怒りの解放が進んだ結果みえてきたもの | [天使の卵] 女神塾 宮城県 仙台

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2009年~「天使の卵 女神塾」 開校。

天使画、エンジェルブレッシング、パステル海講座、マリアブレス、レイキ伝授、エンジェルカード、エンジェルヒーリング、曼荼羅アート(曼荼羅ワーク®️)、カウンセリング、各種講座、コンサルティング

 

一日でこんなにも気持ちが変わるものなのかと思うほど、息子との大バトルから気付きがぽろぽろキラキラ


いろんな出来事がある中で、その根っこを掘り下げていくと、過去世だったりインナーチャイルドだったり、今の生活の中で気づくことも出てきたりする。


今回も昨日書いたように過去世に関して気付いたことがあり、出てきた感情を解放していったら、今度はインナーチャイルドにも関係していた部分がみえてきた。



子供のころの●●に関する怒り。

これは以前もやったことがあったインナーチャイルドだったんだけど、若干やっぱり気持ちが違うと同じその場面に行かされるものなんだなと思った。


まさかまだここにこういう感情があったとは。


今回子供のころのことで出てきたのが、 「理不尽なことで怒られた」 ことに関する怒り。


同じ場面でも、「怖かった」とか「わかってほしかった」とか「話を聞いてほしかった」というインナーチャイルドの感情はこれまでもたくさん癒してきた。


だからもうこのインナーチャイルドのことは終了していると思っていた。



でも、今回「理不尽なことで怒られた怒り」というのがあったのがわかった。

子供だから反論できない。だからその時から飲みこんでいた感情がこれほどあったのかもしれないと。



いや~、インナーチャイルドって本当に同じ場面でも感情が何層にもなっているというか、いろんな部屋があってその部屋ごとに違う感情や微妙な気持ちの違いがそれぞれにあるとは言ってきたけどまさかだった。


だから一つのインナーチャイルド、一人のインナーチャイルドを癒してもまだまだあるかもしれないとはそういうことなんだよね。


でもまさか、私もこのインナーチャイルドは大きかったので終わったと思っていたからびっくりした。

もう何年か前に癒したはずのインナーチャイルド。



ただ、ある意味今回の大爆発で、この時のインナーチャイルドは本当に終わりなのかもしれない。


なんでこれに気付いたか。




実は今日ある方にインナーチャイルドセッションで。

その方に言っている言葉に自分ではっとしました。




そしてもう一つ気付いたことがある。


私がショックを受けたという過去の、「大人のインナーチャイルド」。


自分が良かれと思ってしたことに対して文句を言われていたと後から知ったこと。

あれはショックだったと、自分ばかりが被害者ずらしちゃったけど(たぶん何年もどこかでそう思いつづけていたんだと思う。だからくすぶっていたんだと思うけど)、今日運転していたらふと気付いた。



「あれ?私も同じようなことしたことあるじゃない!」



例えば美容室。


今まで行っていたところで何かいまいちなことがあって、別の美容室に変えた時、前の美容室の文句というか、「本当はこうしてほしかったのにこうなって」とか「でも言えないからもう行くのやめて」とかそういうことあったよなと。


決して前の美容師さんも悪気はなかったんだろうし、一生懸命やってくれたんだろうけど、私が気にいる髪型じゃなかったり、もっとやってほしいことをやってもらえなかっただけであって、たぶんそれはその人のやり方と私の希望が合わなかっただけなんだろうし、そのお店の方針とかもあるんだろうしね。


あと、最初はよかったけど、段々私の好みが変わってきて合わなくなることもあるし。

それでお店を変えることはよくあることだし、それを他のお店にいって言うことだってあるだろうし。



なんか、もしかしたら、あの人もこんな気持ちだったのかなと思ったりした。

ぽろっと誰かにいったことが、大きくなって広がって私の耳にまで入ってしまったというような。


で、表面上は普通にというかむしろよく接してくれていたのにあれはいったい何だったんだろう、という思いも、昨日まではそれがすごくショックだったと思っていたけど、これも気付いた。



もしかしたら、その人はその人なりに、精いっぱいの誠意を見せてくれていたんじゃないかなと


私に対する不満とか文句とかいろいろ言いたいことあったのかもしれなかったのに、ちゃんと誠意を見せてくれたのかもしれないなと。


あとから、間接的に聞いたことでショックを受けたけど、その人の思いはやっぱりその人にしかわからないし、私に至らなかった点があったということも否めないし、何にしろ私はその人に対して結果として嫌な思いをさせてしまったことには変わりはないんだろうなと。


「一生懸命やったのに」「よかれと思ってやったのに」

というのはあくまでも私側のことであって、それでその人を満足させられていたのかといったらそうとも限らないわけだし、結果的に文句を言われていたのであればそうではなかったわけだし。



そんなことを思ったら、むしろ「すみません」という気持ちになった。


そして、いろいろ最初は聞いてショックを受けたこともあったけども、私はその人の事を信頼していたし、その人とご縁が出来たことはよかったと思っているし、今後会うことはないとしても、その人への信頼はこれからも私の中では変わらなくていいんだなとやっと思えた。



いろんな感情を解放したことで、やっとたどり着いた答え。


何年もわだかまりがあった部分、ようやく解放かな。

(まあ、また出てきたらやればいいわけだしね^^)







怒りの解放ワークでは、無理に感情を抑えなくていいと言うのはそういうことなんですよね。


出てくるものを出したら、意外なものがみえてくることがあります。


出さないとみえてこないものもあります。

 

今ある怒り、これの根っこが実はいろんなところからきているということ、本当にあるんですね。



来週またまた怒りの解放ワーク講座(バキューミング編)もあります。


この講座を受けていただくとクライアント様にセッションもしていただけるし、ご自分の中で怒りの解放ワークを進めていっていただけるのでいいかなと思います。


私も今回、痛切にこのワークの必要性を感じました。

怒りってすごい充満するとどうしていいかわからなくなるんですよね^^;


でも何で怒っているのか、自分の中の何が触れたのか、これらに気付いていくことで見方、感じ方、とらえ方が変わってきます。


そして何よりも自分が解放されます。


楽になりますブーケ2