Andreaのペルー通信パート2 -26ページ目

Andreaのペルー通信パート2

リマでアロマテラピーサロンをしております。大好きなペルーの現実を日本に伝えます。コメント大歓迎ですが、ネットエチケット上不適切なものは、承認しませんのでご了承ください。

日本からペルーに、同じアメリカ系列銀行から送金ドルしたら情報に不備あり・・・。わざわざ日本の銀行からお電話をいただき、現地銀行に確認をお願いしますとのことで、支店に事情を聞きに行きました。


- 送金をしたのですが、不備ありで止まっています。調べていただけますか。

- はい。カチャカチャカチャカチャ。確かに止まっていますね。

- カード番号ではなく、口座番号でいいんですよね?

- そうですよ。

- 以前に送金の際の銀行コード3つ書いてもらいましたが、この一番上のではないんですか?

- そうですよ。この●●で始まる・・・

- えーー●●?○○ではないんですか?

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←問題の○○と●●はこちらでございます。

米系大手銀行のお客様係の、インテリ風のお姉さんが書いたものを、かなり忠実に再現してみました。これ、なんてよみますか?


私は sy と読みました。

夫も sy と読みました。

あなたは?



正解は 54 !!!



- 以前に送金の際の銀行コード3つ書いてもらいましたが、この一番上のではないんですか?

- そうですよ。この54で始まる・・・

- えーー54叫び?! syではないんですか?


これではいくら口座を事前登録したところで、送金手続きができないわけだ。


 - じゃ、日本の銀行に電話をするので、説明してもらえますか?

 - え、日本語できませんけど。

 - 大丈夫です。日本の支店もみんな英語話しますよ。

 - え?英語そんなに私できないんですけど

   (私の心の声→うそでしょ?アメリカアメリカの会社でしょ?)。

    スペイン語話せる人いないんですか?

 - いません

   (私の心の声→じゃ、逆に、日本語話せる人、ここにいるのかい?)。

 - 奥様が日本の銀行に電話で説明してくれませんか?


ここで夫、


 - じゃ、帰って電話してみようか。


甘ーーーーーーーーい!

世界的大手銀行や、白人系にひるむなー!英語もできない、日本語もできないなら、君と同じだ!

私たちはお客様よー、日本ではお客様は神様なのよー!なんでこの姉ちゃんのへんな54のおかげで、私とあなたのの時間と労力を使った上に、何度も往復してタクシー代と国際電話のお金を使うわけさ。

ひるまない、怒らない、粘る、3回別の手を使ってだめだったらあっさり引き下がり、とりあえず忘れる。これが10年前に学んだペルーにおける私の掟シリーズの折衝の項。


 - ここでやりましょう。英語できる海外送金担当者、呼んでください。

    私が今日本に電話して、折り返してもらうので。

 

で、携帯から国際電話をかけたら、すぐに切れてしまい、銀行の電話は彼女のところからは発信はできないということで、私も次の手をちょっと考えていると、彼女は


 - ちょっと待っててください。私のほうでなんとかできるかもしれないので。

   ひとつ質問ですが、そのお金はすぐに引き出してしまいますか?


 - いいえ、こちらの銀行に残ります。もうひとつ口座も作ろうと思います。(←これがポイント)


そうすると、内線電話をし始め


 - 私の書いた数字がちゃんと読んでもらえなくて・・・


と説明している。ペルーではこれ、珍しい。だいたいが、お客様がちょっと取り違えられて、と言われる。

カチャカチャカチャカチャ

カチャカチャカチャカチャ


 - 2人の上司にメールや電話をし、こちらで受けていいか、今許可をもらいます。

   午後まで待ってください、ご主人の携帯電話にご連絡します。それでもしだめだったら、

   日本に電話して相談していただくというのはいかがですか?


ほとんど期待はしていませんでしたが、きちんと午後にOK、送金手続き完了の電話をもらいました。


ペルーのサービスの悪さに慣れたのと、日本の大手銀行にも、出国前に大いに憤慨していたこともあったので、なんだかこのお姉さんがとっても素晴らしい合格 サービスをしてくれたように思えてきました。


突然ですが、クイズです。
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これはなんでしょう?ゴミ虫虫?雪だるま雪だるま?




正解は数字の8


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じゃ、これは?






N に小さい丸。No.のことです。

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最後にこれは?





同じく、Nに小さい丸。



ここまで来るともはやアート太陽の塔の域。

あいだみつを?鶴太郎?荒井良二


これらは、彼女の書いたものをかなり忠実に再現したものです。

銀行主催で展覧会とかやってもいいかも~ですね。


ペルーでは、英数文字は必ず声に出して確認、という新しい掟掟を心に刻むとともに、ちょうど今週から書き方の練習を始めた5歳の長女に、書き順や形をしっかり教えようと心に誓いました。


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ペルーと聞くと、テレビの特番や旅行ネタでよくやっている、リャマやアルパカアルパカと遊牧民、山の方の景色がイコールと思っている日本の方がほとんどですが、あれは観光地で、リマはかなり都会です。高層ビルビル群。はさほど多くはないけれど、私が日本で最後に住んでいた埼玉県戸田市より、少なくともずっと都会です。


私は生まれも育ちも東京ですが、東京とリマ、都会的な部分は変わりません。都会的でない部分はずいぶん違います。このへんが貧富の差の激しい国と、一億層中流の国の違いでしょうか。住宅地は、田園調布みたいなところと、成城みたいなところと、南青山みたいなところがあり、オフィス街は、丸の内みたいなところと、新宿みたいなところと、虎ノ門みたいなところがある・・・かな。勝手な私の印象ですが、夫の実家は杉並区、今住んでいるところは港区とちょっと似ています。そうそう、紀伊国屋みたいな色のスーパーもあります。やはり値段もちょっとお高め。


今日は夫の出かける時間が遅くてよかったので、久しぶりに幼稚園に子供たちを2人で送っていきました。そのあと、家と反対方向にお散歩してみたら、スターバックススタバ発見。

日本では、ほぼ毎朝通勤のときバス停前バス停のスタバでバス待ちをしていました。リマの店員さんは、日本より元気で、お客さまををちょっと急がせます。ラテ、豆乳に変えてもらおうとしたらなかった。それ以外はほぼ日本と同じです。

ペルーは注文すると、お金を払ったときに姓ではなく名前を聞かれ、注文の品が揃うと名前で呼ばれます。本名の日本名だと

”は?”

と言われるのが嫌で、こちらでは、ほぼ洗礼名であるAndreaを使っています。考えてみると、こういうシーンで使うためにこの名前があるといってもいいかもしれない・・・。で、コップに書かれてました、私の名前。Andreaのペルー通信パート2

店内で飲む場合もマグではなく紙コップしか無理ですね、名前書くから・・・。

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リマでの子供たちの幼稚園生活も今日で4日目。今日は長女の大好きな音楽音符の授業がありました。音楽、バレエ(女児)、テコンドー(男児)はプロの先生が外部からやってきます。子供たちの制服の授業がありましたは、かわいいイラストと学校名のついたトレーニングウエア上下とトレーナーなのですが、先生たちは、その外部の方も含めて、みんな子どもと同じ上下を着ています。

日本では、保育園であったことを、書記?再現フィルム?というくらいに事細かに話してくれた長女も、昨日までは無言。プレッシャーになるから、今日何したの?とはもう聞くまいと決めていたら、今日は帰りの道すがら、歌を歌った話をしてくれました。
音符オーウェンダチェー オーウェンダチェー」 
っていう歌。何?スペイン語か、ケチュア語の民謡か。もう一度歌ってというと、今度はダミ声で
音符<オーウェンダチェー オーウェンダチェー」 
ん?もしかして聖者の行進?で、サッチモ?
私もダミ声でサッチモの物真似風に返してみると
「そうそう!ママ知ってるのおーー???」
と、感動した様子。歌詞がまったくもって思い出せないながらも、家まで
音符オーウェンダチェー オーウェンダチェー オーウェンダチェー チェーチェーチェーチェーチェー」
で通して、かけあいやトロンボーンのソロまで適当にやり、楽しくマーチングバンド風に帰りました。その後、家に修理の人が来たり、料理をしている間に、すっかり2人とも何の歌だったか忘れてしまったものの、夕食が終わるころに、
「ママー 思い出した!オーウエンダチェー!!」
「そうだ!コンピューターで見てみよう」
you tube で、サッチモ(ルイ・アームストロング)の聖者の行進を検索して見てみると、娘は「そうそう、これー!!これCDで聞いてからみんなで歌ったの」
オーウエンダチェーは oh when the Saints, 題名は When The Saints Go Marching In でした。何度かサッチモを見てから、ブルーススプリングスティーンのライブ版聖者の行進 など見てしまいました。ブルーススプリングスティーンのしゃがれ声も
「この人の声いいねえ」
と長女。さすが、我が娘。5歳にしてこの感性!

しかし、入園の手続きに行った日に、園庭で男の子2人とサッカーをしていた男の人、どっから見ても体育の先生なのに、彼が音楽の先生。雨ふりクマさんや、クラリネットが壊れちゃった歌など童謡の中で音楽的にいいものを探して歌ってきた私の努力も今日で封印。先生の名前はJohnny。リスペクトグッド!
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私はアロマセラピストです。私の仕事はではなく、私は、というのがしっくりきます。

私の仕事は画家ですより、私は画家です。私の仕事は歌手ですより、私は歌手音符です。私はコックコックです。私は小説家ペンです。私は医者聴診器です。仕事が主語でなく、私が主語のほうがしっくりきます。仕事=お金だからかな。私を主語にすると職人ぽい感じがする。日本で会社で働きながら、アロマテラピーの活動をずっと続けてきました。「じゃ、アロマは趣味なんですね」と言われた時に、とても抵抗があったのを覚えています。「こちらを本職にしたいんですが、アロマテラピーだけでは生活できないので」と、答えた自分はもっと嫌でした。


アロマテラピーは、100%天然の植物双葉からとれたオイルを使って、お顔や全身のトリートメント(やさしくマッサージ)をします。6年前の長女の産後、ボランティアの方がハンドトリートメントをしてくれたのが、私のアロマテラピーとの出会い。そのときつかったオイルはローズバラでした。香水では女性的な香りやフローラル系が苦手なのに、そのローズの香りにつつまれてトリートメントを受けた時には、天にものぼる気持ちでした。ハープを下から何度もなぞる音とともに、ルノアールの絵に出てくる天使たちが空にのぼってく・・・ような印象を受けました。頭でなく体で体験することって感動が大きい。スキューバーダイビングマスク、出産赤ちゃん 2、アロマテラピー。


いろいろなボディセラピストの方にお会いすると、指圧系、リフレクソロジー系、レイキ系、うーん、いかにも!と感じます。アロマテラピーは、優しいタッチなので、セラピストも優しい感じ、おっとりした感じの方が多いです。私はアクティブな印象にうつることが多いようですが、本来かなりおっとり型です。どっからみても2人の子供のお母さんに見えないように、ペルーで隙があるように見えないように、みかけは多少怖い感じになるようこころがけて(?)いました。EXILEのATSUSHI、強面ATSUSHIだけどとってもまじめで礼儀正しい、あのギャップを目指しています。そして、還暦では、オリジナル過ぎて誰にも文句は言われない、女ALFEE高見沢ギター002が目標です。


日本では、地域の保育園で、2年間ボランティアでベビーマッサージの講師をしました。0歳児の赤ちゃんとそのお母様。ちょっとだけ先輩母である私には、痛いほど彼女たちの日々の不安や喜びの気持ちが伝わってきました。お母様にリラックスした時間を過ごしてもらうドキドキを目的に、保育士の方々といっしょに、その時間を作りあげてきました。その中で、

「先生は怒ることはあるんですか?」

と、よく聞かれました。

「ヨガをやって、オーガニックのものだけ食べ、いつも無印良品みたいな服を着て、プランターでハーブを育て、ラベンダーの香り漂う家に住んでいるキラキラ・・・というような印象をお持ちですか?」

と聞くと、みなさんうなずく。アロマセラピストの印象って一般的にこんな感じで、講師の私はそんなふうに見えるんですね。いえ、私SHIHOちゃんではないので。

「ご安心ください。私もみなさんと同じように家事を中途半端に手伝う夫にキれ、姑の一言ににムカつき、何度言ってもわからない子供に怒鳴りプンプン、家の中がぐっちゃぐちゃの時もしょっちゅうです。」

と、本当のことを答えます。ファンキーファンキーなお洒落も大好きです。時にジャンクフードハンバーガーも食べます。


アジアのある国でバイクをホンダというように、日本でのサランラップやセロハンテープのように、ペルーではAndrea=アロマテラピーという意味になっちゃうといいですね、と会社の後輩に言われました。ペルーもすでに癒しブームが始まっており、そうはいかないけれど、アロマセラピストにこちらの人はどんな印象を持っているんだろう。勤めながら事業をしたり、学校に行ったり、ペルーは自由。不安定で、無職になることも含め仕事はしょちゅう変わります。リマでは何が本業なのかとは聞かれません。

私はアロマテラピストです。

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5歳と2歳の2人の娘の幼稚園園服が今日から始まりました。

日本で受験戦争に勝って、いい学校を出たのがなんぼのもんじゃい?(経験から)

教育って成績がいいとか、勉強ができるのではなく、情操教育が大事。自分で考えて人生を送れるような子になってほしい。そういう意味でのいい学校には入れてあげたい→日本では経済的にも時間的にも無理。そんなことで、教育はペルーで受けさせたいと決めていました。

夫は彼の父親の商売ドルが↓になるたびに、学校も↓転校。有名私立校から、かなり荒れた公立校まで通ったそう。私は、本来の自分の性格や育った環境は合わない超お嬢様学校さくらで中学から過ごした。ということで、結婚前から子供の教育論議では盛り上がり、いい学校を見極めて最初から最後まで同じ学校に通わせる、ということでが意気投合していました。

ペルーは○○系と、先祖は外国の方が大変多いので、アメリカドイツフランス中国系の学校もあり、当然日本代表系もあります。日本語のフォローがある幼稚園はリマには2つ。5歳の長女はいきなりペルーの幼稚園へは難しく、迷わず決めました。昔お会いしたことのある日本人の男性と、ペルー人の奥様の経営する幼稚園。見学に行った日は日本に旅行中。入園手続きをして、時間割だけもらって帰ってきました。

余談ですが、恩師の一人である私が昔働いていた在リマ日本企業の当時の社長。今は悠々自適の生活。ペルー大好きで、帰国後もペルー会なるものを開いていらっしゃる。折に触れて人生のアドバイスをくださいます。幼稚園入園の報告をしたら、今日うち(日本)に、園長夫妻来てましたよーとのM子メール。なんと彼のお嬢さんと、園長のお嬢さんが親友・・・。またまた世間は狭し。

さて、幼稚園の時間割、芸術バレエパレット音符に力を入れていて、温水プールで1年中水泳プールもある。素敵!夫とその家族は、こんな時間割で小学校に入れる学力が備わるのか?と心配していましたが、私はとっても満足。夫も今日園長夫妻とお話ししてみて、お人柄に大満足。あとからみつけた園長先生を紹介したホームページ。熱い思い。共感です。よかった、ここに決めて。お時間のある方はぜひ見てください。→http://plaza.rakuten.co.jp/takinami/6000

ペルーは日本より1年早く小学校学校が始まります。つまり、日本人の駐在員の方のご子息で日本人学校に通う前の年(年長)の子供たちは、1年幼稚園で待つ感じ。長女のクラスは日本人の子供たちは6歳になっている子たち、ペルー人の子たちは5歳、といろいろです。日本は4月入学で、3月生まれの子までとはっきりしていますが、こちらは3月入学で、6、7月がボーダーライン。しかし学校によりまちまち・・・。幼稚園と小学校の連携で、上の学年に入れて1カ月様子を見て、そのまま行くか下の学年に変更するか決めるようです。とくに日系の学校は、日系人で日本に長くいた子もたくさんいるので、フレキシブルのようです。私は半年で小学校に行かせるより、この温かいドキドキ環境の幼稚園でゆっくり過ごしてから学校、もいいかなあと思っていますが・・・。ペタしてね