シベリアの夜長を古代史に夢を馳せて〜その321〜 |  アンドロゴス生涯学習研究所

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今回はホツマツタヱ28アヤの解説、そのPart3です。

まず本文から。

●一行訳5

28-21 はたれぎみ ナはかりこちお ハタレギミ ナハカリコチオ 【ハタレ、綻・ギミ、君、ハタレの頭目になったのです】。【ナ〔七〕ハカリ、程・コ、来・チ、地・オ、(その)7人ほどが、出身者を】、
28-21 むれあつめ くにおみたれバ ムレアツメ クニオミタレバ 【ムレ、群・アツメ、集、群れ集めて】、【クニ、国・オ・ミタレ、乱・バ(結果)、国を乱したので】、
28-21 すみよろし かとりかしまや スミヨロシ カトリカシマヤ 【スミ、住・ヨロシ、宜、スミヨロシや】、【カ、夏・トリ、執、カ、夏・シマ、島・ヤ(列挙)、カトリ(ソサノヲ)カシマ(ミカツチ)や】、
28-21 いふきぬし かだたちからヲ イフキヌシ カダタチカラヲ 【イ、伊・フキ、吹・ヌシ、主、イフキヌシや】、【カ、荷・ダ、田・タ、手・チカラ、力・ヲ〔雄〕、カダ、タチカラヲや】、
28-22 くすヒかみ みなうつわゑて クスヒカミ ミナウツワヱテ 【クス、葛・ヒ〔人〕カミ、上、イサナギの子の葛の御上】、【ミナ、皆・ウツワ、器・ヱ、得・テ(手段)、皆が戦法を得て】、
28-22 これおうつ ときにムはたれ コレオウツ トキニムハタレ 【コレ、此・オ・ウツ、討、対処しました】。【トキ、時・ニ・ム〔六〕ハタレ、綻、そして六つのハタレ衆は】、
28-22 みなくたる これすヘかみの ミナクタル コレスヘカミノ 【ミナ、皆・クタル、降、すべて降伏したのです】。【コレ、此・スヘ、統・カミ、上・ノ、これは皆、統べる御上、アマテルの】、
28-22 みことのり みこおしヒとも ミコトノリ ミコオシヒトモ 【ミ(寧)コト、言・ノリ、宣、お言葉に従った成果でした】。【ミ(寧)コ、子・オシ、忍・ヒ〔人〕ト、仁・モ、御子オシヒトも】、
28-23 ミソヨろハ ヲさめてみこの ミソヨロハ ヲサメテミコノ 【ミ〔三〕ソ〔十〕・ヨ〔百〕ロ、万・ハ、30年〈15年〉の間は】、【ヲ〔尊〕サメ、治・テ・ミ(寧)コ、子・ノ、治めて、御子の】、
28-23 ホのあかり トぐさたからに ホノアカリ トグサタカラニ 【ホ〔炎〕ノ・アカリ、明、ホノアカリ(アスカ)は】、【ト〔十〕グサ、種・タカラ、宝・ニ、十種の宝(異なる十部族の物部衆)を受けて】、
28-23 かけめぐり そらみつやまと カケメグリ ソラミツヤマト 【カケ、駆・メグリ、巡、駆け巡り】、【ソラ、虚・ミ、見・ツ・ヤ、家・マ、間・ト、虚見のヤマトや】、
28-23 あすかみや おときよヒとハ アスカミヤ オトキヨヒトハ 【アス、明・カ、日・ミヤ、宮、アスカミヤを造りましたが】、【オト、弟・キヨ、清・ヒ〔人〕ト、仁・ハ、弟のキヨヒトは】、
28-24 にはりみや あらたひらきて ニハリミヤ アラタヒラキテ 【ニ、新・ハリ、治・ミヤ、宮、ニハリミヤを作り】、【アラ、新・タ、処・ヒラキ、開・テ、新拠点を開いて】、
28-24 たみヲさむ ソヤヨろとしに タミヲサム ソヤヨロトシニ 【タ、手・ミ、身・ヲ〔尊〕サム、(物部の)配下を治めました】。【ソ〔十〕ヤ〔八〕・ヨ〔百〕ロ、万・トシ、歳・ニ、18年〈9年〉間で】、
28-24 ことおえて みづきハわかる コトオエテ ミヅキハワカル 【コト、事・オエ、終・テ、事業を完成し】、【ミヅ、水・キハ、際・ワカ、別・ル(完了)、結果の別れた】、
28-24 にはりぶり アめよりミつの ニハリブリ アメヨリミツノ 【ニ、新・ハリ、治・ブリ、振、ニハリの成果でした】。【ア〔天〕メ・ヨリ、自・ミ〔三〕・ツ(類)・ノ、アメ(ここではアスカ)から三種の】、
28-25 かんたから きみとみわけて カンタカラ キミトミワケテ 【カン、上・タカラ、宝、(神器と云われる)先祖の宝を】、【キミ、君・トミ、臣・ワケ、分・テ、キミ・トミに別個にわけて】、
28-25 たまわれハ こゝろヒとつに タマワレハ ココロヒトツニ 【タマワレ、賜・ハ(理由)、賜ったのは】、【ココロ、心・ヒ〔一〕ト(類)・ツ・ニ、キミ・トミの心を合わせるように
28-25 くにのなも しハかみほつま クニノナモ シハカミホツマ 【クニ、国・ノ・ナモ、国の名も】、【シワ、齢・カミ、上・ホ、穂・ツ・マ、間、「長年の源流の事業の僕」の国として】、
28-25 あらハるゝ ミソヨろふれハ アラハルル ミソヨロフレハ 【アラハル、現・ル(完了)、知らしめたのです】。【ミ〔三〕ソ〔十〕・ヨ〔百〕ロ・フレ、経・ハ、30年〈15年〉を経て】、
28-26 アめのなも わけいかつちの アメノナモ ワケイカツチノ 【ア〔天〕メ・ノ・ナ、名・モ、アメのキミの名も】、【ワケ、分・イカツチノ、ワケイカツチの
28-26 アまきみと ムソヨろヲさむ アマキミト ムソヨロヲサム 【ア〔天〕マ、間・キミ、君・ト、アマキミとして】、【ム〔六〕ソ〔十〕ヨ〔百〕ロ、万・ヲ〔尊〕サ、治・ム、60年〈30年〉間治めたのは】、
28-26 をヲんめくみぞ ヲヲンメクミゾ 【ヲ〔敬〕ヲ〔尊〕ン、御・メクミ、恵・ゾ、とても大きな恵みでした】。


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●連続訳5
その7人ほどが、地域の出身者を、群れ集めて、国を乱したので、スミヨロシや、カトリ(ソサノヲ)、カシマ(ミカツチ)や、イフキヌシや、カダ、タチカラヲや、イサナギの子の葛の御上(クマノクスヒ)、皆が戦法を得て、対処しました。
そして六つのハタレ衆は、すべて降伏したのです。
これは皆、統べる御上、アマテルの、お言葉に従った成果でした。
御子オシヒトも、30年〈15年〉の間は、治めて、御子の、ホノアカリ(アスカ)は、十種の宝(異なる十部族の物部衆)を受けて、駆け巡り、虚見のヤマトや、アスカミヤを造りましたが、弟のキヨヒトは、ニハリミヤを作り、新拠点を開いて、物部の配下を治めました。
18年〈9年〉間で、事業を完成し、結果の別れたニハリの成果でした。
アメ(ここではアスカ)から三種の、神器と云われる先祖の宝を、キミ・トミに別個にわけて、賜ったのは、キミ・トミの心を合わせるように、国の名も、「長年の源流の事業の僕」の国として、知らしめたのです。
30年〈15年〉を経て、アメのキミの名も、ワケイカツチのアマキミとして、60年〈30年〉間治めたのは、とても大きな恵みでした。

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●解説5
こうして、ハタレの乱がおきたのですが、その原因は未だ良く解っておらず、アスカは漫然と物部の10部族に及ぶ手勢を率いて大和路の平定を試みましたが良い成果は得られませんでした。
同じ頃、弟のニニキネはモノノベ衆(物部衆)の教育機関として、父オシホミミの名でニハリノミヤを開き、広く、物部衆に、他のモノベ衆(兵遍衆)と異なるトレーニングを施しました。
その結果、スミヨロシや、カトリ(ソサノヲ)、カシマ(ミカツチ)、イフキヌシ、カダ、タチカラヲ、クマノクスヒ等の将軍たちの戦法が活かされ、ハタレの乱を収拾することができたのです。
しかし、この間、アスカは何もしなかったかといえば、そうではなく、オオヤマスミの進言にしたがって、大和路の多くの豪族の媛達と縁組をして部族間の軋轢を減らす努力をつづけたのです。
本文に書かれていることだけを読み解いても、なかなかアスカの成果はわからないとおもいますが、かなり複雑な政策をこなしていたと思われます。
この辺の経緯は「〜その77〜」で充分に吟味してあったのですが、モノベ衆ばかりでなく、物部のなかにも、生産性の考え方で解決することの出来ない問題があったのです。
併せて「〜その283〜」、「〜その291〜」、「〜その292〜」、「〜その293〜」などは確実に読み込んでほしいと思います。

●一行訳6

28-26 さきにみこ ミたりうむとき サキニミコ ミタリウムトキ 【サキ、前・ニ・ミ(寧)コ、子、その前に御子が】、【ミ〔三〕タ(類)リ、人・ウ、生・ム(完了)トキ、時、三人生まれた時】、
28-27 しなのより ヨしなあがたの シナノヨリ ヨシナアガタノ 【シナ、信・ノ、濃・ヨリ、自、信濃から〕、【ヨ〔四〕シナ、科・アガタ、県・ノ、4つのシナ(科の付く地名)の県の】、
28-27 ぬしきたり アまてるかみの ヌシキタリ アマテルカミノ 【ヌシ、主・キ、来・タリ(平叙)、ヌシが来ました】。【ア〔天〕マ、間・テル、照・カミ、上・ノ、アマテル御上の】、
28-27 ためしあり ゑなこふときに タメシアリ ヱナコフトキニ 【タメシ、例・アリ、在、先例にならって】、【ヱ、胞・ナ衣・コフ、請・トキ・ニ、御子のヱナを祀りたいというので】、
28-27 みことのり はにしなぬしハ ミコトノリ ハニシナヌシハ 【ミ(寧)コト、言・ノリ、宣、(キミは)言われました】。【ハニ、埴・シナ、科・ヌシ、主・ハ、埴科主は】
28-28 ゑながだけ はゑしなおよび ヱナガダケ ハヱシナオヨビ 【ヱ、恵・ナ、那・ガ・ダケ、岳、(すでに)恵那ケ岳に(アマテルの胞衣を祀っているので)】、【ハヱ(地名不詳)・シナ、科・オヨビ、及、ハヱシナと】、
28-28 さらしなと つましなぬしら サラシナト ツマシナヌシラ 【サラ、更・シナ、科・ト、更科と】、【ツマ、妻・シナ、科・ヌシ、主・ラ、等、妻科主等は】、
28-28 このミゑな そのオにおさめ コノミヱナ ソノオニオサメ 【コ、此・ノ・ミ〔三〕ヱ、胞・ナ、名、この3つの胞衣を】【ソ、其・ノ・オ〔尾〕・ニ・オサメ、治、(御縁として)故地に納めて】、
28-28 まもるべし そのおとみこの マモルベシ ソノオトミコノ 【マ、間・モル、守・ベシ(義務)、これより(後ろ盾となって)皇子を護持しなさい】。【ソ、其・ノ・オト、弟・ミ(寧)コ、子・ノ、弟御子の】、
28-29 うつきねハ つくしにいたり ウツキネハ ツクシニイタリ 【ウ、鵜・ツ・キネ、杵・ハ、ウツキネは】、【ツク、筑・シ、紫・ニ・イタリ、至、筑紫に行って】、
28-29 タおこやし をやにつかふる タオコヤシ ヲヤニツカフル 【タ〔田〕・オ・コヤシ肥、田を肥沃にし】、【ヲ〔敬〕ヤ、親・ニ・ツカフ、仕・ル(完了)、親(ニニキネ)に仕えた】、
28-29 たみおめぢ ソヤヨろヲさめ タミオメヂ ソヤヨロヲサメ 【タ、手・ミ、身・オ・メ、愛・ヂ(継続)、配下を慈しんで】、【ソ【十】ヤ【八】・ヨ、〔百〕 ロ、万・ヲ〔尊〕サメ、治、18年〈9年〉間治め】、
28-29 もとくにの ヒつきおうけて モトクニノ ヒツキオウケテ 【モト、本・クニ、国・ノ、本国(アメ)の】、【ヒ〔日〕ツキ、継・オ・ウケ、受・テ、日継を受けて】、
28-30 アまかみの をやにつかふる アマカミノ ヲヤニツカフル 【ア〔天〕・マ、間・カミ、上・ノ、アメの公僕である御上の】、【ヲ〔敬〕ヤ、親・ニ・ツカフ、仕・ル(状態)、親(ニニキネ)に仕える】、
28-30 きみのなも ムソヨろヲさめ キミノナモ ムソヨロヲサメ 【キミ、君・ノ・ナ、名・モ、キミの名も】、【ム〔六〕ソ〔十〕・ヨ〔百〕ロ、万・ヲ〔尊〕サメ、治、60年〈30年〉間治めて】、
28-30 けゐのかみ みこかもヒとハ ケヰノカミ ミコカモヒトハ 【ケ、餉・ヰ、井・ノ・カミ、上、「食糧が湧く井戸の御上」と呼ばれました】。【ミ(寧)コ、子・カ、賀・モ、茂・ヒト、仁・ハ、その御子のカモヒトは】、
28-30 ヒつぎうけ みづほおうつす ヒツギウケ ミヅホオウツス 【ヒ〔日〕・ツ・ギ、兄・ウケ、受、ヒツギを受けて】、【ミヅ、瑞・ホ、穂・オ・ウツス、写、(対岸の)瑞穂の宮のように壮麗な】、
28-31 たがのみや ヲさむるたみお タガノミヤ ヲサムルタミオ 【タ、多・ガ、賀・ノ・ミヤ、宮、多賀若宮で】、【ヲ〔尊〕サム、治・ル(継続)・タ、手・ミ、身・オ、治める配下を】、
28-31 このことし アめにことふる コノコトシ アメニコトフル 【コ、子・ノ・コトシ、如、我が子のように愛しました】。【ア〔天〕メ・ニ・コト、言・フル、触、言・触れる、公言された】、
28-31 かみのなも みをやアまきみ カミノナモ ミヲヤアマキミ 【カミ、上・ノ・ナ、名・モ、御上の名は】、【ミ(寧)・ヲ〔敬〕ヤ、親・ア〔天〕・マ、間・キミ、君、「万人の御親君」と呼ばれました】。
28-31 わかみやの ときにヨソヨろ ワカミヤノ トキニヨソヨロ 【ワカ、若・ミヤ、宮・ノ、皇子の】、【トキ、時・ニ・ヨ〔四〕ソ〔十〕ヨ〔百〕ロ、万、時に40年〈20年〉間】、
28-32 よのまつり またミソヰヨろ ヨノマツリ マタミソヰヨロ 【ヨ、世・ノ・マツリ、奉、世の奉り事を聴き】、【マタ、又・ミ〔三〕ソ〔十〕ヰ〔五〕ヨ〔百〕ロ、万、また即位してから35年〈18年間〉】、
28-32 ゆたかなり ときにいさわの ユタカナリ トキニイサワノ 【ユタカ、豊・ナリ、也、豊かだったからです】。【トキ、時・ニ・イ、伊・サワ、雑・ノ、或る時、伊雑に居る】、


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●連続訳6
その前に御子が、、三人生まれた時、信濃から、4つのシナ(科の付く地名)の県の、ヌシが来ました。
アマテル御上の、先例にならって、御子のヱナを祀りたいというので、キミは言われました。
埴科主は、すでに恵那ケ岳にアマテルの胞衣を祀っているので、ハヱシナと、更科と、妻科主等は、御縁として故地に納めて、これより後ろ盾となって、皇子を護持しなさい。
弟御子の、ウツキネは、筑紫に行って、田を肥沃にし、親(ニニキネ)に仕えた配下を慈しんで、18年〈9年〉間治め、本国(アメ)の、日継を受けて、アメの公僕である御上の、親(ニニキネ)に仕えるキミの名も、60年〈30年〉間治めて、「食糧が湧く井戸の御上」と呼ばれました。
その御子のカモヒトは、ヒツギを受けて、琵琶湖対岸の瑞穂の宮のように壮麗な、多賀若宮で、治める配下を、我が子のように愛しました。
公言された、御上の名は、「万人の御親君」と呼ばれました。
皇子の時に40年〈20年〉間、世の奉り事を聴き、また即位してから35年〈18年間〉、豊かだったからです。

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●解説6


残念ながら、現在のところ、ハエシナに相当する地名は見つかっていません。
行政による合併・消滅があるのかもしれません。



敬語法はかなり複雑なようです。

貨幣経済が無いせいか、「御恩と奉公」の関係も複雑になっています。


この他にも、手下、配下の意味で「手(タ)」を使います。
現代語で、「手のもの」というのと同じです。
タミといえば、「民」だと思ってしまうと間違う恐れがあります。
「手立てが無い」ことを「タオスツ」と表現します。




さて、ホツマツタヱに関するご意見ご要望、いちゃもん、文句、NGのあるかたは掲示板のほうに書いていただければ、うちのヱが対応します。
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