Andreaのペルー通信パート2 -13ページ目

Andreaのペルー通信パート2

リマでアロマテラピーサロンをしております。大好きなペルーの現実を日本に伝えます。コメント大歓迎ですが、ネットエチケット上不適切なものは、承認しませんのでご了承ください。

この記事は、2001年1月に書いたものです。



こちらでは夕方風邪にあたったり、湯冷めしたり、冷蔵庫の冷気にあたるのを空気が体に入ると言って、それが元で病気になるといいます。 


お風呂のあとに思いっきり扇風機にあたって冷たい物を一気飲みする私たち日本人からするとまるで迷信のようで、馬鹿にしていたのですが、ちょっと帰りが遅くなったある日、体の芯まで冷えて、本当にその日の夜から頭が痛くなり、39度以上の熱が出てしまいました。 


何も食べられず、頭は割れそう。 熱は続くし、体はすべての臓器が炎症を起こしてるのが自分でもわかるほど、いろんなところが張って痛い。


私のボーイフレンドは薬学をちょっとかじっているので、良い薬を買いに行ってくれたのですが、昔こっちのアスピリンを飲んだら5分くらいで効いたので、逆にまたそんなに強い薬を飲むのが怖くて、 日本から持っていった抗生物質を2日間飲みました。が、まったく効かない。


発疹のようなものまで全身にあらわれたので、3日目には這うようにして車に乗せてもらって病院へ。病院は車で20分くらいのところにあるのですが、リマは何しろものすごいスモッグで空気は悪いし、ちょっとでも進まないと全員がクラクションを鳴らしたり、自分の車のドアをどんどんたたいて、

おーい、進めよ!と始まるので、その騒音たるやすごいのです。


ところどころ工事中で渋滞中の真夏の山手通りの車が全員クラクションを鳴らしていて、その隙間を人は横断し、さらにすべての斜線と斜線の間を、車の進行方向とは反対の方向へ、ジュースやガムや携帯電話のケースや、CDや、ピーナツや、桃の缶詰や、ぬいぐるみを売りに売り子が歩いている来る様子、思い浮かべてみてください。年末のアメ横や、日曜日の竹下通りの車道版と言ったほうがわかりやすいかな。


さらに舗装がところどころ穴があいたままになっているので、そこを通るたびに振動で頭に激痛が走る。 あとおもしろいのは、ウインカーも出すんだけど、斜線を変更したいとき、手を出して合図をするのです。 まるで自転車みたい。

 

やっと到着し車から降り、熱で雲の上を歩いているようなふわふわした状態ながら、一歩一歩の振動が頭痛につながるので、亀のようなスピードで歩き、お医者さんの受付を済ませたら、診察室はなんと2F、それも急な階段!

診察室に着くまでに死ぬんじゃないかと思いました。


しかしながら、私もお薬の会社で働いていたおかげで、頭の隅に残っていた部位の名前や症状の英単語を、適当にスペイン語っぽく直して症状を説明したらちゃんと通じた。 よかった、よかった。

問診のあとで、処方箋を書いてくれたのですが、これが会社のレターヘッドみたいな住所と先生の名前入りのメモ用紙。 そこに先生が達筆と思われる字で処方箋を1枚。 気をつけることを1枚書いてくれて、終わり。


1Fまでまた死ぬ思いで降りて看護婦さんに今もらった処方箋を見せると、薬屋さんで買ってきてねとのこと。

でもなんで私を残してボーイフレンドは薬を買いに行ったんだろう。 

車でいっしょに帰りがてら買ったほうがいいのに・・・と思いつつも、おしゃべりだけどとっても気のいい看護婦さんに、割れそうな頭を駆使して応えなければならず、私がフジモリ前大統領のような日系人ではなくて正真正銘の日本人だということ、チャーハンは中国の食べ物で、日本には独自の食べ物があるんだということなどの説明に始まり、15分以上は話したでしょうか、彼女の本日のこれからの昼食のメニューが何かということと、お兄さんがイタリアに住んでる、というかなりフレンドリーな話題になったところで、ボーイフレンドが小さなビニール袋を手に持ってやっと戻ってきた。


中にはなんと注射器と小さなガラスのビンが何本か入っている。

看護婦さんのお部屋で待たされていたのは注射をするためだったのか! 

健康診断で血を採る以外注射なんて何年してないだろう。


ちょっとびっくりしたけど、右手を差し出したら NO! NO!ってまさか・・・そうです。

手にではなくてお尻にだったのです。

いくらペルー人がお尻好きだって注射まで・・・と思ったものの抵抗できず、薬が入るとき、これが痛いのなんの! 

少女のころに一度だけお尻注射をしたことはあったけど、今回は本当に痛かった。なんか細菌だか病原菌だかが体に入ったらしく、それを殺す3つのお薬をミックスして注射したそうです。 

こっちでは薬屋さんのとなりに注射やさんみたいな看護婦さんだけがいるところがあって、そこにその後も4日間毎日注射をしに行って、お薬を飲んで、発病から14日目でやっとよくなりました。


こちらの病院はなんとか医院みたいな町医者がホームドクター。

その次に大きい規模の病院は、簡単な尿検査や血液検査をする設備があるのですが、行ってみたら検査の代金が日本と同じくらい高い。物価の差を考えて検査はしませんでした。

それより大きな大学病院のような規模の病院には軍の病院のほかに公立と私立の病院がありますが、 ホスピタルクリニックの2種類があり、クリニックの方が値段が高くて、良い病院とされています。 私が思い浮かべたのが日本の前田外科や愛育病院ですが、べつにブランドではないみたいです。 大学には当然医学部もありますが、大学病院というのはありません。  


こちらの人も、疲れているときやちょっと弱っているときに、私と同じようになるそうです。ですから外国人だからなったというわけではないのですが、その病原菌がすごいパワーなことは間違いないようですね。


でもいまだに冷たいものはあまり飲んではいけない、冷蔵庫を開けて冷気にあたってははいけないと言われます。日本では熱があるとき、食べられないからこそ、アイスクリームとか冷たいジュースとか採るんだよ・・・と言ってもダメ。夏に冷たい飲み物が飲めない苦しみ、初めて経験いたしました。


去年の秋にフランスに行った友達から、先週久しぶりにメールが来たと思ったら、彼女も同じようなことで家族全員で寝込んでいたそうで、

知ってる?海外に行って2年間は新しい病原菌との戦いなんだって!

とありました。 本当にそのようですね。そうやって本当の意味で体にも免疫ができて慣れていくのでしょう。


昨日からフィットネスも再開し、暴飲暴食を避け、早寝早起き。健康の有難さを実感しています。 

今年の日本の冬は大雪みたいですね。みなさまも風邪をこじらせて大病にならないように、お気をつけくださいませ。


続く・・・






次の記事は2001年1月26日金曜日に書いたものです。


日本の皆様、大雪、大寒波の中いかがお過ごしですか?


私はタンクトップでも汗を書きながらメールを書いています。


でもこちらはからっとしているので、クーラーなどは必要ありません。


事件がありました。


新聞に載る!


悪いことはしていません。表彰されるような特別良いこともしていません。


大晦日の日に昔の会社の同僚に誘われて、



日系人の沖縄県人会クラブ(日本でいうところのロータリークラブみたいなところでしょうか)で主催された、


年末カウントダウンパーティーに行きました。


日本からペルーに帰った日系人の友達は、そこで何年かぶりに会ったので、


歓迎の意を表してくれるかと思いきや、


奴らにとっても私がペルーにいることは何の不思議もないみたいで


あ、どーも 明けましておめでとう


(え?それだけ?・・・・)という状態。



PA機器の故障でバンドの音が悪くて(こちらはパーティーもディスコも生演奏が普通)、


あんまりおもしろくなかったので、静かに踊っていたのですが、


次の日のペルー新報という日系の新聞に大きく写真が出てしまいました。 



1000人以上の人の中から、よくぞ、沖縄出身でもなければ日系人でもない私とボーイフレンドを


選んでくれました! 


当日は派手なかっこうもしていないし、酔っ払ってもいなかったし、


馬鹿踊りや変な振り付けを考えてみんなに強要するというような、


日本のディスコでやっていた馬鹿もやっていなかったのに なぜ?


あ、でもほんの一瞬ちょっと盛り上がっていたかな? かもしれない・・・



次の週に日秘文化会館に行ったとき、妙に人の視線を感じたのは新聞にのったせいだったのか・・・ 


友人の見送り(クリスマスとお正月をこちらで過ごすために一時帰国していた日系人の友人の・・・


変ですね、ペルーで日本にペルー人を送り出してる日本人って・・・)に行ったときに、


見送りに来ていた親戚の人たちに言われるまで、新聞にのったことは知りませんでした。


&まだ記事の実物は見ていません・・・




続く・・・(たった一回目で既に連番廃止・・・)




Andreaのペルー通信(パート1)、2001年に日本の知人にメールマガジンとして送っていたものです。当時とっても元気が出るよ、と言われたことを思い出し、ブログに載せることにしました。

次の記事は20011月に書きました。

Andreaのペルー通信パート101 <メール開通>

************************

お元気ですか。

明けましておめでとうございます。

メールの返事が来ない・・・とご心配をおかけしていたかもしれませんが

私はおかげさまで、元気で新しい年を新しい場所で迎えました。

通信環境が整うまでにものすごい時間がかかってしまい

やっと今こうしてお便りしている次第です。

こちらはお正月は何でもなかったのですが

洗礼を受けて初めてのクリスマスをここで迎えたことは

私にとってとっても感慨深いものでした。

フジモリ大統領が辞めたことによる

日系人や日本人への影響は

まったくありません。

リマの現在の気候は、東京でいう5月の暑い日くらいの感じで、

湿気はまったくなく、とても過ごしやすいです。

こちらはサービス業(サラリーマン)の仕事に関する責任の意識は

たぶん皆様の想像をはるかに越えるほど低いので、

お客さんの立場だと毎日むかっ腹の連続でしたが

やっと少し落ち着いて、よーく考えてみれば

裏を返せば彼らはそのぶん

家族や恋人、友達と過ごしたり

勉強や、プライベートに使う時間が多いということですね。

大きな会社やM&Aの渦中の会社の人たちは

夜中まで働いているようですが・・・

一度日本と人だけを全とっかえして

10年くらいやってみたら

両方の国が良くなるような気がします。

しかしながら電話と電気工事、プロバイダーの手配が済むのに

3週間はちょっとかかりすぎではないか!!!

リマ市内は電車がないので

交通手段はすべて車、バス

いづれにしてもすごい渋滞

一日にやるべきことが5個あったとして

2個できれば普通、3個できれば上々

5個できたら超ラッキーという印象です。

イライラしないようにするために

最近は3個までしか目標をたてないことにしています。

そんなこんなで今までは何もできませんでしたが

こちらの生活のリズムにもだいぶ慣れてきて

うまく説明できないけれど、そんなことが多くても

なぜかこちらの生活は時間が静かに流れていて

とてもリラックスできて毎日楽しいです。

家の近所の人たち、ガードマン(こちらでは町内でガードマンを雇っています)

お肉屋さん、パン屋さん、キオスクの人は、

挨拶してくれるようになりました。

先週初めて美容院に行ったら全員オカマ(姿は女)でした。

この国は多民族国家ですべての肌の色のグラデーションがそろっているので

肌の色で外国人と判断されることはまったくありません。

そのせいなのか、買い物に行って待たされていると

新しく来たお客さんに

”これいくら?”

と必ず聞かれます。

こちらの人は体系に関係なく

体の線を出す服しか着ないのですが、

おもしろいのは、交通課のおまわりさんは全員女性で

彼女たちはベージュの乗馬のスパッツみたいなのを

下着のライン丸出しではいています。

でも髪はひっつめでハーレーに乗っていて

かっこいい。

とにかくこっちはお尻が命。

セックスアピールも胸よりお尻。

大きければ大きいほどいいみたい。

ガードルというものは売っていない。

とりとめのないことをいろいろ書いていますが

やっと一段落、第一段階突破という感じなので

来週からは、のんびり就職活動をしながら

こちらの友達に連絡をとりはじめようと思っています。

あ、その前に週末は海に行ってきます。

ではまた 1-02 につづく

地震のことで心を痛めているのは、海外にいても、日本にいても、日本人ならきっとみな同じだと思います。


あらためて、日本人であることにとても誇りをもったことと思います。


そして、自分にできることは何か、みんな考えたと思います。



私も、ケーブルテレビでなぜか見られなかったNHKも工事に来させ見られるようにし、


TVで、ネットで、ニュースにかじりついていて、緊張の1週間を過ごしました。


そして1週間たった日美容院に行きました。


毎度のことですが、美容院にコンピューターを持ちこんだら、


今日はリラックスしたら?


と言われ、はたと気づきました。私が緊張して何になるんだろう・・・・って。


日本にいるみんなが元気になるようなことが、今私にできることなのかなあと思いました。


そこで、今から10年前、初めてペルーに住んだ時に書いてた 


Andreaのペルー通信パート1をアップすることに決めました。


これは、当時メルマガとして友人知人のみに送っていたものですが、


「とっても元気が出るよ」と言われていました。


昔読んだ方も、初めての方も、読んで元気が出ると、とても嬉しいです。




明日はペルー在住日本人で、アンオフィシャルですが、チャリティー目的の会があるので


参加してきます。


何も言っても海外からは陳腐に聞こえてしまいそうで、


言葉を選んでいる間にも、


新たな地震、他の事故、被害がさらに大きくなってしまいました。



ブログが更新されていないことで、ご心配をおかけしておりましたが、


日本の私の家族や知人、ペルーの私たちは、おかげさまで特に変わったことはありません。



ペルーリマでは、子どもたちの幼稚園ではもちろんのこと、


タクシーの運転手さんや、買い物先でお会いした知らない方からも、


たくさん励ましの言葉をいただいています。


ペルー日系社会にかかわりの深い私は、別のコミュニティサイトで、


日本へ行っている日系人や、こちらに居るその家族のために、


日本の正しいニュースをスペイン語で掲示したり、


個人的にお知らせしたりしています。



日本のみなさまを元気づけるようなこともブログに書こう!


とも思いましたが、しばらくブログは自粛します。



自然の恩恵に授かって仕事をしている私としては、

自然、というものの有難さと恐ろしさ、両方のことを考え


お祈りをしながら、日々の生活を頑張ろうと思います。