願い事や、頼み事で美が手に入るのであれば、それほど簡単なことはない。


実は、願い事などは、自分で自分に願ったり、頼んだりしているのだと考えてみると、どうでしょう。

自分のことは、自分でなんとでもできる。ということが多いですよネ。

でも、自分でできそうにないので、願ったりするのだとしたら、訳の判らない人やなんかには、できないでしょうから。

結局は、自分でやつたほうが確実ではないのか。

そんな屁理屈をこねてみると、意外にも、自分でする努力のほうが、簡単なのだということに気が付く。


毎日毎日、コツコツと、それをやり通していけば、必ず、そこへ行き着くと、信じてやってみるといい。

その通り、必ず手に入るでしょうからネ。

そして、それを、更に押し進めていけば、より以上というところまで辿り着く。自分の責任と、自分の努力で手に入れたものほど美しいものはない。

平面である絵画の世界には、遠近法というものがある。

それを、立体にも応用してみることができないか? と考えたりして、自己演出をする方法を考えると、多角的な考え方ができる。


マイに津、同じようではあっても、ひとつのパーツが組み替えられるだけで、全体の印象というものも変えることができる。


漫然と、一日を演出するのではなく、確信的にすることこそが、自分で判る努力の跡なのではないだろうか。


そういったことを、一歩ずつ歩み続けることができれば、必ずや自分のものにでき、自在に、それらを操ることすら出来るようになるでしょう。

心を留めてはいけない。 意識して動かして、流れがある状態で、たゆとうようにあってこそ、みえない進歩ができるのですから。

自分の心を欺いたり、偽ったりは出来ない。結局、そんなことをして、一瞬、自分をだませたとしても、必ずもとのところに戻ってしまうのだから。

無かったことにしようとか、あろうはずがないとか、自分を誤魔化さずに、現実の方を受け入れ、それぞれの問題があるのだとすれば、それぞれに、ひとつずつ対処しながら、自分というもののありかたを確かめるしかない。

反省すべきは、反省し、素直に自分と向き合い、自分の直したいところをみつけたならば、それを少しでも改善するような努力を始めれば済むだけのことではないか。

それらに目をつぶるからこそ、自分を偽らざるをえなくなってしまうのだから。

じ゛ふんの持っている時間は、自分の為に使えばいい。 そして、もしね余裕ができたのなら、人の為に使えばいいのだから。


このような心の捉え方は、自分次第なのだから、いつだって心清らかにいるようでありたい。


キレイを求めるということは、そのような心のありかたで、本物が手に入る。

必ずしも、側で、誰かが、手をかけてくれるということはないのだから。


毎日のなかの、一瞬を、大切にする心。

冬になったばかりだというのに、来年の春を想像しています。

赤い緋色のカサに緋毛氈の縁台に腰掛けて、お団子をほおばる。 いいですよネ。


緋色のイメージは、食をそそりますよネ。


自然界には、たくさんあるのですが、、なかなかお目にはかかれません。 やはり散り際の色だからだと思いますけれど、その一瞬の儚さは、なんともいえない色です。

運が良ければ会えますけれどネ。

ものがキレイに見える瞬間は、往々にして、そのような際にあることが多いとおもいますが、私たちは、モノではないので、いつもキレイでいたいですネ。


その、儚さのような感性を持つことで、また一段違ったキレイを演出できると思いますネ。


ものごとの裏側にあるものは、みんな承知はしているとは思いますが、現実というものは、そういうことだと思います。 私の提唱するキレイは、確かに外見を表現することにしかないのではありますが、その裏側にある努力というものを紐解いて、しっかりと再認識してもらい、それを更にどりょくで到達してもらう為と、私自身も精神的に努力を更にしていこうと思って、毎日を過ごしています。

人は、面倒に目をつむる傾向にありますが、面倒の結果に完成度の高いものが有る。 そこに心をあずけなければ、いつまでも、堂々巡りをするにすぎないことを知らなければいけないと思いますネ。美とは、形ではなく、心のありかただと。

髪の長さがあると、根元と毛先の色の差は、2トーンくらいはあります。

それは、毛先が、そこに至るまでの歴史ともいえますネ。

カラーリングをしている場合は、なおさらです。

髪を傷めない為にも、本来は、新しく生えてきた部分をカラーリングするのが望ましいのですが、根元と毛先のギャップをうめるためには、毛先までを、もう一度、カラーリングしてしまうのが多いのですが、その結果、毛先の部分は、より傷んでしまいます。

その説明は、お客様には、お伝えしていますが、中には、それでも、全部にして欲しいと望まれる方もいらっしゃいますネ。

この場合は、仕方のない話なので、そのようにします。

見た目のことなので、当然それもありですネ。

それもキレイのひとつではありますが、自分を大切にするということを第一義にしてもらえないキレイは考え物でもありますが。

全体的は平均点に手が届いているのに、いまひとつピンとこない。

という感じのする人には結構出会えるが、わたし思うに、どーして、その人たちは、もひとつをプラスできないのか?

いやしようとしないのか?

というより、本人は、それで十分!となっているのかもしれませんネ。

ピンキリのなかほどなら、いいんじゃない!ということでもないと思いますネ。


人ごとながら、そんなことが気になる。

そして、その気になる部分というものが、キレイの正体なのではないかと思いますネ。

手が届きそうで、何故か届かない。といったもどかしさのようなものを感じる。

ほんのちょっとしたことなんだろうけれどなァと、考えれば考えるほどに、解らなくなる。

答えは、積み重ねしかない。と思いつつも、他にも、方法などはないのか?と、また考えてしまう。

笑顔の大切さ。

微笑むような自然な笑顔。

いろんなところで、それが消えているのではないでしょうか。


ヘラヘラする必要は無いけれど、仕事ですから!的な姿勢での対応などは、典型的な、そつの無さ的な雰囲気がプンプンするが、例えそれが、一日中やっているのだとしても、やってられないわ的な雰囲気が醸し出されていたとしたら?

たまには、その笑顔を実践している人にも出会うこともあるが、少ない。


わたしは、それらのどの場でも、口数少なくいるが、最低でも、その笑顔の対応の人には、アリガトウの言葉を丁寧に発するようには心がけている。


相手がそうだから、自分もでは、何の答えにもならない。

それが、その人の姿勢なのかも知れないし、そこそこなのだからと、余計なことを考える必要は無いのに、そんなことにまで考える自分は何か?

石鹸でアレルギーなんて・・。


わたしは、少なからずショックです。

化粧品というものを好きだからこそ、それへの信頼を持ちたいとしていますが、すくなくとも、人に害を与えないというものが、化粧品の命であるはずなのですネ。


これだけ世の中に化粧品というものが出回っているというのは、ある意味選択肢がある。と喜ぶべきことなのでしょうが、なにものもあり。という実体を憂えるのもまた本当のところです。

商業主義と、わたしが表するのは、そんなことです。

商売になるなら、なんでもあり。という節操のなさが蔓延し、それらを正しく評価する評価軸を持たないままに、コマーシャルに乗せられて、被害を受けて、初めて困った。と。

それは違うでしょう。自分の注意力の無さを反省すべきで、人のせいにしないように。

日頃の行いの中が安直がゆえのできごとなのですからネ。

もっと、真剣に物事に向かい合う毎日の生活を大切にしなければではないでしょうか。

製造者を避難するのは簡単です。何事も。

そうではなく、自分の自己管理能力を反省するほうが、大切なことなのですネ。

どんなことにでも、対応できるようにならなければ、生きてはいけない。


世の中は、商業主義で成り立っている。


わたしは、個人的意見を大切に、美容という観点を捉えて商売をしています。


これは、相まみえない仲なんですネ。

まぁ、顧客の方の意見ですが、趣味だそうです。


この評価は、当然なのだと思います。みなさんは、商業主義を疑わないから。

わたしは、敵意すら持ってますネ。

ただ、言えるのは、世の中で、一人でもいいからなんていう意見は、黙殺されるだけです。 わたしは、個人ですから、それでもいいと思っていけるだけなんです。

忸怩たる思いはありますが、そんなものは、どうでもいいんです。

いいものはいいと解ってもらえる瞬間があれば。


商業主義に乗るか、乗らないかは、個人の自由ですからネ。


私だって、結果的には、モノに助けられて仕事をしたり、生きているわけですから。

モノには感謝しこそすれ、否定するものではありませんから。

テレビの番組の中で、婚活の話をやっていたが、結局、その中に登場した女性は、結婚には至らなかった。

したいけど、できない。と、当事者は言うが、本当?と思う。

本当にしたいのなら、全てを真剣に取り組むしかないのではないか。

カッコだけ、そのようであっても、相手には、その気持ちは届かない。


本質の問題もあると思う。そういったものは、表面的にも、必ずでてくるものだから、自分を見つめ直し、自分を知ることをやってみるのも手だろうし、専門家に相談をし、外見から磨き直すのも手だと思う。

外見の、ちょっと観は、簡単に直せるが、持続できるかどうかは、本人次第ですが。


人間、見た目!もありでする

中身を見て欲しいから、敢えて、外には手を入れない。それはどうかと思う。

先ずは、とっつきやすさも必要なのではないか。