自分ストーリー1〜10話
パン講師クリスチャンの平野宏子です。
このブログは、私が子供だった頃からクリスチャンとして生きる現在までを綴っている自分ストーリーです。
よろしくお願いします。
こんにちは。
自分ストーリー64話、昨日の続きです。
すべての人は罪人であると聖書には書かれています。
夫に限らず、私だって罪を犯すということです。
メールで夫に、断らずにお金を引き出したことを謝られました。
私は次のような返信をしました。
「あなたと同じように私も罪人です。罪人の私には、あなたを許す権利など持っていません。
許すことができるのは神様だけです。
ほんとうに心から反省しているなら、私ではなく神様に謝るべきだと思います。」
この時は、夫に対しての気持ちがすっかり冷めてしまい、もう話しても無駄、くらいの気持ちだったんです 思ったことをそのままメールに書きました。
すると、
「次の日曜日、一緒に教会へ行くよ。」
えっ
そんなことを言ってくるとは予想してなかったので驚きました
日曜日は仕事なんですけど、なんとか都合をつけたようでした。
教会へ向かう途中で、感動して泣けてきました。
クリスチャンになって7年。
夫の救いをずっと祈っていました。
もちろん、信じるまでにはまだまだ時間がかかりますが、まずは共に教会へ行ってくれることが第一歩ですから。
その後、3〜4回ほど教会へ行ったと思います。
その間に、夫は神様を信じると自ら手を上げて神の前に信仰を告白したのでした。
教会へ行っても、そんなにすぐに福音を信じる人はいないのが普通です。
クリスチャンの家族でも救われていない人たちはたくさんいます。
牧師のご家族も例外ではありません。
夫は牧師先生に、
「ただ妻の機嫌を取りたくて教会へ行ったのに、なぜか信じることができてしまいました」
と正直に話していました。
その後、確かに夫は神様に救われたのだとわかるくらい変化がありました。
仕事で教会に通えていなくても、いい意味で、やっぱり以前の夫ではないのです。
夫は、私と子供達が教会に行くようになってから、着実に昇進していき、やり甲斐をもって働けているのは神様のおかげだと信じていたようでした。
(キリスト教は、御利益の神ではありません)
私は、夫が信仰告白をしてから、夫が私に対して罪を犯すという不安が全くなくなりました。
信仰というのは、いつサタンが介入するかわからないので、絶対大丈夫とは言えないのですが、それでも神様への祈りをやめなければ守られるはずです。
その人の信仰次第と言えます。
その後、彼の一番の希望であった海外赴任の辞令をいただいたのも神様の祝福でした。
3年間シンガポールへ単身赴任することになったのです。
続く・・・
信仰を口で告白すると救われると聖書に書いてあります。
[ローマ人への手紙 10:8-17]
では、何と言っていますか。
「みことばは、あなたの近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にある。」
これは、私たちが宣べ伝えている信仰のことばのことです。
なぜなら、
もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
聖書はこう言っています。
「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」
ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。同じ主がすべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人に豊かに恵みをお与えになるからです。
「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。
遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。
「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」と書いてあるようにです。
しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。
「主よ。私たちが聞いたことを、だれが信じたか」とイザヤは言っています。
ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。
信仰は聞くことから始まります。
とありますね。
言い換えれば、聞かないことには始まらないのです。
『よい知らせ』というのは福音のことです。
ですから、救われた者たちは、良い知らせを述べ伝えるのです。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
預言者イザヤの言う、最後まで聞き従わない者にならず、どうか良い知らせを受け取ることができますようにお祈りします。