。

 

 

私たちは自分が持っている恐怖や不安を基にして、

未来にその恐怖を投影します。

 

「こうなるに違いない」

「こうなったらどうしよう」

 

それが「起こる」と決まっていないのに、

そうであるかのようにあなたは頭の中で「計画」を立てて、

まだ起きていないことに対して「どうしよう」と、盛り上がります。

 

こういう書き方をするとなんだか滑稽に感じますが、

私たちは誰もがそれをやっているのです。

 

 

既に起きてしまった現実でさえ、ケイティは問い直します。

 

「それは本当ですか?」と。

 

大切な人が亡くなった

ガンになった

パートナーが去ってしまった

両親は私を虐待した

あの人は私を傷つけた

 

 

それが真実だと信じている時、

私たちの内側はどうなっていて、

自分をどのように扱うのでしょうか。

 

少なくとも、私たちはそれによって苦しみます。

自分を「苦しんでいる人」として扱います。

 

ワークをしていくと、

自分がなぜそれを握りしめてストレスでいっぱいになっていたかに気づいていきます。

 

すると苦しみを愛に置き換えることが可能になるのです。

 

 

 

 

ザ・ワークは、真実だと思い込んでいた思考を反転させて

自分のことや反対の内容に置き換えてみることで、

新たな視点に気づくことのできるワークです。

 

ただし、そのプロセスには、

苦しみを握りしめていたアイデンティティを手放す

というプロセスが含まれます。

 

私たちは苦しみながらも、

「その苦しみを抱えている自分」を大切に生きていたのです。

 

「私は辛い」という自分、

「私は〇〇を憎んでいる」という自分、

「私は自分が嫌い」という自分。

 

それは辛いことではあるけれど、

一方で自分自身を形成してきたアイデンティティです。

 

それと共にいることで、私たちは必ず何かを得ていたのです。

 

それがあるから私は辛い、怒っている、自分が嫌い、

という、

「その感情を持ち続けられる理由」をそこに留めていたのです。

 

思考を切り替えるには、

そのアイデンティティを手放す勇気が必要です。

 

だからこそ、ケイティはその人に寄り添い、

無理やり思考を変えようとさせたりはしません。

 

とても優しくそのプロセスに寄り添い、

ただ置き換えをすることで

自らが自分を苦しめていた思考を手放せるきっかけを得ていくのです。

 

 

(苦しみは悪者ではなくて

 真実を知るためのきっかけだニャ)

 

 

 

あなたが「苦しみから解放されたい」と願うなら、

 

何かにストレスを感じていて、

それでも幸せになりたいと願うなら、

 

何かを変えなければなりません。

 

しかしその「何か」は、

外側の誰かや何かではありません。

 

私たち自身の内側なのです。

 

自己否定や自己憐憫ではなく、

ただ、あなたを苦しめているその思考を、

思考だけを手放せたら?

 

今までとは全く違う景色が広がります。

 

恐怖や不安に生きなければ、現実は贈り物だと、

ケイティは言います。

 

「すべての苦しみは過去のもの」

 

それを受け入れられた時、

私たちはありのままの現実を愛せるようになります。

 

「私はすべての自分の苦しみに感謝しています。

なぜならそれらが私をここまで連れてきてくれたから」

 

ケイティのこの言葉は、

苦しみを抱えるすべての人への贈り物です。

 

苦しみを否定するのではなく、

自分を否定するのでもなく、

新しい視点でその景色をみられた時、

私たちの現実は「自分が思っていたよりも優しい」のです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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~いつもお読みくださる皆さま、

 シェアしてくださる皆さま、本当にありがとうございます~

 

 

 

 

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(大室山からの眺め)

 

 

 

 

 

 

 


 

いつも当ブログをお読みくださりありがとうございます。

 

 

 

今回は言葉の持つ力についてのお話です。

 

これまでも何度か記事にしたことがありますが、

これからの時代は特に大事な、皆さんにもっと意識してほしい内容なので、改めてお話したいと思います。

 

 

あなたは今、頭の中で何を考えていましたか?

今日1日、あなたの思考はどんな言葉で作られていたでしょうか。

 

考えているということは、

言葉にしているということ。

その言葉は行動の基盤になります。

 

私たちは普段、何気なく言葉を使っています。

自分がどんなエネルギーの言葉を使っているかに対して、非常に無自覚です。

 

しかし、私たちの現実は、

私たちが日々思考している言葉によって多大な影響を受けています。

 

その事実を、みなさんはどれくらいご存知でしょうか。

 

 

 

こちらはマザーテレサの有名な言葉ですが、

紛れもない重要な真実を語ってくれています。

 

思考は言葉になり、言葉は行動になり、

行動は習慣になり、習慣は性格になり、性格は運命になる。

 

 

つまりまずは思考に気をつけなければならないのです。

 

思考は言葉によって形成されます。

私たちは自分の思考=言葉を24時間聞いて生きています。

 

つまり自分の言葉に一番影響を受けるのは自分自身なのです。

 

だからこそ言葉には気をつけなければなりません。

 

以前ご相談に来られた方で、

非常に重い病気にかかっていた方がいました。

 

その方は安眠できないと訴えていたのですが

「寝る前にその日一日の出来事を思い出し、

自分の行動を「反省」しながら眠りにつく」

と言ったのです。

 

私はその話を聞いて

「今日からそれを辞めて、二度とやらないでください」

とお伝えしました。

 

安眠などできるはずがありません。

眠る時に考えているということは、

寝ながらずっと反省会をしているのと同じだからです。

 

 

さて。ここまで読んでくださったあなたは、

 

「それじゃあ重い病気になるのも当然だよね」

 

と思いましたか?

 

でも、ここまで極端ではなくとも、

あなたも似たようなことをやってはいないでしょうか?

 

寝る時とは限らないのです。

日中、暇さえあれば自分を責めていたり、

自分の嫌なところばかりを考えたりしていないでしょうか。

 

この人のことをあれこれ言えない状況は、

あなたにもある可能性があります。

 

それはあなたがあなた自身を貶め、

自分をそのように仕向けているのと同じであり、

あなたが病気になる原因となっているかもしれないのです。

 

 

 

 

(アタシなんかどうせネコじゃないのよ)

(十分ネコだよ)

 

 

他人に対する悪口や恨み節でさえ、

実際にはまず自分自身が聞いています。

 

つまりそれは自分自身に言っているのと同じになります。

 

「人を呪わば穴二つ」とは、そういうことです。

 

もちろん、表面的なポジティブシンキングは

本来の自分自身との乖離現象を起こしてしまうので、

無理にポジティブになろうとするのはお勧めできません。

 

しかし一方で、

ネガティブな思考や自分や誰かを責める言葉をリフレインするのは、あなた自身への刷り込みとなります。

 

その言葉の力をあなどってはいけません。

そんなつもりはなくても、無意識に刷り込んでいる可能性は十分にあります。

 

そうやって知らず知らずのうちに自分に呪いをかけてしまうことも多々あるという事実を、私たちは認識しなければなりません。

 

 

謙遜についても同様です。

謙遜は美徳と言われますが、

「わたしなんか」と、自分にネガティブな言葉をかけるのは美徳ではありません。

 

本来の謙遜は、自己否定とは異なります。

謙虚に自分を見つめることは大事ですが、

否定や自分を貶める意識とは異なるという理解が大事です。

 

 

 

 

(自分を下げてはいけませぬ)

 


 

言葉の力が影響を与えるのは、

当然ながら自分自身だけではありません。

自分が発した言葉を受けた他者も影響を受けます。

 

特に気をつけなければならないのは子どもに対してです。

 

親でなくとも、祖父母や教師など、

子どもと接する機会の多い人は特に注意が必要です。

 

投げかけたのはたった一度であっても、

強烈にその子の思考の中に刷り込まれる場合もあるからです。

 

かわいくないね

かわいそうだね

どうせ似合わない、どうせできない

あなたにはムリだ

うまくいくわけない

 

などなど、

 

私たちが無意識に発する何気ない言葉で、

子どもは一瞬で傷つき、その言葉のエネルギーに引き込まれます。

そして彼らの潜在意識には「自分はそうなんだ」と刷り込まれてしまいます。

 

冷静な判断力が未熟であるほど、その刷り込みは大きくなります。

 

そしてそれが、その子のセルフイメージに大きな影響を与えてしまいます。

「私はかわいくないんだ」と刷り込まれた場合には、

「かわいくない」とされる現実を引き寄せることになります。

 

「かわいそうに」と何らかの形で言われた子どもは、

「自分はかわいそうなんだ」という認識で世界を見るようになってしまいます。

 

それが真実かどうかは関係なく、

そのように世界を見てしまうのです。

 

大人である私たちは、

子どもたちに対してどれだけ大きな影響力があるかという点を肝に銘じておかなければなりません。

 

 

 

(あなたは犬デス、犬デス…)

(うそやん)

 

 

だからこそ、

子どもに対する言葉がけには気をつけなければなりません。

 

まず大前提として、

否定形を使わず、肯定的な言い方で簡潔に伝えること。

 

そしてできるだけネガティブな刷り込みしない、という意識を持つこと。

主観的でネガティブな言葉がけをしていないかどうか、

常に意識的になってください。

 

言葉と行動の一致も大事です。

「好きにしていい」と言いながら、

実際に子どもが好きなように振る舞うと叱ったり、

不機嫌そうにしたりしていませんか?

 

これは「ダブルバインド」といって、

子どもの精神面の形成に非常に悪影響を及ぼすコミュニケーションです。

 

統合失調症の原因の一つは、

親や身近に接する人からのダブルバインドです。

ダブルバインドを受け続けると、脳が混乱してしまい、

相手の態度の意味の判断ができなくなります。

 

「いいよ」といわれても「良くない」と言われたような態度を取られるため、どういうことなのかわからなくなり、

相手の言葉を信じられなくなり、

自分がどういった態度を取るのが正解なのかわからず、

不安の増大や思考力の低下を招いてしまいます。

 

もし自分が「ダブルバインドをしているかもしれない」と気づいたら、言動に意識的になってください。

 

そして自分の内側に解決できていない心の問題があり、

それを子ども(相手)に投影しているかもしれないという点に気づいてください。

自分の感情的な問題に取り組む方を優先しましょう。

 

自分の言葉がけの影響で子どもを病気にしたりはしたくないはずですものね。

 

 

 

(キミはスーパーマン!

 元気があれば、なんでもデキルゾ!)

 

 

 

このブログを読んでくださっている方にはおなじみのアドバイスですが、


私たちは常に

「どうだったらいいのか」という

「欲しい結果」に意識を向けるように心がけることが大事です。

 

あなたは、

あなた自身や、あなたが接する子どもたちがどうであってほしいでしょうか?

自分自身や大事な子どもたちに何を与えたいですか?

 

より良い未来を引き寄せたいなら、

後悔や自己嫌悪や、ネガティブな思考に浸っている暇はないのです。

 

辛いことや嫌なことを感じてはいけないのではなく、

それはそれとして受け入れた後に、

切り替えて、

 

「では、どうだったらいいのか」

「次はどうすればいいのか」

 

という点を、肯定的な言葉で考える習慣を身につけることが大切です。

 

 

言葉はものすごくエネルギーの強いツールです。

良い魔法にもなれば、呪いにもなります。

ギフトにもなりうる一方で、暴力にも虐待にもなります。

 

言葉の力で自分の世界に呪いをかけてしまわないように、

言葉の使い方に意識的になりましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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~いつもお読みくださる皆さま、

 シェアしてくださる皆さま、本当にありがとうございます~

 

 

 

 

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(秋も深まってまいりました)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも当ブログをお読みくださりありがとうございます。

 

あなたは今、どこかに「痛み」を抱えていますか?

 

普段からどこかに痛みを抱えやすいですか?

 


痛みを抱えている人はたくさんいます。

ケガだけでなく片頭痛、生理痛、腹痛、、、色々ありますよね。

 

痛みをどうケアするか、

どうしたら早くなくすことができるか、というのは

多くの人にとって大きな課題です。

 

 

今回はそんな「痛み」の本質を探るお話です。

 

 

 

(痛いの痛いの飛んでけ~)

 

 

 

痛いのは辛い。嫌だ。

 

当然ですよね。

 

好きで痛みを抱えている人はいないでしょう。

 

だからこそ人は

「痛みをできるだけ早く消し去りたい」と考えます。

 

しかしその想いとは裏腹に

「痛み」はなかなか私たちの目の前から去ってくれません。

薬を飲んでも効かなかったり、

すぐにぶり返したり、

やっと治まったと思ったら今度は別のところが痛くなったり。

 

しかも

病院に行っても原因が分からない、

「明確な理由がない痛み」もたくさんあります。

 

だからとりあえず鎮痛剤を処方される。

(効くかわからないけど)

 

四肢のどこかを切断して、

既に肉体はないのにそこの部分の痛みが続く、

という現象もあります。

 

痛みは明確な場所がなくても生じるものなのです。

 

一方で病気が重くても「痛みはない」という方もいます。

末期がんでも痛みがない人もいます。

 

ケガをしていてもアドレナリンが出ていて、

痛みを感じないでいられる場合もあります。


一体、痛みとは何なのでしょうか?

 

 

(痛いからもう何も出来ないヨ)

 

 

 

 

まず言えるのは、

痛みは体が持つ大事な機能である、

ということ。

 

もし私たちが全く痛みを感じなかったら大変なことになります。

先天性無痛無汗症という病気もあるくらいです。

 痛みがないと「加減」がわかりません。

そのため頻繁にケガをします。

少々のケガなら良いですが、

痛くないので無謀な行動をしてしまい、命の危険に繋がります。

 

痛みは体を守る大事な機能なのです。

 

痛みがあるから、私たちは「何かがおかしい」と気づけます。

痛みによって

「そこに何らかの不具合がある」と、教えてもらえます。

 

痛みがあるからそれ以上やるのをやめたり、

休んだりするしかなくなります。

 

「自分を守るためにこれが一番役立つ」と、

本当の自分がわかっているから、痛みを使うのです。

 

つまり、

私たちにとって、痛みはなくてはならないものなのです。

 

 

  

(これはアタシにとってなくてはならないものデス)

 

 

 

 

痛みがある場合、体の何処かに異常があるのが通常です。

しかし、身体には特に異常がないのにもかかわらず、

酷い痛みや慢性的な痛みに悩まされる場合もあります。

 

胃が痛い、胸が痛い、苦しい、ガンなのではないか、と、

不安にかられて病院に行ったら

「どこも悪くありませんよ」と言われた、という方もいます。

 

このような場合、

その人は安心すると同時にその結果に不満を持ちます。

こんなに痛いのにどこも悪くないはずがない、と思うからです。

 

その結果、「原因」を求めて病院をあちこち回る人もいます。

 

 

確かに「どこも悪くないはずがない」というのはその通りです。

でも、それは肉体ではありません。

肉体を調べてもわからないのは当然です。

 

痛いのは本当は身体ではなく、心です。

心の中にそれくらい痛みがあるのだ、と、

気づかない限り、

その痛みは良くなりません。

 

 

痛みの本質とは、

自分自身との間に起こる「ねじれ」です。

 

内側にいる本来の自分自身と表面にいる自分が真っ直ぐ繋がっておらず、ねじれてしまっているのです。

そのねじれが「痛み」となって現れます。

 

どこが痛いにせよ、それが痛みの本質です。

 

でも私たちはその「ねじれ」を見たくないのです。

だから余計に痛みが増すのです。

 

 

(…ねじれてます?)

 

 

 

 

痛みは私たちに何かを訴えています。

そうでなければ痛みが起こることはありません。

 

だからこそ、

繰り返す痛みや慢性的な痛みを抱えているならば、

「自分は痛みによって何を表現しようとしているのか」と、

自問しなければなりません。

 

痛みがあると不安を持つことができます。

原因がわからなければなおさらです。

 

きっとどこか身体が悪いのだ、と思うことができます。

深刻な病気なのではないか、

死んでしまうのではないか、

そうやって不安で「盛り上がる」ことができ、

そして問題を「その痛み」にすり替えることができます。

 

痛いのが問題なのだ、と。

 

痛くなければ私は安心できる。

痛くなければ問題はなくなる。

 

でもそれは、です。

 

痛みがひどいなら尚更、

痛みが本当の問題ではないと気づかなければなりません。

 

あなたの本当の問題は、一体何でしょうか?

 

本当のあなたと、どこがねじれてしまっているのでしょうか?

 

 

 

 

(何だろニャ)

 

 

 

 

痛みには重要な役割があります。

 

◆痛みは、今ここへ、肉体へと意識を戻し、

グラウンディングを助ける

 

◆痛みは、心の痛みを教えてくれる

 

◆痛みは、これ以上無理をしたら危ないと教えてくれる

 

 

あなたが痛みの原因にたどり着かないなら、

その原因は心の奥深くに潜んでいます。

 

身体の原因にたどり着いたとしても、

そこがどうして痛いのかの本質は、心の内側にあります。

 

だからこそ、痛みを薬で消しても、問題は解決しません。

もちろん我慢できない時には

一時的に和らげるための薬も必要ですが、

心の内側が訴えているものを見ようとせずに薬だけに頼れば、

問題はどんどん深刻になっていきます。

 

やがては痛みだけでは済まない問題になってしまうのです。

 

 

痛みは敵ではありません。

 

痛みを悪者にせず、

痛みと向き合う姿勢を持ちましょう。

 

痛みはあなたを守ろうとしている、

大切な、愛すべき存在なのです。

 

 

 

(参考記事)

 

 

 

 

 

 

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(萩の花)