Andreaのペルー通信パート2 -27ページ目

Andreaのペルー通信パート2

リマでアロマテラピーサロンをしております。大好きなペルーの現実を日本に伝えます。コメント大歓迎ですが、ネットエチケット上不適切なものは、承認しませんのでご了承ください。

Andreaのペルー通信パート2

引っ越しましたニコニコ

3LDK、2バスルーム、3トイレ、1女中部屋(or家事部屋)。
リビングダイニングはちょっと山小屋風。

オレンジの照明と、ガラスではない木の重厚感のある高くも低くもないテーブルとしっかりした椅子。森に迷い込んだら、小屋があったので、そこに入ってスープをご馳走になって・・・という童話を思い出します。 

色もベージュと茶色で統一されていて落ち着きます。壁にはちょっとしたペルーの民芸品がさりげなく飾られています。

メインベッドルームもシンプルで、クローゼットが広く、ベッドとサイドテーブルと照明のみ。これ、なんと家具付き賃貸マンションなのです。いわゆるコンドミニアムみたいな感じ。

実は、2歳と5歳の2人の娘たちが月曜日から幼稚園園服に通います。入園手続きをした後に知ったのですが、ペルーは昔は3歳からだったのが、今は2歳から幼稚園に通うのが義務なんだそうです。

Andreaのペルー通信パート2 さて、その送り迎え、渋滞を考えると私は往復4時間のロス。自宅でアロマテラピーのサロンを開くときのことを考えたうえで、幼稚園からも、将来通う小学校からも遠くないある地域限定で分譲マンションマンション、気に入ったのがみつかるまでと精力的に探し見に行っていたけれど、タイムリミット。もう1ルームでもいい、とにかく幼稚園の近くに仮住まいを探して移り、次の住まいは幼稚園生活に慣れたころでよし。でもあと1週間しかない叫び

途方にくれながらも、そんなに遠くないところに日系人の経営するペンションをおさえ、毎日賃貸物件情報と、googleの地図を見比べながらネットで部屋探し。おかげでリマの土地勘がずいぶんつきました。タクシーの運転手さんに、夫ではなく、私が道の説明をしてるのって、なんかカッコいい=自己満足。

子供たちの幼稚園は、リマの中でも土地が高いSan isidro 地区にあり、賃貸マンションは日本並みのお値段。当然私たちには贅沢すぎるので、隣の地区LinceとJesus Maria をくまなく探す。そうしたら、なんと、ちょうど地区と地区の境界線の、幼稚園まで2ブロックのところのマンション発見。英語で書いてある広告には、家具つきとあり、あ、長期滞在の旅行者向け、ということで納得。

電話電話をしたら、最初いぶかしげだった奥様、子供たちの幼稚園の話をしたとたんに、「うちの子供たちもあそこの幼稚園だったのよー いついらっしゃる?家具も全部あるので、今日から入居できるわよ。 私は今から旅行に行くから、主人に言っとくわね。」ガイジンでよかった、子供がいてよかった、英語がわかってよかった。

で、8月6日朝8時に電話をし、午後4時に現地で会い、翌日お昼にこちらにお引っ越し。早っ。旅行者旅行向けなのであまり長く居られないかなと思い「みなさんどのくらい滞在されるのですか?」と質問をすると、「15日くらいの人が一番多いけど、長い人は2カ月の予定がペルー気に入って結局14カ月いたよー」とご主人のお話。14カ月の旅行って、いったい・・・。ふつう賃貸は1年契約なので、まあフレキシブルなのは何より。とにかく、無期限でいられるペルーの快適なお宿をgetグッド!


Andreaのペルー通信パート2

姑の気分次第の時間とメニューの食事ご飯とも、心の中で修行と呼んでいたお湯がちょびっとしか出ないシャワー水滴とも、三世帯同居で誰かの顔色プンプンむっをうかがう生活ともおさらば。

お昼はpollo a la brasa(ローストチキン)をゆっくり家族でいただき、
夜は久しぶりに水圧の高いお湯がじゃんじゃん出るシャワーシャワーに入り、12階からのリマの夜景星降る夜を見ながら居間で夫とワインワインを飲みながらおしゃべりし、家の中も外も騒音が無い中、久しぶりにゆっくり休めました。

これで、家族と私、心身ともに健康な生活が送れますラブラブ!

神様ありがとう。


マンションを決めた日の早朝に、やっと外国人カルネがもらえました。これで身分証明書を見せてくださいと言われて気まずい思いをすることもなくなり、銀行口座開設も、契約書にサインもできます。ペルーの独立記念日は終わったけど、8月7日は私の独立記念日かな。晴れ晴れ晴れ

ペタしてね

8月ですね。日本は猛暑、ペルーは厳冬。異常気象。


その国の衛生状態には関係なく、海外に行くと1-2年は病気ばかりします。

私も最初にペルーに住んだときは、熱と胃腸炎で発疹まで出て、辞書持参で、診療所病院の二階までの階段を、這ってのぼったこともありました。

軽い腸チフス(軽いとかってあるの?)になったときも、マスクした消毒の人が来ても仕方ない覚悟で会社の同僚に言うと、妊娠中の人ガーン以外は、ああ、なったんだー よくあるよ で、ほぼ無反応。

会社に行くと蚤に喰われ、とんでいるのも見たので(ほんとにすごいジャンプ力)、絨毯の消毒をお願いすれば、家に動物飼ってるんじゃないの?と総務のミゲルに軽く流され、誰のうちが犬しっぽフリフリを飼っているかと話題はペットの話に変わり・・・。


一昨年の夏に訪れた時は、大好きな生マンゴジュース(なんて贅沢!こっちではふつー)を、

初日に飲んだばっかりに、一か月間下痢で、食べたいものが何も食べられず・・・。


こちらではすべて日常の話、日本で風邪をひいたくらいの話なんですよね。


今回は冬なので、平気かなと思っていましたが、やはりなりました、胃腸炎。

ペルー料理はとてもおいしいんだけど、辛いという意味ではなくとにかく香辛料が多く味が濃い。

イタリアイタリアの地方では、マンマの作るパスタ以外は食べてはいけない、という話があったけど、現在三世帯同居の夫の実家では、基本的に姑が作ったものしか食べてはいけないという変なルールがあり、ペルーに来て1カ月、毎日アニスやレモングラスのハーブティーや、ときに整腸剤で防御してきたものの、ほぼ何を食べても同じ味にしか感じられなくなったところで、胃腸炎→風邪となった模様です。


リマは、日本のラーメン&定食屋さんなみの数で中華料理屋中国があります。3ブロックに1軒はある感じ。

料理が作れず、家で胃腸に優しいものを食べたい時は、近所の中華料理屋で、塩コショウ抜き、野菜大目、肉少なめで、スープをテイクアウトでオーダー。白菜、春雨、鶏肉だけのスープ。ひさしぶりの優しいお味にっこり。おいしゅうございました。

ペタしてね

私の漠然と南米に住みたい!が、米が主食で海がありサルサを聴く国に絞られ、さらにペルーペルー国旗に絞られたきっかけになったのが、在日本ペルー企業で働き友達ができたこと。

なんと、同僚が全員日系ペルー人!!そしてほどんどがシーサー沖縄系シーサー

あ、違う!突然本当に今思い出したけど、もう一人日本人の子といっしょに入ったんだった!

彼女は入社後すぐ台風の日に大学の同級生と結婚して、その後ぺルー人と駆け落ちし、

駆け落ちと同時に何も言わずに会社を辞めた。今思うと、なんてマラカスラテン系マラカスな奴!!

話は大変それましたが、その子がいなくなったので、同僚は全員日系ペルー人。

私が働いていたたった1年の間に、在ペルー日本大使館公邸の爆破事件があった。

今思うと因縁さえ感じます。


その2年後に同僚の中で一番親しかった子がペルーに帰るのにくっついて、住めるかどうか見に来ました。彼女は盛大な送別会をやってもらいペルーに帰ったのに、”え?そんなにいっぱい雇用保険てもらえるの?”と、日本にとんぼがえりしてした、日系人だけど、やはりマラカスラテン系マラカスな奴です。

でも、彼女不在のおかげでホームステイしていた1か月の間に、彼女の兄弟や伯父さん叔母さんまですっかり親しくなり、その友達まで仲良くなり、10年来の交友関係が続いています。


リマに来て小学校学校の見学にいったら、彼女のお兄さんがいて、そこからは紹介の毎日。

 「A幼稚園ヒヨコに見学に行こうと思うんだけどー」   

 「あ、じゃあ校長先生知ってるから電話しておくよ」 

 「A幼稚園空きなかったからB幼稚園も見てくるー」  

 「お兄ちゃんちの息子行ってたから、連れてってもらったら?」 

 「マンションビルも探してるのー」 

 「ちょうど系列の不動産会社で新しい部屋あるけど、あ、今行く?」 

てな具合で。

日系人の人たちは一度親しくなると本当に親切にしてくれます。


日本で夫の交代要員で入社した日系ペルー人と夫の会話

 「ペルーで奥さんも働くの?」

 「妻はアロマテラピーのマッサージ(正確にいうとトリートメントですが)やるんだよね」

 「そうなんだ、俺の従兄、日本で指圧の資格とって、こないだペルー帰って治療院開いたから、

  連絡してみていっしょにやったら?電話番号は・・・」

なんて有難いお話も。


自宅の一室でのアロマテラピーサロン開業を夢見て、家探しにも力が入る毎日です。

新聞広告から見に行ったマンションはまさにドキドキサロンにもぴったり。

現オーナーは何と日本に17年いたそうで、やはり友達の友達でした。

ペルーの日系人人口は推定9万人!でもその世間がいい意味で狭いことに感謝!!


今日は独立記念日。お祭日。


先週は記念日を祝う学校行事で、学校はお遊戯会をしたり

ペルーの民族衣装を着て子供たちがマーチングバンドで行進というのを

街のあちらこちらでみかけた。

近道をしたら、行進で閉鎖、迂回してまた近道をしたら行進で閉鎖・・・

タクシーの運ちゃんは爆弾爆弾爆弾迂回するたびに運転がさらに荒くなってゆく・・・


今週全部休み、今日明日休み、今日明日あさって休み、と会社はいろいろ。

私が昔働いてた在ペルー日本企業は確か1日だけお休みだった。

学校は今週来週冬休み。


お金持ちは海外や郊外へ旅行。

これは日本のGWばりに、何カ月も前から予約しているみたい。

リマにいる人はサーカスや映画にいったり、家の庭でBBQパーティーをしたり。

公園にも可動式のちょっと面白い遊具が並び、ミニ遊園地になったり。

アメリカ映画に出てくるようなものを想像されるとちょっと違います。

もうちょっと人間的な、いってみればダサい(死語?)感じ。

なんちゃってピエロや、中国のミッキーマウス(?!)もいます。

   写真が無いのが残念ですが、船便にデジカメとPCをつなぐコードを入れちゃったようで

   とうぶん写真は無しです。あしからず。

うちの家族は公園へ。

私はちょっと胃腸をやられて一日家の中・・・。いけてない。

でも朝からクラッカーだけで、さすがにお腹が空いてきた。

夫が幼馴染のご近所さんのところからBBQのお持ち帰りを待つとしましょう。

定刻より30分遅れで、無事に着きましたよー 人は・・・。荷物はあいかわらずの一日遅れだったけど・・・。
何も盗られてなかっただけ幸いと許せちゃってる自分がいます。
空港に着いて外にでたとたん、湿った冬の空気、暗くて電気がオレンジなところ、
ああ、リマに着いたー と実感。

成田で英語、アトランタまでは日本語、アトランタからはスペイン語、で話され
相変わらず私は国籍不明なんだなと思ったけど、性別以外は不詳でいたいので、それも嬉しい。
いくら上げようと思っても、現実の生活が物理的に大変過ぎて、日本ではテンションが全く上がらなかった私。
ここへ来て、やっぱり私はここにいるべき、と確認できました。


パート1でいつも書いてたペルーの人たちの底力みたいなもの、

冬だからなのか、経済成長によってなのか、慣れちゃったからなのか

10年まえほどは感じない。


インターネットは整備されているのに、下水はまだ。

役所の書類は、電話やネットではなく、何度も出向いて、できたかどうか聞きにいかなければいけない。

そんなところはあいかわらず・・・。

ただ駐車してあるのか捨ててあるのかわからないような車はもうみかけない。

以前はほぼ白タクだったのが、登録されたタクシーも増えた。

道はずいぶん整備されて、新しい道路がけっこうできた。


リマは電車が無いので、公共の交通機関は全部道路。通勤、子供の通学の送りはマイカーの人も多い。

友達に年々ひどくなっていると聞いていはいたけれど、渋滞がすごい。

毎日がお盆の帰省ラッシュのよう。

今のところ日本語しか話さない子供たちが、将来通う学校を見越して、これから家探し。