いつも当ブログをお読みくださりありがとうございます。
今回は、
「受け入れ難い現実」を抱えている人に参考にしていただきたいお話です。
誰でも、受け入れがたい現実を抱えることがあります。
誰でも、何らかの「思い通りに行かないこと」を抱えています。
身長、体重、容姿、家族環境、
お金、仕事、勉強、人間関係、
そして健康。
全て自分の理想通りに生きている人など、
ほとんどいないと言ってもよいでしょう。
「こうだったらよかったのに」といくら思っても、
そうはなっていない、ならないことは
誰にでもあります。
そして時に人はそれを
「深刻な悩み」として抱えます。
どうして私はこうなの?
どうしてあの人はこうで、私はこうじゃないの?
と。
私はこんな状況、望んでいなかったのに。
本当は、こうがよかった、ああが良かったのに。
どうしても受け入れられず、
そんな風に思った経験は誰にでもあるでしょう。
もちろん私にもあります。
でも、どんなに望んでも、現実はそうにはなりません。
事実を変えられないことも、この世界にはたくさんあるのです。
例えば私はとても背が小さいのですが、
いくら「もっと身長がほしい」「こんなに小さいのは嫌だ」
と思ったところで、現実はどうにもなりません。
「私は背が小さい」
それが事実。
その事実をどう捉え、どのように握って生きていくか。
それは私次第です。
深刻な悩みとして常に鬱々と「背が小さい」ことを悩み続けることもできます。
一方で「それはそれ」として受け入れ、
深刻な悩みとしては捉えずに生きていくこともできます。
どの問題も、それと似たようなものです。
そんな風に言うと
「背が小さいなんて大した問題じゃないじゃない、
私の問題はもっと深刻なんだから」
と思う人もいるかもしれません。
でも、実際にはあなたの悩みも他の人から見たら同じことが言えるのです。
誰かがあなたと同じ現実を抱えていても、
あなたのようには悩んでいない可能性があります。
「あなたの問題よりも私の問題の方が深刻だ」と思う人もいるかもしれません。
でもあなたにとってはとても深刻な問題。
背が小さいことも、人によっては人生を揺るがす大きな悩みになります。
(幸い私はそのようには思っていませんが。。。)
さて、あなたはどうでしょうか?
(この箱の中身は悩み?それとも…?)
「オランダへようこそ」というエッセイをご存知でしょうか。
「コウノドリ」というドラマでも紹介され一時期話題になりました。
これは1987年にアメリカの作家・社会活動家のエミリー・パール・キングスレイによって書かれた、「障がいのある子を育てる」ということについてのエッセイです。
「イタリアに旅行に行くつもりだったのに到着したのはオランダだった」
というメタファー(隠喩)を使ったメッセージになっています。
ダウン症をはじめとする障害を抱える子の母親や家族に向けたものですが、私はそれだけでなく、
「変えられない現実」を抱えて悩んでいる人全てに向けられたメッセージであると感じています。
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「オランダへようこそ」
エミリー・パール・キングスレイ
私はよく「障がいのある子を育てるのってどんな感じ?」と、聞かれることがあります。 そんな時私は、障がい児を育てるというユニークな経験をしたことがない人でも、それがどんな感じかわかるようにこんな話をします。
赤ちゃんの誕生を待つまでの間は、まるで、素敵な旅行の計画を立てるみたい。
例えば、旅先はイタリア。
山ほどガイドブックを買いこみ、楽しい計画を立てる。コロシアム、ミケランジェロのダビデ像、ベニスのゴンドラ。
簡単なイタリア語も覚えるかもしれない。
とてもワクワクします。
そして、何カ月も待ち望んだその日がついにやってきます。
荷物を詰め込んで、いよいよ出発。数時間後、あなたを乗せた飛行機が着陸。
そして、客室乗務員がやってきて、こう言うのです。
「オランダへようこそ!」
「オランダ!?」
「オランダってどういうこと?? 私は、イタリア行の手続きをし、イタリアにいるはずなのに。ずっと、イタリアに行くことが夢だったのに」
でも、飛行計画は変更になり、飛行機はオランダに着陸したのです。あなたは、ここにいなくてはなりません。
ここで大切なことは、飢えや病気だらけの、こわくてよごれた嫌な場所に連れてこられたわけではないということ。
ただ、ちょっと「違う場所」だっただけ。
だから、あなたは新しいガイドブックを買いに行かなくちゃ。
それから、今まで知らなかった新しいことばを覚えないとね。
そうすればきっと、これまで会ったことのない人たちとの新しい出会いがあるはず。
ただ、ちょっと「違う場所」だっただけ。
イタリアよりもゆったりとした時間が流れ、イタリアのような華やかさはないかもしれない。
でも、しばらくそこにいて、呼吸をととのえて、まわりを見渡してみると、オランダには風車があり、チューリップが咲き、レンブラントの絵画だってあることに気付くはず。
でも、まわりの人たちは、イタリアに行ったり来たりしています。そして、そこで過ごす時間がどれだけ素晴らしいかを自慢するかもしれないのです。
きっと、あなたはこの先ずっと「私も、イタリアへ行くはずだった。そのつもりだったのに。」と、いうのでしょう。
心の痛みは決して、決して、消えることはありません。
だって、失った夢はあまりに大きすぎるから。
でも、イタリアに行けなかったことをいつまでも嘆いていたら、オランダならではの素晴らしさ、オランダにこそある愛しいものを、心から楽しむことはないでしょう。
引用:公益財団法人日本ダウン症協会HPより
https://jdss.or.jp/info/to-family/
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ネコ(桜になりたかったニャ。。。)
桜 (ネコになりたかったな…)
私たちが「変えられない現実」について悩む時、
このエッセイにあるような、
「イタリアに行くはずだったのに気づいたらオランダだった」
「いくらイタリアに行きたいと願っても、オランダにいなければならない」
という状況に似ています。
私たちは、それを嘆き悲しみ続けることもできる。
不満を持ち続けることもできる。
イタリアに行った人を妬み、羨み続けることもできる。
でも、一方で
その現実から見える景色を楽しむこともできる。
もちろん、エッセイにもあるように、
オランダで過ごすことを受け入れられたとしても、
イタリアに行きたかった気持ちがなくなるわけではありません。
それはそうなのです。
だからといって、イタリアに行けなかったことを嘆き続けていたら、ずっとあなたの気持ちはふさぎ込んだまま、
オランダにいるからこそ味わえる良いことや楽しいことを受け取れずに、どんどん時間が過ぎていってしまうでしょう。
いずれにしても、
どんな風に過ごすか、どんな風にそれを受け取るか、
それはあなたの好きなように選択することができます。
それが私たちの人生です。
「そんなに簡単に切り替えられない」と思う方もいるでしょう。
もちろんそうかもしれません。
あなたの気持ち(辛さ)は、あなたにしかわからないのですから。
だから私は
「どうにかしてポジティブに見方を変えましょう」
と言っているのではありません。
自分の気持ちに蓋をしろと言っているわけでもないのです。
しばらくは泣いていても嘆いていても良いと思います。
前向きになれなくても良いと思います。
でもどこかの地点で
「どうにか前に進もう」と思った時に、
このエッセイを思い出して欲しいのです。
あなたが前を向いて進んでいこうとしたとき、
そこにはいくらでも助けになるものがある、
ということを覚えていていただけたら嬉しいです。
このブログも、
いつか、そんなときの助けになるものでありますように。
(前に進もう。)
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~いつもお読みくださる皆さま、
記事をシェアしてくださる皆さま、
本当にありがとうございます~
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(ネコの世界へようこそ。)





































