いつも当ブログをお読みくださりありがとうございます。
ここのところパニックアタックのご相談が続いたので、
今回は改めて
「パニックと葛藤」についてのお話です。
私たちは常に「選択」を繰り返しながら生きています。
(既に何度か話題にしています)
しかしその選択について、
うまく決められず、
あるいは割り切れず、
「どっちにするのか」
という葛藤のボルテージが上がリすぎてしまうと、
パニックを起こすことになります。
綱引きをしすぎて、
綱が引きちぎれるような状態です。
「あれも欲しいしこれも欲しい」
という葛藤もパニックの原因になりますが、
自分の気持を横に押しやり、
自分に与えられた「役割」や、
「こうでなければならない」という「義務」
を優先しすぎている葛藤もパニックの要因となります。
パニックの発作のことを「パニックアタック」と言いますが、
「そうしなければ(こうであらねば)」
という思いと、
「本当は嫌だ(そうはしたくない)」という、
抵抗する力とのあつれき(軋轢)が大きくなりすぎた時、
パニックアタックは起こります。
まじめな人ほど、
やりたくないことでも
「やらねばならない」
「やるべきである」
と考え、
無理やりにそれをやっています。
でも、無理やり頑張っていて、
そうやっていればいるほど反対側の想いが強くなることに、
気づけていません。
そして「できない」自分を許せないし、
「やらない」という選択ができません。
本当はやりたくないのに、
それを強いているのですから、
そのような状態が続けば続くほど、
自分の内側でそこに対する抵抗が強くなっていくのは当然です。
しかしそこに気づくことができず、
本当の自分(の状態)を受け入れられずにいると、
「もう頑張れない」というメッセージが
体の状態(体調不良)として表現されることになります。
「どうにかわかってほしい」という、
自分の内面(本当の自分)からの切実なメッセージです。
つまり、体に現れているものは、
その思いの「結果」でしかありません。
病気の重さ、症状の強さは、
「やらなければ」という思いと
「(本当は)やりたくない」という
相反するエネルギーの強さに比例します。
つまり、頑張りすぎている人、
自分に厳しい人ほど、
派手な症状、重い病気を表現することになります。
「これくらい体調が悪いなら、
できなくても(やらなくても)仕方ないよね」と、
自分が「できない(やらない)こと」に対して
納得できるだけの「強さ」の症状を出すわけです。
それくらい派手な症状でないと、
休むこと、辞めることを、
自分自身が「OK」にできないからです。
そのため、
自分に厳しい人ほど、
その厳しさに相当する症状を出さないといけなくなります。
言い方を変えれば
「それくらいの症状を出さなければ
休むことを自分に許してあげられない」
ということ。
…おかしな話だと思いませんか?
誰も「そこまでがんばれ」とは言っていないのですよ。
たとえ誰かがそのように言ってきたとしても、
それを「採用」しているのは、自分です。
(そんなことを強いる人の言うことは
本当は全く聞く必要はないのですから)
このような状態の人は、
自分に課したハードルが高すぎるのです。
その結果、
「死んでしまうのではないか」
と感じるような激しい症状を出すことになります。
その症状が恐怖を呼び起こし、
「死んでしまうかも」という恐怖で爆発してしまった状態、
これがパニックアタックです。
どうしてそこまで自分に強いるのでしょうか。
どうしてそこまでやらないと自分を認められないのでしょうか。
パニックアタックが起こるほどに葛藤している場合、
「そこまでやることで、
誰に何を認めてもらおうとしているのか」
ということを見つめる必要があります。
本当に必要なのは自分が自分を認めることですが、
それができないので、
外側の誰かや何かに代わりに認めてもらおうとしてしまっているからです。
(ピアノ弾けたら一人前になれるかニャ)
私たちは、なかなか素直になれませんし、
なかなか自分の弱さをさらけ出すことができません。
「そういうことを表に出すのは良くないことだ」
という刷り込みをされている場合には、
なおさらです。
実際には、
自分の気持ちを素直に認められるだけで、
パニックになる確率を大幅に減らすことができるのですが、
パニックに陥る人は、
自分が抱えているものをなかなか認められません。
そこには潜在意識下のジャッジが関係しているからです。
そんなことで愚痴を言うなんていけないことだ、
私はこんなことで弱音を吐くような人間ではない、
私は良い人でいなければならない、
・
・
・
などなど。
良い子、良い人でいることを強いていたり、
相手にどう思われるかを心配していたり。
そうなると、なかなか素直にはなれませんよね。
(ネコかぶりはやめよう)
この世界は自分自身が作っている、
という話をよく書きますが、
それは「とある設定の世界線を選んでいる」
とも言えます。
あなたが選んでいる世界線は、
どんな世界線なのでしょうか?
実際にはあまり気づいていないことが多いのです。
『世界なんて、こんなものだろう』
と思って、
「当たり前」に思っていることもたくさんあるからです。
重い病気になるまで休んではいけない、
病気にならなければ自分を優先できない、
と、心の奥で思っていたら、
あなたのいる世界線はそのようになる、
ということです。
私たちはたくさんの「当たり前」を抱えているので、
本当に「ごく当然」と思ってしまっていることほど、
なかなか気づけません。
そしてその「なかなか気づけないもの」こそが、
私たちを病気に至らしめるものなのです。
「辛いことを受け入れなければならない」
だったり
「周りのいざこざを仲介してあげなければならない」
だったり、
「誰かのために働き続けなければならない
だったり。。。
言葉にすると重くなりますが、
似たようなことを「当然のこと」として生きている人はたくさんいます。
もちろん、
誰かを助けてあげることは素晴らしいことです。
それを負担なくやれるならば。
でも、
自分がしんどくなるなら、
耐えきれなくなるなら、
自分が病気になるなら、
何かが間違っていますよね。
優しい人ほど、
「辛い事が起こる世界線」を選択しており、
それを「当たり前」としています。
無価値感がある人ほど、
「人を助ける世界線」を選択し、
そうしなければ自分の価値はないと思い込んでいます。
でも、本来は、
そんな世界線を選択しなくても良いはずなのです。
この世界は「あなたの世界」なのですから、
あなたが心地良いように作って良いはずのものだからです。
あなたは、あなた自身のために、
誰かを助けたり、役に立たなければ価値がない、
という世界を「当たり前」に設定している場所から、
抜け出さなければなりません。
でも、
「それを得れば私はOKになる、
それを得なければ私はOKにはならない」
と思っているなら、
その思考があなたの中に病気を引き起こす要因となります。
パニックアタックが起こるということは、
自分を追い詰める思考が「当たり前」になっていて、
「自分が追い詰められる」世界線をあなたが選択してしまっている、ということを意味するのです。
病気や現実は「結果」です。
不調が自分の身を追い詰めるほどになっているなら、
そういった思考が「当たり前」になっているかもしれない、
ということを見つめてください、気づいてください、
ということなのです。
あなたにとって、
本当の意味で適切な世界線を選択し直してください。
あなたが苦しむ世界ではなく、
あなたが心地よく生きられる世界線を選択し、
創造していきましょう。
それができるようになっていけば、
あなたはもうパニックを引き起こす必要がなくなるのです。
(自分に優しい世界にしてね)
(オリジナルセルフワークプログラム)